太田新之介作品集
10月9日(月)の「耕心茶会」に併せて、6日から陶芸家・佐々木泰男の「炎のこころ展」が催される。
先月半ばに佐々木さんが桐箱に署名する相談に来て、今まで使っていた印章ではバランスが今ひとつ、ということになり、結果として私が篆刻をすることに・・・。
このところ印を彫ることは殆どなく、印材を選び、印刀を研ぎながら、文字をデザインし、彫り始めたところアクシデントに遭遇することになった。
なんと、右手の指が攣ったのである。
彫る筋肉が弛緩していて、いきなりの行為なので、びっくりしたのだと思う。
暫く置いてまた挑んだところ、またも攣るはめに・・・。
仕方がないので近所の滝を観に散歩に出かけた。
(慣れとは恐ろしいことだ・・・)
滝を観ながらそう思った。
戻ってから気合を入れて一気呵成に彫り上げたのがこの二つ。
佐々木さんが取りに見え、押印の練習をした後帰られた。
個展の記念に進呈することにした。喜んで頂いたようだ。
篆刻は書画や詩作と共に君子のたしなみという。
久し振りに君子になったような気がした。
印材は鶏血の工芸材。先年中国で承知の上で求めたものである。
彼の陶芸活動の一助になればと思った。
写真:「泰」 丸印2種
黒泥茶碗 銘「深山」
楽や大樋の黒や、織部や引出し黒ではない、黒々とした巌のような黒茶碗を創りたいと思っていた。
土は1200万年ほど前から堆積してきたという泥炭土。
薪窯でしかできない焼き締め物が理想だった。
富士川窯の陶芸家・佐々木泰男さんが焼いてくれた。
銘は道元禅師の偈「深山雪夜草庵中」(しんざんのせつやそうあんのうち)から採った。
抹茶の緑が映える大振りの一碗である。
萩茶碗 銘「雪夜」
萩焼は、フワッとした柔らかさが特色で、使うと七化けといわれるほど色に変化がでる。一楽、二萩、三唐津といわれるほど茶の湯の茶碗では代表格である。
フワッとしない、カチッとした焼き締め物のような萩はできないものかと思っていた。
佐々木泰男さんがその要望に応えてくれた。この茶碗はの萩釉は佐々木さんが掛けてくれ、そして一週間焼てくれた成果品である。表面はフワッとして白雪のような化粧をして、尚、下地はカチッとして妖しげな紫の色・・・。昔の彼女を連想した。
掌に取り即座に「雪夜」と付けた。
二碗とも坐禅の師太田洞水老師が好んで揮毫した禅語「深山雪夜・・・」にちなんだ。
黒と白が揃った。
何事も黒白つけたがる性分からではなく、この黒白は、この世は男と女、という程度のものだが、茶事で濃茶と薄茶のそれぞれ主茶碗にしたら面白いのでは、と思っている。
やきものも建築も、常にアバンギャルドだ!
1.丹波 変沓 茶碗 タテ8.0 ヨコ15.4 高さ7.5 センチ
銘 「安蛮技也瑠土(アバンギャルド)」
この茶碗が窯から出てきた時、胸の裡で(これだ!!)と声をあげた。
自分の思う理想的な濃茶用の一碗ができたと思ったからだ。
思ったより良く焼けていて、景色も申し分んなく、焼き締め物の丹波としては極上の部類に入るのではないかと思った。
窯焚きをして頂いた陶芸家とお仲間の方々に深謝九拝だった。
あくまでも点てる、喫むという用に供し、ボデーはなまめかしく色気を発し、土味の特色が漂い、しかも新しく・・・。
そして何も自分が使ってみたくなるすがた・かたち、それが目標だった。
しかし、焼物は窯から出てきてからが価値が定まるもので、窯の状態や、窯詰め、薪、焼き方、時間などと相まって、陶芸家のセンスと体力勝負ということになる。
作陶前のスケッチは、全体のすがた・かたちをイメージし、整え、高台も中心に位置し、持った時に重心がバランスしていて軽やかに喫めるように工夫して、作陶は何度となく、やり直し、10個を数える頃、漸くこのひとつと、薄茶用の少し小さなものができた。
後はお任せで、ケセラセラの心境。(内心は心配で…)
伝統とは守るものではなく、その上に新たな創造を重ねて行くもの。そう思っている私はこの茶碗を見て、即座に「アバンギャルド」と名付け箱に書いた。
内部見込み底には銀色の上弦の月の模様が・・・。
