イベント情報

2019年8月12日
食べ方を変えれば、生き方が変わる「美味しいごはん」映画上映会

新之介サロン 日野です。

「食べ方を変えれば、生き方が変わる」

初めて聞いたときは、ドキッとしました。
私はかつて仕事が忙しいときは、夜ごはんにカップラーメン、チョコレートなど食べながらパソコンに向かって作業する日々を送っていました。
今日は笑ったっけ?そもそも隣の席の人と会話しなかったかも。。。
若い頃は、ストレスが溜まっても体力はあったので何とかなってはいましたが、
あるとき顔中がお岩さんのように肌荒れを起こして外出したくなくなったり、
手に湿疹ができて痛いし痒いしなかなか眠れない状況になってしまいました。

でもそれがきっかけで薬に頼るのではなく、生活を根本から改めようと決意しました。

調味料や食材を変えてみたり、いろいろな本を読んだり勉強会に行ってみたり、、、
知れば知るほど、食事のときにこれは大丈夫かな??とか自然栽培のものしか食べたくない!とか
かえってストレスや不安が増えた気がしていました。

そして、農業にも興味を持ち始めて自然栽培の田んぼ塾に通って、お米作りって本当に大変な作業だと実感しました。
でも一人では大変なことでもお祭りのようにみんなでワイワイやると楽しかったのです。

そんなときに出会ったのが、大阪にある御食事ゆにわのいのちのごはんでした。
初めて「いのちのごはん」をいただいたときの感動は今でも忘れられません。

今まで、目の前の食材やごはんから「ひかり」を感じるとは考えたこともありませんでした。

ごはんだけでなく、モノや人、お茶との向き合い方も同じだということも教えてもらいました。
むしろ頭で考えるというより、感覚を全身で感じることが大事だなって思います。


そんな「日本人の食を守りたい」という思いに共感したメンバーが集まり、クラウドファンディングで映画「美味しいごはん」ができました。

日本人を根底から支え続けてきたお米。
その背景に込められた神話の時代から受け継がれてきた
深い”愛”と”祈り”を感じられる映画です。

この映画に込められたメッセージ
「百年先の日本を守るために
今日、美味しいごはんを食べよう」
まさに「日本のすがた・かたち」に通じるものがあるのではないでしょうか。

現在は、全国で自主上映の輪が広がっています。

【上映会情報(一部)】

8/18(日)愛知県名古屋市
※主演の御食事ゆにわ・ちこ店長のトークショーもあるスペシャルな上映会です!
お席の確保はお早めに!
https://www.facebook.com/events/651097152004371/?ti=cl
申込み先
https://eventon.jp/16837/

9/7(土)群馬県富岡市
※群馬県で初開催です!
https://oishi-gohan.com/scree…/2019-9-7-gunmakenn-tomiokasi/

9/21(土)香川県高松市
※主演ちこさんトークショー付き!
https://oishi-gohan.com/screen-i…/2019-9-21-kagawa-takamatu/

9/29(日) 静岡県浜松市
※この映画で人生が変わったという主催者さんの熱意に共感して、私も一緒に盛り上げます!
https://oishi-gohan.com/screen-…/2019-9-29-sizuoka-hamamatu/

その他、全国の開催状況はこちら
https://oishi-gohan.com/screen-information/

一人でも多くの人の心がひかりで満たされるようなご縁がつながりますように。

新之介サロン 日野美奈子

 

 

2019年8月12日

2019年7月24日
旧小松宮別邸・「桜御殿」

数か月前、箱根の強羅で名建築について講演をした折、「三島市にある楽寿館という建物をご存知ですか?」と質問しました。
参加者は誰一人として知らず、「では楽寿園は?」と問うと、2割ほどの方が手を挙げられましたが、後で「楽寿館は老人施設ですか?」と尋ねられました。

このやり取りを三島市の文化行政担当の人たちに話しました。
相当ショックを受けたようでした。

 

楽寿園は明治23年~25年にかけて造営された、小松宮彰仁親王(伏見宮邦家親王第8王子)別邸の庭園で、楽寿館はその中に建てられた殿下の謁見の間だった「楽寿之間」を持つ主殿でした。

昭和27年(1952)所有者の緒明氏より三島市が買収し、三島市立公園となりました。この折、市民から名称応募して「楽寿園」、「楽寿館」と名付けられました。昭和27年7月14日(1952)「楽寿園」は開園され、昭和29年3月20日(1954)「天然記念物・名勝楽寿園」として国指定となっています。

