イベント情報

2019年4月5日
「陽明館」ワークショップを開催!

2019年3月22日
「陽明館」ワークショップを開催!

>>イベント情報
国の登録有形文化財に答申された「陽明館」にて、管理者の方々と一緒にワークショップを行いました。
みがき隊としては、初めての試みとなった今回のワークショップでは、各部屋をめぐりながら、講師の太田先生より、建築家の視点を通して陽明館の特徴を解説をしていただきました。

ちょっとした柱や欄間の傷からも、
当時どのように使われていたのか?
寒さを凌いでいたのではないか?とか
収納に使われていたのでは?とか
往時に思いを馳せながら見学させていただきました。

実際に住まいとして使われていた当時を知る参加者の方のエピソードも興味深く、大事な記録となることも教えていただきました。

また、陽明館は熱海市桃山の台地に建っていますが、南向きの大きな窓から望む相模灘は、東山荘からの眺望とはまた違った良さがありました。

最後は車座になって、感想のシェアタイムと、今後の維持管理や利活用についてざっくばらんに話し合う機会を設けました。

講師の太田先生からは以下の3つの要素を教えていただき、美意識を高め、普遍的な価値を理解することで、行動につなげることの大切さを学びました。
①直感:品格を感じる美意識
②細見(さいけん):部材や空間構成、バランス感覚など。体験と知識が重要。
③評価:文化財としての価値

また、陽明館は、設備や立地の面でも、特に茶の湯や日本文化を伝える場としても、魅力的で大きな可能性を秘めていることを実感しました。
名建築・みがき隊としても、陽明館がよりよい状態で受け継がれ、多くの方に楽しんでいただける場となるよう共に学びながら盛り上げていければと思います。

(写真上段左:欄間の木目観察)
(写真上段右:記録写真と現在の比較)
(写真中段上:階段の照明と窓を開放した所)
(写真中段下:開放的な窓からの眺望)

名建築・みがき隊HPより抜粋転載

http://migaki-tai.org/archives/2329

2019年4月5日

2019年3月26日
快楽に耽る

このところ仕事の合間を見て作陶に勤しんでいます。
先日、萩の生作りの茶碗や水指が出来て、未だ未乾燥ながら素焼きをする日程もあり、窯場に持って行く日程も立てられず、と思案していましたら、有難いことに陶芸家佐々木泰男さんが自ら遠路取りに来てくれました。
5月の窯は萩、丹波、黒泥の土で、いずれも次回予定している茶事の道具類を焼いてもらうことになっています。

 

毎年恒例になっている茶事・茶会も、もう既に三十年余で200回余に及びます。
この遊びの面白いことといったら他の追従を許さず、私にとっては生涯の快楽といえます。

人は「良く面倒くさいことをするな」とか、「大変ではないか」などと心配してくれますが、私にはその面倒くささや大変さが快感で、そのワクワク感にたまらない魅力を覚えています。

 

先日書いた書が「如何一会・(一会いかが?)」。それを読んだ客が「一回どう?」と。
爆笑でした。

 

 

去年試しに使った長板と水指。
長板は縁あって頂いた新潟県産の黒柿(樹齢三百年以上)を炉用寸法に仕立てたもの。
この黒柿の景色を持つ材は5万本に一本といわれる高級材で、銘木中の銘木とされるものです。板材のカットには慎重を期しました。
仕上げて見ると、右に月の富士山と思しき景色があり、まさに海上から観た駿河湾の情景と見えます。即座に能「羽衣」の一節から「月の清見潟」と命名し、墨書しました。

 

水指は縄文中期の火焔土器です。これは新潟県の信濃川流域の十日町付近馬高遺跡出土で、紀元前3000年、約5000年前のものといわれます。
これに中子を仕組み、水指に仕立てたものです。

 

茶事の楽しみには道具の準備もあり、毎回の道具組の作業は、建築の設計作業に似るところがあります。想像が限りなく膨らむところがとても似ています。。
全ては「客(施主)が喜び、楽しむことになるように」、と。
それを見て、亭主(建築家)は喜びを多とする、と。

 

茶事は緊迫した4時間の中で、人と交わり、我がことを知る儀礼・儀式。
人間は、「仲間になりたい」、「知りたい」、「生きたい」、「伝えたい」、とする生きもの。
思うに、日本人が発明した茶事は、これら4つの要素が全て網羅されたものといえるようです。

 

人間の品性は美しいものとの出会いでしか磨けない、とは先賢の言。
作陶しながら、お招きする方の顔を想い浮かべながら、今、土の官能的な感触に酔っています。

 

写真:黒柿の長板 自作
下 水指(縄文中期の火焔土器)

 

2019年3月26日

2019年2月10日
二人の職人

先日、私が将来を期待している彫刻師の高畠彩乃さんと夫君の来訪がありました。
昨年に、私のHPから彼女を紹介して欲しいとの依頼が二人の方からありましたが、仲介役は得てではないので、そのままにしておいたところ、連絡があったとのことでした。

