Sのプロジェクト

2017年8月8日
帯に描く

「三島御寮」造営計画の設計変更図がもう少しで出来ます。
今日は、鉛筆を絵筆に変え、数年前、設計に着手した折に描いた帯を思い出し、探して出してみました。

その折に唄い描きつけた都々逸
津礼天由起多矢見悲也久能止之返 意木奈保田留賀三地遠天良寸

連れて行きたや三百の年へ 粋なホタルが道ょ照らす

あの人を三百年先に連れて行ってやりたい。粋なホタルがその昏い道を照らしてくれるから。

その時の思いは変わることなく、沸々と胸の裡は燃えて盛んであることを確認しました。
物事は思いさえあれば、いつか叶うもの。

一枚の帯は今の心境をそのまま残してていました。

この帯を仕立てて、さあ、誰に締めてもらおうか、と……。

 

 

写真:後 木造のUFOのとぶ菜の花畑都々逸文紬帯
前 若葉文に花鳥風月

 

 

2017年8月8日

2017年7月17日
思い直して

14歳の天才棋士藤井聡太四段の将棋を指す場面を見ると、いつも長時間の正座姿です。これをそのまま当てはめれば済むという考えと、ロボット棋士は正座をしてない、という姿。しかし息詰まる勝負は展開されている。

日本の伝統を重んじ継承する人たちがいる以上、畳の上で正座できることを前提とした計画案でよいという考え方と、現代社会の生活の中では畳の存在は薄れ、若者に聞けば座ったことがないとの答えが多い中、いずれ肉体的に辛いとことはAIロボットが代行して茶を点てるのでは…。

茶の湯のステージ「三島御寮」造営計画で、構想時から引きずってきた課題は、高齢者はいざ知らず、これからの人たちが果たして畳の上に正座して、茶事や茶会を楽しむことができるだろうか、ということでした。

建築の設計はその時代の特性や風習、価値観を無視することはできず、今という時代ばかりかこれからの時代を設計する行為でもあります。

つまり、座して行動するか、椅子の行動とし、作業の大半はAIに任すようになるかの選択によっては、計画そのものを根本から見直すことになります。
最近までは畳に座す伝統の継承でなければならない、そこから成立している一連の行動の保持で良いとしていました。

しかし、使う人たちが少なくなり茶室群の手入れも滞るようになったら建築も観賞用となり、明治村のような展示物になりかねない。

伝統とはその上に立った創造であって、常に将来の人間の生活に寄与しなければならない・・・。
これらをどの様に解釈し設計に反映されて行くのか…。

畢竟、迷い迷った末に計画案の修正をすることにしました。
ここ数年の間で自分の中に生じてきた懐疑に結論を出した結果です。
これからの時代をできる限り想定し、茶の湯の面白さ、楽しさ、麗しさが演出できる茶室群に変更することにし、始めた模型作りは一旦止め、再度計画図描きです。

利休が活躍した桃山時代の茶室は、現代に至り多少の難はあっても使えます。
この事実は何かを語りかけます。

三百年先を目指し、今日より明日、明日より明後日…と。
建築の設計とは終わりのない作業といえます。

 

思い直して図面に向かう やることは是のみと定めて

 

写真:思い立った日、前庭に開いた今年最初の蓮
図:「三島御寮」造営計画は薬師如来像の姿(変更前)

 

 

 

2017年7月17日

2017年6月18日
茶事・座敷のあかり

「三島御寮」造営計画の当初から茶事・茶会に使う照明の開発に着手しました。

建築工事着手は三年遅延していますが、先に照明器具の試作品が完成しました。

私は建築の計画段階から照明器具の開発をすることが多く、岐阜「瑞龍寺」、御殿場「感応寺」や茶室「白鶴亭」、「吉々里庵」、「樵隠庵」などまた近年は熱海「水晶殿」の照明デザインをしてきました。

照明は単なる灯りではなく、物を見る光の質と生きものの精神に及ぼす影響が大であることから、その建築の空間に最も相応しい「ひかり」は何か、を求めてきました。

そして先日、東京の下町工場の職人たちが技術を駆使し製作し、製作デザインを担当した田附冬樹さん((株)ヤマギワ)のチェックを受け、送られて来たのがこの(仮称)「茶事・座敷のあかり」です。