数日前、庭園の一角にある小松宮殿下の寝所だった「桜御殿」が国の登録有形文化財の答申を受け、報道発表されました。既に登録されている隣接している「梅御殿」と共に、私が調査し所見を書いた建物です。
今回の申請報告書の表題は、今までのような「楽寿園・梅御殿」という名称ではなく、〈小松宮別邸「桜御殿」〉としました。所有者の緒明氏、市県当局に諮っての名称でした。

そして登録申請業務の後、市当局者に「楽寿館」の名称変更についてお願いしました。
教育長や市長とも面談して、「楽寿館」を「小松宮別邸」にされたら如何か、と進言しました。
楽寿園の桜御殿より、小松宮別邸の桜御殿の方が名称として相応しいのでは、という内容でした。

 

我が国は、来年のオリンピックに向けて、法整備をし、観光資源の開発に力を入れ、文化財や美術館の観光資源化を進めています。
三島市では昨年、「箱根八里」が函南町、箱根町や小田原市と共に「日本遺産」に登録され、また国の認定による歴史まちづくり法(略:歴まち法)の指定も受けました。これを契機に市の魅力を発信して行こうと意気込んでいるようです、が…。

現代社会においてネーミングの大事さは論を待たないところです。
名称ひとつで歴史や文化ばかりか、その香りされも彷彿とさせるものです。
「楽寿館」は老人介護施設のイメージ。「小松宮別邸」は宮家の歴史のイメージ。
さあ、市当局はどうされますか…。

 

今回、国の登録有形文化財〈旧小松宮別邸・「桜御殿」〉として答申されました。文化庁では「旧」を付けて、とのことでした。11月に官報に載ることになっています。

 

写真:旧小松宮別邸「桜御殿」2階南面

 

 

2019年7月24日

2019年6月24日
夜なべ

「かあさんが夜なべをして手袋あんでくれた…」。
懐かしい童謡です。

私も何時の頃からか夜なべをするようになり、深更に及ぶこともあります。
先日、古帛紗作りに専念しました。
折々、焼物や茶道具類など、必要に応じて色々なものを作りますが、この度は裂地を用いての裁縫でした。
裁縫は意外と上手で(自画自賛)子供のころから得意でした。細工物でも布物が好きなのは、布のデザインや文様に託されたメッセージに惹かれるところがあるからだと思います。
また、幼少期に玩具という代物がなく、何でも自分たちで作って遊んでいたことが、生涯にわたり役立っていることを実感します。

 

我が国の名物ものといわれる裂地には長い歴史と物語があり、金襴、緞子、錦などの絹物から綿、麻、芭蕉布まで、織物の奥行と幅を感じさせる工芸品は世界に誇るものになっています。
それに加え、私の好みは世界各国に作られている織物で、とりわけ東南アジアやインドの更紗です。その国の更紗には民族の香りが織り込まれていて、気候風土や歴史による違いを生きてきた人たちの匂いを感じます。

 

建築も同じことで、建築を知るには、その国の風土や歴史を下地にして、人々がどのように生活して来たのか、これに学ぶことが必要です。
「茶事を知らずして茶室は設計できない」、というように、いくらデータを形にすることに長けていても血の通った建築を造ることができません。裂地を知ることは建築を知ることに通じる・・・。

 

古帛紗は何年か使った後で茶入の仕覆に転用できます。
これは結構楽しいことで、自分の好みの育成に力を発揮します。

私は気に留まると、人の着ているものから、古着まで転用を考えますが、今回は真新しいインド製のエプロンを解体加工し、古帛紗に仕立てました。私自身が茶事で使うものと、親しい人たちに贈るためのものです。縁あって、お茶を始めた女子高生たちに贈呈したら喜ばれました。

千家十職の袋物師ではありませんが、夜なべジジイも乙なものです。

「ジイさんは夜なべして古帛紗作ってくれた…」。

 

今まで作った古帛紗およそ90枚。

この独り遊びは止められそうにありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年6月24日

2019年6月23日
ウメボシジジイ-2

六月の初めになると梅を買いに出かけます。
大分前から梅は紀州みなべ産の「南高梅」と決めていて、今年も例年より10キロ少ない30キロにしました。
梅干作りを始めてかれこれ40年ほどになり、多い年は90キロも漬けましたが、何時の間にか三分の一になりました。