何時この茶碗を使おうか、と楽しみは膨らむ一方。
我が国の焼物は4万年前から始まったともいわれている。釉薬を掛けない焼き締め物は太古からの先人の記憶に充ちている。
止められそうにないようだ。
銘 「安蛮技也瑠土」
常々、アバンギャルド・前衛とは伝統の中から生まれる最新の創作で、最先端のものだと思っている。
将に温故知新で古きものを下地にして新しきものを知るということだ。
人は皆、伝統の中に生きている、ということだと思う。
1.香合5種 貝2 赤松1 北山杉1 錺金具1
5月から10月頃まで、湯を沸かす釜の炉は塞がれ、風炉を使うようになる。
夏場の暑さを避けるため火を客から遠ざけるためだ。
この時期の香合は陶磁器以外のものを使うことが約束となっている。中に入れる香も練り香から白檀などの木片に変える。
桃山時代から香を席中に焚くことが始まったというが、元をただせば仏教伝来と共にインドから伝わり、仏前に芳香を献ずるものだった。やがてそれが貴族の生活を彩り、王朝文学の世界に広がり、香道が起こり、茶の湯にも取り入れられ、香を入れる香合は炭点前には欠かせない道具となっている。
私は茶事毎に茶杓や香合を作ることにしているが、香合は茶杓と違い材料のバリエーションが広いこと、多様な作りができるところが面白い。
写真にある貝香合のハマグリは、美味しく食べた後に漆を塗り、金やプラチナ蒔絵に仕上げ、木片はいずれも茶室「樵隠庵」造営時の用材の残りで、錺金具は名工森本安之助氏の手になるもので、熱海・水晶殿改修の際に龍文様の調子を見るために試作した銀の薄板を、曲げて身を作ったもの。
それぞれは夫々の茶事の趣向により作り、客に喜ばれるのを使命としている。
褒められて伸びるタイプの私は、褒められると差し上げる癖があるため、既に十数個の所有権は移っている。
茶事の面白さは催す本人でなければ解らない。
その面白さのを演出する中に香合や茶杓など自作の道具がある。
何度催しても飽きない茶事は、日本人が発明した興奮快感装置に他ならないと思っている。
さあ、次は今朝採った蓮で作るぞ!
明日は明日 今日は今日とて 過去は過去 今ここに在る 今を生き往く
1.ステンドグラス水指 高さ 20センチ 幅16センチ
今回の茶事にはMOAあたみ幼児学園の関係者が参席するので、以前作っておいたステンドグラスの水指を出すことに決めていた。
数日前に出して水を入れたら、ガシャ漏れ。
これはマズイと漆で補強し前日に漸く水漏れがなくなったので、一晩水を張り置いておいた。
当日の早朝、「わぁ、漏れているではないか!」。
別のものにしようか迷ったが、朝7時に修理を終えた。
MOAあたみ幼児学園の階段ホールの壁に二枚のステンドグラスが入っている。私がデザインして、工芸家と一緒に作ったものだ。
その余りのガラスで作ったのがこの水指だった。
杓が水指に入る度にキラキラと水が躍る。
客は喜んでくれたようだ。
ステンドグラスは何ケ所かデザインしている。私にとっては照明の「禅のあかり」、「茶事のあかり」とともに、ものづくりの手遊びだと思っている。
2.茶杓 煤竹 銘「大麦小麦二升五合」 長さ 17.4センチ
茶事前日に仕上がり、筒に銘を書き席中に拝見にだした新作の茶杓。
この日の掛物は金剛経の一句で禅語の「応無所住而生其心」(おおむしょじゅうにしょうごしん)。
「大麦小麦二升五合」はその音写でもじったもの。
有難いお経も覚え方で大層変わる見本のような一語。
茶杓は一会の中では最もストーリー性の高い道具といえる。
「大麦小麦・・・」が客の耳に残ったようだ。
これだから茶事は止められない。
1.丹波引出し茶碗 径 12.7 高 8.0cm
今年の正月に富士川の窯から出た茶碗のひとつ。茶碗は全部で6個出来たが、使えるものはその中の3つである。
丹波の原土を使い、焼成の途中で窯から引き出したもので、火の玉のようになっているものを一気に冷水に入れるため、割れやゆがみがでるものもあるが、この茶碗は想像以上の出来栄えになった。
凛とした姿が好ましい。
2.丹波茶碗 径 13 高 8.2cm