何でも大勢の人の見ている場で氷彫刻をしたとのこと、動画と写真で様子を知らせてくれました。
チェーンソウで氷を刻んでいる彼女の姿は綺麗な絵になっていて、「本物の職人になったなぁ」、と今更のように思い、嬉しくなりました。

その後、彼女が送ってくれた写真に次のメッセージが添えられていました。

―学芸員の方が撮影したものです。オープ二ングセレモニー当日の閉館時間ピッタリに頭の部分が折れたそうです。その直前だったそうです。
ここまで大切に最後を看取られる氷彫刻もないんじゃないかと思いました。仏様は何か心に届けて下さると感じた日でした。

また、―溶けた時まで何か感じていただけたらという思いで仏様をお迎えしました。無常と、そしてたとえ姿が見えなくても何かがある。御守りしているという事を会場の皆様と共有できればと言う想いで引き受けたお仕事でした。―

現在は次の仕事に意欲的に取り組んでいるそうです。

夫君は木製建具職人ですが、本職ばかりか地域の伝統文化を継承しようと獅子舞に勤しみ、獅子頭師としても活躍しています。

二人の来訪を受けて、私も設計の腕を磨かなくては、と励まされました。

私が最も好む人たちは「職人」です。仕事は嘘をいいませんので…。

 

写真:彩乃さんの氷彫刻風景

下 高畠宗久作の獅子頭(彼のことはまた書きたいと思っています)

 

 

 

 

 

2019年2月10日

2018年12月31日
年越し

 

〽️ジングルベルを(キリスト教)歌って直ぐに  除夜の鐘つき(仏教)初詣(神道)ほんに日本は謎の島

 

今年も各地で除夜の鐘が鳴り響いています。誰しもが幸せを願って。

皆様のご多幸を願って聴いています。

 

 

写真:京都知恩院の大鐘

 

 

 

 

2018年12月31日

2018年12月7日
星降る街角

歴史的な建造物などについて3時間ほど話して、さあ、この辺で失礼しようかと思っていると、意外や音楽が流れてきた。
それも「ハッピー・バースデー」のメロディーだ。
あれ、と思っていると、居合わせたメンバーが一斉に「誕生日おめでとうございます」、と。

 

4日早い誕生日パーティーが始まりました。
大きな和紙に私の強面の絵が描かれ、夫々が筆でメッセージを書き、祝福して頂きました。
去年も大勢の若者たちに祝って頂き、今年も、と深謝九拝でした。

 

ローソクの火を73本分消して、美味なケーキでお祝いしてくれました。
帰路、外に出ると満天の星。
このところは、チョーイソガシク、慌ただしい日を送っていましたが、このパーティーでリセットもされました。

 

また当日には、メンバーの10歳になる娘さんから、和紙にメッセージを書いた素敵な輪飾りが…。
こうして励まされて生かされているのだと思うと、益々パワーアップしたように思いました。
人との交流は、自分では気が付かないところで醸成されていることも改めて知らされました。

いずれお礼は、次代の人に役立つだろうことを、と…。
「星降る街角」を唄いながら…。

 

        バースデー 思わぬ宴 星の降る

 

写真:和紙の似顔絵

下 可愛い輪飾り

2018年12月7日

2018年10月31日
日本の技の体験フェア

 

—文化財として指定された建物が、様々な理由で維持できなくなって形を変えたり、惜しまれつつ姿を消す事があります。その背景の中で、時代の変化とともに創建当初の素材や技法が絶えてしまった、という話を耳にします。
名建築の姿・形をその如く後世に継いでいく為には、伝統的な素材の確保や技法の継承、さらに技能職の育成はとても重要な課題となります。
こうした日本の伝統技術の保存・継承を図るため、文化庁では選定保存技術の個人団体を認定し、その伝統技術を広く一般社会に紹介する「日本の技の体験フェア」という公開事業を毎年行っています。今年度は静岡県の熱海市で開催され、家族と共に足を運んできました。
会場の入り口で木を叩く音が響く中、大工さんが大きな丸太を加工していました—。

http://migaki-tai.org/

 

上記の書き出し文で、「名建築・みがき隊」隊長の及川博文さんがHPに寄稿しています。
我が意を得たり!として転載させて頂きました。

我が国の伝統技術の保存・継承を図るため、文化庁も本腰を入れているうです。
特に子どもたちが自国の歴史や文化に高い関心を持ち、継承者になってくれることを願うものです。
そのために私ができることは、日本の木の建築が日本にとって、また人類にとってもとても大切な文化遺産であると、仕事や活動を通じ流布することだと思っています。

木の建築を造り続けてきたことで、私は縄文の昔と往来できることを知りました。
先祖の生きた証が今日に続いていることも…。

 

画像:名建築・みがき隊HPより転載

 

