日本のすがた・かたち

2016年5月9日
世界の公園

hp160509-2.jpg

 

 昼下がりの相模の海は、大きな水面が重なり、揺れながら静かにあるリズムを持ってうねり、動いている。まるで巨大な生きもののように見えます。

 

海面の金波銀波の煌きを見ていると、太平洋を越え、海の果てに北米南米両大陸の在ることを思います。

 

ここ熱海瑞雲郷の特別な場所にある「水晶殿」は、先年仕事のために通ったところで、数年間はここのつつじ山からの眺望を楽しむことができました。

 

今年からまたこの広大な瑞雲郷に通うことが始まり、野鳥の声や草花に囲まれた安寧の時間を過ごしています。もうこの地との縁は9歳のときからですから、60年余となります。

 

水晶殿改修設計の任に就いた時から、建物の調査を始めましたが、業務上での考察範囲では済まない造営の謎が多く出たため、何時しか60年前の創建時当時のことと、設計者岡田茂吉翁のことが知りたくなり、その解明に手を染めていました。それをまとめ上梓したものが『水晶殿』でした。

 

現在はというと、瑞雲郷の謎に挑んでいるところで、本筋の業務とは少しズレが生じていますが、どうしてもモヤモヤしているところから離れ難く、またまた空想が駆け巡っている最中です。

 

昭和29年に箱根から熱海・東山荘(国の登録有形文化財)に居を移した茂吉翁は、その東山荘の2階の窓から観た熱海駅近くの山林を指差し、「あの辺りがよい」といわれたといいます。

hp160506.jpg

 

 

あの辺りとは水晶殿周辺のことだそうです。そして瑞雲郷建設が始まり、現在はMOA美術館を擁した東京ドーム5個分のほどの広さを有する一大庭園となっています。

 

(翁はなぜこの地を選んだのか。絶景と気候温暖の理由からか?)

(なぜこの地は天地開闢以来定まっていたと言っているのか?)

(瑞雲郷は世界の公園となる、と言ったのはなぜか?)

 

つつじ山の上に在る「水晶殿」の縁石に座って相模の海を観ていると、様々なことが去来します。ここから真南にある漁師町の網代で生まれ育った私は、舟と空想さえあれば海を渡り地球の果てに、宇宙の何処へでも行けると思っていた子供でした。海には自由があると。

 

あれから60年、この瑞雲郷の絶景の中に身を置き、茂吉翁の言葉を反芻し自問を繰り返しています。

(建築とは何か。設計とは何か。)

未だに解らない答えに、広大な相模の海があるヒントをもたらせてくれました。

なぜ瑞雲郷が熱海にあるのか、その答えが謎を解く鍵となりそうです。

 

自分の居るところで出来ることに没頭する昨今です。

                                                                                                             

写真: 上 瑞雲郷全景(MOA美術館、水晶殿が見える)撮影MOA商事

     下 水晶殿からの景色(スケッチ 自作)

   TP 水晶殿とつつじ山

                                                                           


2016年5月9日