私の梅干作りは、35年前、あるお婆さんから製法を伝授されたことからハマり、以来その秘伝を踏襲し、今日に至っています。

1. 肉の厚い梅を選び、色が黄色になるまで追熟させる。
2. 水洗いをして、水分を拭きとる。
3. 15キロ位を樽に入れ、塩(8%)、焼酎(適量)米酢(適量)で漬け込む。
4. 落し蓋をし、重石は梅と同じ程度の重量のものを載せる。
5. 3~5日して梅干が隠れるくらい梅酢が上がってきたら重石の量を半分以下に減らす。
6. 塩もみをした赤紫蘇を入れ、漬け始めて1ヶ月程度が経った梅雨明け頃に、晴天が4日間続きそうな日を選んで干す。
7. 一粒一粒陽にあて、タコ焼きのようにひっくり返す。この時、梅酢も日光に当て、熱い状態にする。
8. 天日で1日干したら、夜は梅酢の中に戻す。これを3日繰り返す。
9. 4日目で干し上がりの状態を確認して、甕に紫蘇と共に保存する。

 

このような工程で作りますが、何しろ塩分が少ないためカビが発生する可能性が大で、これを防ぐのに焼酎や酢の助けを借りることになります。

三ヶ月ほどしてから食べますが、この時は先人の生活の知恵に感謝し、有難く頂きます。
そして出来上がりを待っている方たちにお裾分けし、梅干の効用に一年間浴することになります。

今年も漬けながら、子どもの頃、父親の梅干作りの姿を思い出していました。
人間幾つになっても、幼い頃の記憶は季節と共に、香りと共に甦るものです。

多分、今年も絶品の「しんのすけ・梅干」が出来るのではないかと。

               「別名は…」
     誰が呼ぶのかウメボシジジイ ニンマリ笑って「ン〜、」オチョボ口

 

 

 

2019年6月23日

2019年5月15日
仕上は上機嫌!

5月11日に陶芸家佐々木泰男さんの窯から作品を出す作業があり、お手伝いに行ってきました。

11名の人たちが窯出しをし、後始末と次回に向けた準備をしました。

私は専ら出てきた作品を出てきた順に並べる係りで、まだ温かい焼物に付いている目土などをとり、並べて行きます。

並べる順序は、窯の前から後ろにかけての位置関係で、焼き具合が違い、作品の出来不出来に関係がしてくるため、次回の窯詰めの参考となります。
長さ5メートルほどの窯の中で、焼け具合がこうも違うものかと、何度焚いてもひとつと同じものはありません。火の洗礼を受ける土の定めということだと思います。

ところが、その火の洗礼が思わぬ優品を生む結果となります。

今回、私作の茶道具類は思いがけなく、皆快作で、顔には出しませんでしたが内心ニタニタ独り悦に入っていました。

引出し丹波、丹波、萩のいずれの作品も次回の茶事に使えるものばかりで、嬉しい限りでした。

 

焼締め物はそのまま使えず、ザラザラやトゲトゲを擦り、使い易くするための仕上作業が必須です。
昨日は半日、仕事を調整して仕上作業に勤しみました。

いずれも満足の行くもので、早速、桐箱を注文し、銘も付けることにしました。

今年の秋の茶事にどのように出演させようか、今から楽しみです。
お蔭様で全身筋肉痛ですが、当分は眺め、触り、使いの愛でる日が続きそうです。

佐々木さん、市川さん、皆さん有難うございました。

 

写真:引出し丹波茶碗 自作

 

 

 

 

2019年5月15日

2019年5月5日
佐々木流「引出し黒」

昨夜11時、また陶友市川武さんからメールが入りました。
大雨のため窯焚きは1日半延びるとのこと。連夜ご苦労様です。

また、佐々木流「引出し黒」が何点か出来たとのこと。
窯焚きの最中に作品を取り出し、急冷させると色艶の良い作品が出来ます。この手法を引出しといいますが、通常は釉薬をかけたもので行います。

佐々木さんは丹波の焼締めものを引出していて、これは私が知る限り、佐々木さんが初めて試みたものと思います。
今回も優品が出来たとのこと。嬉しい限りです。

今秋に催す茶事に想いを馳せながら、1週間後の窯出しを楽しみにしています。

焼物は、土が形となり火の洗礼を受ける深遠な儀式。令和の初窯焚きは今日了ります。

今朝、佐々木さんから火を止めたとの知らせがありました。
皆さんお疲れ様でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年5月5日