これから冬季に催す半昼半夜や夜咄の茶事に使用し、新製品として世にだせるか実験を重ね、改良を重ねて行きたいと思っています。

私にとっては「禅のあかり」、「茶事のあかり」など「日本のあかり」シリーズの連続の中にある一燈となります。

美しく、温かく、新しく、が指針です。
そして最先端技術を結集することはいうまでもありません。

この燈火の下で繰り広げられる茶事の光景が、多くの人々の心に残りますようにと念じながら…。

 

写真:試作のコードレススタンド照明

 

2017年6月18日

2017年6月1日
模型作り開始

 

計画を何度か修正し、最終案が描き上がりました。

これからスタデイ模型の製作に入ります。

模型作りは静岡の加藤惣一さんです。私が最も信頼する模型師です。

同時に木造の骨組みの模型を作り始めます。いつもこれは自身で作っています。

木造の設計は木組みを知らなければできないため、にわか模型職人となります。

眼の前の靄も晴れ、凪た航路が見えてきました。

 

      漕ぎ出だすまた再びと海原に 地図なき路の風を頼りに

 

 

画像:茶の湯のステージ「三島御寮」造営工事 平面計画図(部分)

 

2017年6月1日

2017年5月19日
奈良東大寺

IMG_3473.JPG「三島御寮」造営計画の最終案をまとめるため、奈良の東大寺などを調査してきました。

 

東大寺は修学旅行以来何度も訪れていますが、木造建築の設計を学ぶ際のお手本の一寺にしています。

理由は大仏様(旧天竺様)という建築様式の特色といわれる南大門などが単純で分かりやすい木造構造を遺していることと、大仏殿が創建の天平時代から、鎌倉時代、江戸時代の二度の再建をして現代に至っていることで、規模や当時の世相、設計水準、信仰心の在り様までもが手に取るように分かるからです。

 

木造建築の設計は木を知り、寸法を決め、建てる順序が解ればできるようになります。

今風の木質系木造住宅などの設計は少し慣れれば中学生でも理解できますが、本格的な木造建築はそう簡単には設計できません。

ヒントは江戸時代に活躍した棟梁達が目指した「五意達者(ごいたっしゃ)」に通じているかどうかです。

 

私は木造建築を設計できるようになりたいと思い定め40年経ちますが、それは「五意達者」を目指してきたと同じことでした。

それも何もかも工事現場が実践の場で、机上では達者になれないというものでした。

 IMG_3491.JPG古建築を実測調査し、先人の仕事を偲び、そこから新たな創造を展開して行く作業こそが、伝統を繋ぐことだと知ったのは50も過ぎた頃でした。

 

縁を頼り、国宝の木造建築を幾つも実測調査した感触が現在の私の設計観を支えていることは事実ですし、その結果得られている寸法や、肌合いを含めた美的な審美眼といえそうな感覚もその実測と分析のお蔭だと思っています。

 

「三島御寮」の茶室群計画は、遠く室町時代の「禅院の茶」に源を発しています。

構想の柱は足利義政、能阿弥、村田珠光、千利休、織田有楽、小堀遠州、三千家、近代数寄者、そして近未来へと続く茶の湯者を輩出できるかの茶の舞台造りです。

後一歩ですが、ここに来て計画決定するためと木材の調達の行脚を始めました。

幾つかの古建築と先賢の行履を訪ね、三百年先に子孫が応えてくれるような計画にしたいと思っています。

 

IMG_3521.JPG東大寺にこだまするのは子供たちの歓声ですが、その半分は中国語などの声でした。

60年前とは隔世の感がありました。

また、鎌倉時代再建の立役者重源と仏師の快慶に興味を覚えていましたが、奈良博での「快慶展」も堪能しました。

 

平安時代の仏師定朝、そして快慶。古建築と共に優れた文化遺産があることで私は今と未来を生きていると改めて思ったものです。

 

 

写真:TP 東大寺大仏殿正面

 中 大仏殿主柱

 下 南大門内部木組み

  

