日本のすがた・かたち

2016年5月2日
若者三人

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六十の歳を数えた時から、私は「茶の湯のステージ造営計画」に志し、着手しました。

設計は勿論のことですが、工事を担当する職人を段取りすることも始めました。

何しろ設計図を作っても、建物を造ってくれる職人がいなければ机上の空論で、実現しません。(若い人で誰かいないかなぁ)、と探していました。

 

造営工事の中核を成すのは大工と左官、そして木材調達業者です。

大工と左官は社寺と数寄屋ができるか、またはできそうな者です。

ひと口にいえば、大工は丸太仕事、左官は土壁仕事ができることが条件です。

熟練の大工や左官は数人知っていますが、いずれも既に還暦を過ぎていて、老眼をかけて仕事をしている人が多く、これから10年先は指導的立場で仕事をお願いするのが良策と考えています。

 

いつも設計をしながら思うのは、三百年先を見越した工事を担えるのは若者しかいない、ということです。

 

十年近く前、紹介され横須賀の追浜に左官の仕事を見に行きました。

彼は旧伊藤博文邸の復元工事を担当していた親御さんの下で修行の最中でした。

ひと目で優れた左官になると確信し、当時改修設計を担当していた「熱海・水晶殿」の左官に特命で推薦しました。いうまでもなく期待に応えてくれました。

彼は水晶殿円形ホール天井のシックイ塗りで名を馳せました。先日も全国から優秀な左官達が見学に訪れたとのことです。

 

先月末、設計した住宅が完成し引越しを済ませたところです。

設計の中で最も難しいのは住宅で、個人的な主観や好みが強い建築といえます。何度も依頼を受けていてお断りできず、ご縁と思いお引受したものです。

私の設計は今風の造りではなく、職人による手造りであるため、工期が1年以上かかった完成でしたが、満足されたようでホッとしているところです。

 

この住宅工事で見つけたのが、親御さんと一緒に仕事をしていた若い左官でした。二十代の彼はとても器用で、見習いとは思えない所作をしていました。

今、彼に眼を付け、親御さんの跡継ぎになるよう口説いているところです。

 

もうひとりは建築家の卵です。彼は施主の長男で高校に入ったばかりですが、中学三年の時から、つまり自宅が計画される時から両親と一緒に私のところに打ち合わせに来て、設計が終わる頃には両親より詳しくなり、私と一緒に設計しているような雰囲気を醸し出していました。

私は嬉しくなって、計画時のスケッチやかたちにして行く過程の設計図を彼に上げて、建築家を目指してくれるといいな、と内心念じていました。

彼の良さは感受性の鋭敏さにあります。寄る年波で感受性の鈍くなった私には、頼もしい若者が眼の前に現れたと思うところです。

 

近く若い数寄屋大工に会うことになっています。

設計の仕事と共に、次代を担う人たちに出会うのは何にも勝る喜びといえます。

                                                                                   

写真: 水晶殿円形ホールシックイ塗り天井

 TP 「茶の湯のステージ造営計画」で開発中のLED照明スタンド

   (デザイン太田新之介)

   


2016年5月2日