2019年5月2日
窯焚き真っ最中

令和元年になった5月1日現在、富士宮市の旧芝川町にある窯で盛んに火が焚かれています。
陶芸家・佐々木泰男さんが新作に挑む令和の初窯です。
陶友の市川武さん達も昼夜を問わず手伝っています。残念ながら、私は多用につき手伝えず、11日に予定している窯出しに伺うことにしています。

クマガイ草が咲き誇る窯場からは、佐々木さんや市川さんが経過写真を送ってくれます。その度に窯の中で火の洗礼を受けている焼物達を思います。
粘土で形を作り、乾燥させ、1000度以上の高温で焼く過程は、土が陶器に変化する劇的な瞬間です。物体を異なる物へ変化させるエネルギーは、いつもリアルです。
今朝、大雨でもう一日窯焚きを延ばすとのメールが入りました。悪戦している様子です。お手伝いができなく申し訳なく思います。

今回は丹波と萩で茶道具の茶碗、水指、香合などを入れました。この今は炎に悶えている最中だと思います。
今年の秋に催す茶事に使うつもりの焼物たちは、さて、どの様な貌をして窯から出て来るのか、楽しみです。

さあ、何という銘を付けようか、「令和の友」とでも、、、。

今回も佐々木泰男さんの新作を待って、また個展を開くお手伝いをしたいと思っています。
窯焚きの度に高度なやきものを作り出す寡黙な陶芸家を、私は応援しています。
また個展の折にはお知らせ致します。

 

 

 

写真:下燃し (中々窯が乾かない)

中 クマガイ草の群生
下 窯の中 (撮影:佐々木泰男 市川武)

 

2019年5月2日

2019年4月21日
四国村-古建築を集めた野外博物館-(転載)

—先日、四国を訪れる機会がありましたので、香川県高松市屋島にある四国村に行ってきました。
四国村は江戸から大正時代にかけて、四国各地で建てられた民家を中心とする約33棟の建築物を集めて復元させた屋外型の博物館です。約半数以上が国や県、市の指定文化財であり、地域色豊かな建築物を通して、往時の日本人の暮らしや大工職人の伝統技術などを学ぶことができます。

農村歌舞伎舞台と呼ばれるこの建物は、江戸時代につくられ、春と秋に村民自らが演者となって歌舞伎を楽しまれた舞台です。その後、昭和52年に移築され、現在は市の指定文化財に指定されています。
建物は間口約10.9m、奥行約8.2mと、舞台としては少し小さくも感じますが、建物を中心に円弧を描くようにずらっと並んだ観覧席が、建物と野外の一体感を演出しているように感じました。
また往時は歌舞伎の場面転換をスムーズにするために舞台の円形の床を人力で回転させる「廻り舞台」が設けられていたようです。
現在は、舞台の上手から下手までひな壇がビッシリと飾られていたこともあり、往時の賑やかな情景が思い浮かばれました。古建築の利活用は往時の文化を蘇らせてくれる貴重な取り組みだと改めて感じました。

(中略)

伝統的な建築の型式が受け継がれる中で、地域の風土や当時の生活慣習に合わせて造られてきた建物からは家人の息吹や大工職人の知恵の一端が垣間見られ、往時のありのままの状態を継承する大切さを改めて感じます。復元についても使用材料が往時のままであれば、風趣に富む希少な建物となり、時代を跨いで先人に思いを馳せることができるのだろうと思います。—

 

名建築・みがき隊HP

http://migaki-tai.org/archives/2368

 

名建築・みがき隊チーフの今野貴広さんが先月HPに投稿された一文が目に留まりました。
転載して多くの方に読んで頂こうと思いました。
この中で述べられていることは、「伝統と私」という大切な接点です。
また、建築の見方についてもわかり易く参考になるものと思います。

画像とも転載

 

2019年4月21日

2019年4月5日
「陽明館」ワークショップを開催!

2019年3月22日
「陽明館」ワークショップを開催!