2017年5月19日

2017年5月7日
珎玄齋主人

G・珎玄齋マーク.jpg還暦を過ぎた頃、私は或る計画を実行するか否か決めかねていました。

5年ほど温めた後、実行を決意しました。

周囲は反対しましたが独りで考え計画することなのでそのまま推移し、今日に至りました。

 

その間、身辺整理をすることにし、行動に移しました。

40年前に組織した株式会社を解散し、去年の秋結了登記を済ませ、個人の建築家として再び事務所を開設しました。

長年お世話になった(公社)日本建築家協会を退会し、他に所属していた建築関係団体も全て退きました。

未だ少し在籍することになった市文化財審議員会委員の任に就いている他は所属するところはなくなり、この4月から身軽な市井の閑人となりました。

 

本業の設計の仕事は依頼が続き、現在10名ほどのブレーンとプロジェクトを手掛けているところです。理想とする建築家像を追いかけながら、進めている造営計画の実現を図っているのが現状です。

 

dscf0026.JPG計画は三百年の「三島御寮」造営計画で、茶の湯のステージを5年かけて造ろうとするものですが、2020年完成予定が既に3年遅れています。私の時間が取れないことと資金調達が進まないことが主因です。

 

一昨年、盟友佐々木広志さんが「古美術佐々木」を開設し、私の所有する美術品類の売却dscf0024.JPG計画を立て実行寸前に亡くなりました。

遺志を繋ぎ「三島御寮」造営計画の資金調達の一環としてどうか、との相談もあり、協力者を得て、来月初めからヤフーオークションに出店する運びとなりました。

20年前に小野田雪堂先生命名の「ギャラリー珎玄齋(ちんげんさい)」の商標登録がそのまま継続されていることもあっての出店です。

出品は主として10年かけて収集したタイ山岳民族発掘の未整理数百点の古陶磁です。既に整理が済んだものの中から本として出版したものが『東南アジアに渡った・元明のやきもの』(里文出版2003年刊)です。

IMG_3459.JPG美術商の方から取り扱いの誘いも受けましたが、折角ご縁があり、タイの山奥からはるばる日本に来た作品たちです。この際未整理の物を分類整理し、考察をしながらまたご縁のある方々に求めて頂くことにしました。

 

ここに来て命ある限り続けたいと思っている建築家と、仕入れ済みで限りある古美術店主人との二足の草鞋を履くことになった顛末を見て、雪堂先生と佐々木さんが天から応援してくれるといいなと思っています。

 

          亡き人と 共に眺める 青モミジ 

 

 

写真: 上 ギャラリー珎玄齋の板看板(自刻)

    中2 タイ・オンコイ発掘現場(1998年)

    下 小野田雪堂刻 「珎玄齋主」

    TP 安南赤絵合子(15~16世紀)出土品の内 

 

 

 

2017年5月7日

2017年4月1日
造営の仕組み-4・儀礼・儀式

CIMG1439.JPG儀礼・儀式のステージである「三島御寮」造営計画は変更の最中です。

主たる計画変更の要因は儀礼・儀式に対する考え方からです。

 

私たち人間は毎日意識せずとも儀礼・儀式の中に生きて生活しています。普段は気がつきませんが、冠婚葬祭や正月からの年中行事に始まり、至るところに存在する神仏、果ては自然界にある海や山河、岩や木々、草や花、先祖や先賢、先輩諸氏に対し、ある種の儀礼・儀式という形でつながっています。

会社でいえば朝礼やミーテイング、打ち上げというように、ある意味を持たせた集まり方も儀礼・儀式化されたもののひとつです。

 

そのように考えると「おはよう」、「こんにちは」、「こんばんは」、「いただきます」、「ごちそうさま」、「ありがとう」、「おやすみなさい」の習慣もある意味を持った儀礼・儀式といえます。

 

人間は集団生活を余儀なくされている生きもので、ひとりでは生きることはできません。自給自足といえどもわずか食料を得ているに過ぎず、医療や住環境など多勢の中でしか命を維持することはできないものです。

大勢がまとまりひとつの意思をもってこそ、安全や安心の生活が営めることを知っていた先賢は、生活の局面局面を儀礼・儀式化する工夫をしてきました。

 