この茶碗が窯から出てきたときに胸がときめいた。
良くぞ焼けてくれたと思ったものだ。
全体の姿と薪の灰が溶けて出来た景色は美しく、申し分のないものだった。
窯出しされた多くの作品の中でも王者の風格があると、内心自賛した作だった。
帰参し、これを浄め、早速お茶を点ててみた。
気分が良い、とは、この時だ。
楽の初代長次郎作を持ったことがあるが、志野なども含め桃山時代の茶碗は総じて重い。
重い茶碗の長所は、濃茶を練る時に発揮される。安定して点てやすいものだ。
いつの茶事に使おうかと、今から楽しみだ。勿論濃茶の主茶碗である。
3.丹波茶碗 径 13.3 高 7.8cm
大振りではあるが、少し口辺を開きいびつな作りとした。この茶碗は内外とも削りを施し、重くならないものとした。
窯の中に置く位置で焼けの景色が変わる。
溶けた灰が少しかせたているのが良い。
濃茶、薄茶の主茶碗に使えるものとなった。
(さあ、銘を何と付けようか…)
4.黒泥肩衝茶入 径5.9 高7.8cm
黒泥と呼ばれる陶土は真っ黒な土でねっとりしたものである。
この黒泥で焼成したものは、焼く時に窯の中に置く位置で変化し、様々な表情をみせる。
大きめに作ったつもりだったが、焼き上がりは固く締まり小振りながら重く感じる。
艶のある黒の肌にゴマが降りかかり、得もいわれぬ風情を醸し出している。
黒泥は丹波と同じく何度も作ってみたい焼物である。
5. 丹波肩衝茶入 径7.0 高9.2cm
両手で粘土を細く紐状にして重ねてゆくいわゆる紐作りの茶入である。
紐の跡をそのまま見せようとしたのであるが、ややもするとダサい感じが出る。
焼け方が良かったせいか、正面にグリーンの塊が出て景色となり、幾重にも重なった地層から透明な水塊が見えるようにも感じる。
この茶入は前回の窯で焼いたものだが、着せる裂の良いのが見つからなかったので、そのままにしておいた。
先年、タイに渡航した折にラオス国境で山岳民族から入手した古布が仕舞ってあるのを思い出し、探した結果出てきた。ラオス民族の美しい織物である。
茶入は小壺のままでは茶入にならず、精々楊枝入れか一輪挿しの類だ。それに象牙の蓋を作り、由緒のある裂で仕覆を作り、桐の箱に入れて初めて茶入となる。濃茶点前では最も大切な道具となる。
写真の裂で牙蓋と仕覆、箱を作ることにした。
これも次なる茶事の伴侶としたいと思っている。
「伊賀細水指」 高さ19 径12.5cm
造作余話
先年、伊賀の登龍尾窯で焼いた細型の水指である。
「太田さん、この水指をボクにくれないかなあ。」
「これはちょっと・・・。」
「この手のものがないし、ボクのと交換してくれるといいが・・・。」
「今度の茶事に使いたいので・・良かったら茶事にこられませんか?」
親しくして頂いた陶芸家浅尾憲平氏とこのような問答を交わした一作である。
この水指は、窯から出てきた時に胸がときめいた3点の内の一点であるが、見事な出来栄えだったと思った。
出来栄えといっても焼いてくれたのは陶芸家とそのお仲間の方たちで、私はボデーを作り、後はお任せなので自慢はできないが、茶事における席中の問答は、「お作は?」、であるゆえ、「自作でございます」という分けになる。
薄緑色の解けたビードロの流れは、本格的な薪窯ゆえの力強さと美しさを現し、磁器質のような良質の伊賀土、赤松の薪などを使った故に出現したものといえる。
また、5日間の昼夜焚き続ける焼成技術が高度であることも必須条件である。
他にも茶入、茶碗など十数点が出た。何日か伊賀に通ったかいがあった。
これらの茶道具を使って、どのような茶事を催すかはこの時から決めていた。
高価な道具や家元の箱書き物が無い私には、茶杓と共に焼物などが佳き伴侶となる。
茶事は、気象から始まり歴史、神仏、風習、建築、庭園、書画、美術工芸、陶芸、文学、料理、作法、服飾、音楽ほか、人間の営みのほとんどが催事のかたちで詰まっているもので、日本文化を知るもっとも普遍的な行為といってよい。
若者たちとこの水指を挟んで語り合えるのはこの上ない楽しみといってよい。