 

2018年10月31日

2018年8月16日
追善の夏窯-引出し丹波

猛暑の最中、陶芸家・佐々木泰男さんが夏窯に精を出しています。

富士川町にある窯は毎年二回焚かれることが慣例になっていましたが、今年の5月に予定されていた窯は、頼みの盟友の死により延期されていました。

「8月に焚きますのでどうぞ。」といわれ、7月中に作陶し、一緒に入れてもらうことになりました。

陶友・市川武さんに窯へ運んでもらい、10日から下燃やしが始まり、14日から本燃やしでした。

「良い色がでていますよ!」と、昨夜、茶碗の写真が送られてきました。
窯焚きの途中に、中から引き出す手法の作品ですが、(上手く引き出されたようだ・・・)と感謝しました。
古くから瀬戸の「引出し黒」と呼ばれる茶碗物はありますが、丹波の引出し物は佐々木さんが初めて挑んだ技法でした。

11月の茶事に使うため10数点を焼いて頂いていますが、窯出しの25日が楽しみです。

この夏の私は多用にまみれ、窯詰めや窯焚きに行けず、ただお願いするばかりでしたが、佐々木さんにとっては、突然1月に亡くなった盟友の「追善の窯」ではないかと思っています。

写真が送られてきたのも15日新盆の日で、続いて市川さんが引出し風景をメールしてくれました。

一昨日、「古里に帰ることもなし盂蘭盆会」と詠んでいた私には、嬉しい供養の贈り物でした。

佐々木さんはじめ市川さん、お仲間の皆さん有難うございます。
暑い中、大変だとは思いますが、宜しくお願いします。

 

写真:上、中 陶芸家の引出し風景   下 引出し丹波茶碗 自作

 

 

 

2018年8月16日

2018年7月31日
熱海市長との対談-3

 

熱海市長との対談の第三回目です。

名建築みがき隊のホームページをご覧下さい。

 

熱海の文化財を後世へ繋げるために<その3>
>>イベント情報
「熱海の文化財を後世へ繋げるために」対談もいよいよ最終回です。
その1、その2については、下記のリンクをご参照ください。

熱海の文化財を後世へ繋げるために<その1>

熱海の文化財を後世へ繋げるために<その2>

 

 

名建築みがき隊HPより転載

 

 

2018年7月31日

2018年7月14日
熱海市長との対談-2

先日行われた齊藤栄・熱海市長との対談内容が名建築みがき隊のホームページにアップされました。

及川隊長の司会で行われましたが、この数年来の熱海市の発展の秘密が解き明かされたような気がして、私もとても刺激的なひと時でした。

以下、転載させて頂きます。

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2018年7月9日
熱海の文化財を後世へ繋げるために<その2>

 

http://migaki-tai.org/archives/1747

イベント情報
「熱海の文化財を後世へ繋げるために」対談の続編です。
その1については、下記のリンクをご参照ください。
熱海の文化財を後世へ繋げるために<その1>

 

 

 

2018年7月14日

2018年5月24日
熱海市長と対談

この晴天の月曜日に熱海市長と対談を行いました。
テーマは「文化財の保存活用について ~熱海の文化財を後世へ繋げるために~」でした。
コーディネーターは、名建築・みがき隊の及川隊長でした。

かねてより齊藤栄熱海市長は既成党に属さず、「市民党」を自認している方ですが、地方自治体の首長としては分け隔てなく、普遍的な構想を持つ市長として人気があると聞いていました。
市長は、熱海市内に在る文化財施設の利活用とこれからの展望について話され、私は、文化(文治教化)とは、文化財とは、文化財としての東山荘、その経緯を話しました。

7棟の国の登録文化財「東山荘」に隣接する、1棟の重要文化財「日向邸」。
共に昭和初期の熱海別荘建築の白眉ですし、往時の姿のまま現存する希少な建築です。

市長が対談の中で特に強調されたのは、熱海市にしかない歴史や風景、温泉や古の良きものを次の世代に伝達したい、とのことでした。
文化財を観光資源として活用することはもちろんですが、世界にない熱海の魅力を世に知らせることで市民の希望に繋げたいという主旨でした。参加者は共に笑顔で頷いていました。

 

及川隊長の名司会で時を忘れ、時間延長となりましたが、この「東山荘」が平成28年に文化財となり、名建築・みがき隊が組織され、その後は思いがけない展開となり、熱海市長はじめ、海外、県外の行政や文化財関係者との交流が活発に続いています。

私は、昭和19年に岡田茂吉翁がここを私邸にしたことから始まった文化のエネルギーに、想いを馳せています。
これから東山荘は、集う方々にとって、遠く眺望する相模の風光と、優れた日本建築と、先人の遺徳を偲ぶよすがとなってくれると思っています。

帰路、(自分は、文化を遺すことができるのか・・・)と、自問していました。

 

 

2018年5月24日