>>イベント情報
国の登録有形文化財に答申された「陽明館」にて、管理者の方々と一緒にワークショップを行いました。
みがき隊としては、初めての試みとなった今回のワークショップでは、各部屋をめぐりながら、講師の太田先生より、建築家の視点を通して陽明館の特徴を解説をしていただきました。

ちょっとした柱や欄間の傷からも、
当時どのように使われていたのか?
寒さを凌いでいたのではないか?とか
収納に使われていたのでは?とか
往時に思いを馳せながら見学させていただきました。

実際に住まいとして使われていた当時を知る参加者の方のエピソードも興味深く、大事な記録となることも教えていただきました。

また、陽明館は熱海市桃山の台地に建っていますが、南向きの大きな窓から望む相模灘は、東山荘からの眺望とはまた違った良さがありました。

最後は車座になって、感想のシェアタイムと、今後の維持管理や利活用についてざっくばらんに話し合う機会を設けました。

講師の太田先生からは以下の3つの要素を教えていただき、美意識を高め、普遍的な価値を理解することで、行動につなげることの大切さを学びました。
①直感:品格を感じる美意識
②細見(さいけん):部材や空間構成、バランス感覚など。体験と知識が重要。
③評価:文化財としての価値

また、陽明館は、設備や立地の面でも、特に茶の湯や日本文化を伝える場としても、魅力的で大きな可能性を秘めていることを実感しました。
名建築・みがき隊としても、陽明館がよりよい状態で受け継がれ、多くの方に楽しんでいただける場となるよう共に学びながら盛り上げていければと思います。

(写真上段左:欄間の木目観察)
(写真上段右:記録写真と現在の比較)
(写真中段上:階段の照明と窓を開放した所)
(写真中段下:開放的な窓からの眺望)

名建築・みがき隊HPより抜粋転載

http://migaki-tai.org/archives/2329

2019年4月5日

2019年3月26日
快楽に耽る

このところ仕事の合間を見て作陶に勤しんでいます。
先日、萩の生作りの茶碗や水指が出来て、未だ未乾燥ながら素焼きをする日程もあり、窯場に持って行く日程も立てられず、と思案していましたら、有難いことに陶芸家佐々木泰男さんが自ら遠路取りに来てくれました。
5月の窯は萩、丹波、黒泥の土で、いずれも次回予定している茶事の道具類を焼いてもらうことになっています。

 

毎年恒例になっている茶事・茶会も、もう既に三十年余で200回余に及びます。
この遊びの面白いことといったら他の追従を許さず、私にとっては生涯の快楽といえます。

人は「良く面倒くさいことをするな」とか、「大変ではないか」などと心配してくれますが、私にはその面倒くささや大変さが快感で、そのワクワク感にたまらない魅力を覚えています。

 

先日書いた書が「如何一会・(一会いかが?)」。それを読んだ客が「一回どう?」と。
爆笑でした。

 

 

去年試しに使った長板と水指。
長板は縁あって頂いた新潟県産の黒柿(樹齢三百年以上)を炉用寸法に仕立てたもの。
この黒柿の景色を持つ材は5万本に一本といわれる高級材で、銘木中の銘木とされるものです。板材のカットには慎重を期しました。
仕上げて見ると、右に月の富士山と思しき景色があり、まさに海上から観た駿河湾の情景と見えます。即座に能「羽衣」の一節から「月の清見潟」と命名し、墨書しました。

 

水指は縄文中期の火焔土器です。これは新潟県の信濃川流域の十日町付近馬高遺跡出土で、紀元前3000年、約5000年前のものといわれます。
これに中子を仕組み、水指に仕立てたものです。

 

茶事の楽しみには道具の準備もあり、毎回の道具組の作業は、建築の設計作業に似るところがあります。想像が限りなく膨らむところがとても似ています。。
全ては「客(施主)が喜び、楽しむことになるように」、と。
それを見て、亭主(建築家)は喜びを多とする、と。

 

茶事は緊迫した4時間の中で、人と交わり、我がことを知る儀礼・儀式。
人間は、「仲間になりたい」、「知りたい」、「生きたい」、「伝えたい」、とする生きもの。
思うに、日本人が発明した茶事は、これら4つの要素が全て網羅されたものといえるようです。

 

人間の品性は美しいものとの出会いでしか磨けない、とは先賢の言。
作陶しながら、お招きする方の顔を想い浮かべながら、今、土の官能的な感触に酔っています。

 

写真:黒柿の長板 自作
下 水指(縄文中期の火焔土器)

 

2019年3月26日