細水指は5~10月の風炉の時期に使うとされている。
今年は例年催すことの少ない10月末の「名残の茶事」にお披露目しようと思っている。その他の道具も、割れたものを繕って使える侘びた名残である。
10月は「風炉の名残」、4月は「炉の別れ」、日本人の繊細な季節感の表白といえる。
「色絵春秋絵水滴 対」 H5.5 W7.0 D4.5cm (有田焼)
左 「織部桃形水滴」 右 「志野桃形水滴」H7.5 W11 D8.5cm
造作余話
書をかくことが好きだったせいか、文房四宝である筆、墨、紙、硯を蒐めてきた。
現在は、筆と墨は奈良製の油煙墨か古墨の松煙墨、紙は全国に産する手漉きの和紙、硯は明代の古端渓を愛用している。
四宝の周辺の文具は折々に縁のあるものを使っていたが、気に入るものは少なかった。
そこで筆架や水滴は自分で作ろうと思い、茶道具などと一緒に作ることにした。
ところが細工物の文具は中々難しく、水滴などは水の切れや数滴を上手く出すため微妙な口作りや穴あけが要る。
30個ほど作ったが気に入るものは半分ほどで、写真にあるものは現在愛用のものだ。
10個ほどは友人に贈っているが、先日連絡があり、今もその水滴を使ってくれているとのこと。
懐かしく何故か嬉しい知らせだった。
普段、その存在を忘れているが、折にふれ使っているものは愛着が湧く。
人間の付き合いも水滴の付き合いも同じようなものだと思う。
素人ながら筆を持つ時間を得ていることは有難いことだ。
先師は「書は君子のたしなみ」といった。
写真: 下 「織部 秋草文水滴」 H3.5 W4.5 D3.3cm
書 「月」 一字
造作余話
この「月」は先年書いたものである。
今年の中秋の名月は9月27日(十五夜)で、満月の28日と共に、月が大きく見えるスーパームーンだそうだ。
毎年のこの日は、お供え物をして歌など詠んで過ごしていたが、今年は講演会があるため、一足先に花を入れ書を掛けた。
「月」は禅僧太田洞水老師の字が好きで、私もそれに倣い、何度も何度も書いてみた。
この字は、ようやく老師のような書に近づいた、と思えた「月」だった。
満月ではないが、上弦の月のイメージである。
「月」の字を書くと老師を思い出す。
老師の元を離れる日、「太田さん、あなたはこれから歴史に遺こる仕事を沢山しますから、精進して下さい。」
このはなむけの言葉は、いつまでも耳に残っている。
筆を持ち、白い紙に向かう時、いつも老師の慈顔を思い出す。
亡くなってもう30年近く経つが、幾つになってもあの時の励まされたことは忘れない。
「月」を書くたびに、私もひとを励ますような人間になりたいと思う。
筋割り表具 一文字 竹屋町絧入遠山、 中廻し 草木染古代絓(しけ)、
筋 竹屋町印金、軸先 象牙
私の好みの表具とした。
月見とはいえ、花が多すぎた感も・・・。
茶杓は一年を通して30本ほど削る。
もちろん茶事に使うために削るのであるが、時折、手遊びに作ることがある。
竹は何本か曲げてあるので、その気になりさえすれば直ぐ削れるようになっている。
今年は十数本の削り置きができていた。
これがその折々の茶杓たちである。
先日筒を用意して十本のものを入れた。今年も一緒に遊んでくれて有難う、という心持だった。
茶事・茶会にこの中から選んで使うこともあって、作り置きがあることは心強い。
また、いざという時に贈呈できる。
ホメられて伸びるタイプの私は、ホメられると直ぐに進呈する癖があり、贈られた方には少し迷惑なこともあると思うが、何年経ってもお礼をいわれるのは嬉しいものだ。
作りはともかく、竹は珍しい種類や由緒あるもの、また時代物を使っているので、その辺は自慢できると思っている。
茶杓は茶事の亭主をする私にとっては良き伴侶で、銘を付けて席中に登場する。
茶杓の銘は様々で、利休や遠州、有楽、光悦らにその極まったものがある。
今まで数百本作っているが、どうにも止まらない道楽になっている。
1000本ほど削ったらお披露目会でもやってみようかと思っている。
竹細工に長けた日本人の優れた記憶に触れる日々は面白く楽しい。