その目的こそ人と人を結びつけるためのものに他なりません。

 

人は儀礼・儀式により結びつき、それによって安心して生存や生殖できることを目指したのです。儀礼・儀式は人間同士を繋ぐ縁の糸の役割を担っているといっても過言ではありません。

 

数多の儀礼・儀式の中で最も洗練されてきたものは宗教のものといえます。神や仏と繋がる儀式は、永い時間を経て結晶度の高い美しさがあると思います。

 

世界には人の数だけの儀礼・儀式があるのではないかと思うほどですが、それだけ人は人と繋がる必要があるということになります。

 

thT33VPS1G.jpg日本の儀礼・儀式の中で最も美しいものは天皇による祭祀といいますが、皇室はそれを秘事として公開していません。儀礼・儀式の祭主や斎主、司祭など主たる執行者は神仏と人、人と人、物と物を結ぶ事をすることに意義があり、執行者そのものの意味付けではないようです。その意味からすると「人々の幸せをただ願う」だけの天皇の儀式こそ、その頂点といえます。

日本文化は古神道、日本仏教、皇室の三つが大きな塊ですが、それらを包含し私たち誰でもが日常生活の中に実践できる儀礼・儀式こそ「茶の湯の茶事」ではないかと思います。

茶事には神事、仏事、祭事、祝事、食事、芸事など人を結びつける様々な事々が詰まっています。

 

茶の湯のステージ造りを目指す造営計画の本意は、将来に向けた儀礼・儀式の具現化といえます。

今、具現化の構想を練り直し、当初の計画を描き直しています。

もう少しでまとまる予定です。

写真:上 飛騨一之宮「水無神社」の祭事 

   下 天皇の秘儀

  TP 裏千家による「供茶式(くちゃしき)」

 

2017年4月1日

2017年2月24日
造営の仕組み-3

IMG_3174.JPG1.「空想・想い描く」-3

 

茶の湯のステージ造営の構想は上空何万メートルから始まっています。

この地球上にある日本という国の、静岡県東部の三島市で富士山が北に位置し、西に川が流れ、三嶋大社に近い所。

 

そのような土地があるかどうか10年前は分かりませんでしたが、構想を立て始めた頃、富士山を観ながらそぞろ歩きの時、「ああ、ここがそうか」と気がつきました。

 

北に富士、東に箱根から連なる十国峠、日金山、南に開け、西に川。

 

「この周辺なら造営できるかもしれない」

そう思うに至り、土地の調査を始めました。結果、幾つかの条件をクリア―すれば取得可能であることが分かりました。

思いは続きます。

 

基本構想は三ヶ月ほどでまとまりましたが、実践のための施策を講じました。いつものことですが、設計構想を実現させるための重要な関門です。

 

まず、自分の考え方が天地自然の理にかなっているのか。

私が思いを新たにしたのは、本物の「木の建築」ができるのか、ということです。

 

IMG_3169.JPG昨今は世の流行に迎合するかのように、木でなくても良い所に木を使い、これで林業が発展し、和の文化の発展に寄与するというような、大儀まで掲げているのを見かけます。新国立競技場は木材を見せ、日本文化のエッセンスがここにあるという類のものです。

また、燃えない木を開発しようとする試みも笑止千万というものです。

 

材料として燃える、腐る、の二大欠点を克服しようとする努力は、経済的利を得るためのもので、薬液注入などの考え方は生きている木に失礼なことです。

 

木は燃える、腐るのが普通であって、先人はその特性を生かし、環境や人間に相応しい使い方を提案し実践してきています。過去4万年の蓄積がそれを立証しています。

近代の鉄骨や鉄筋コンクリート材の目覚ましい発展といいますが、高々二百年ほどのもの。つまり列島に住む人たちの生存にかかる叡智の蓄積は木造建築にあり、その優れたところを継続し継承することが建築家の責任でもあると思います。

 

現代の木造建築は木造にあらず。本物の木造建築を考えるのが天地自然の理にかなうというものです。

 

これが構想の全体を覆おえるように、まず、都市計画法、建築基準法など建築関連法のチェックに向きあいました。

 

「考えを深め」、「教えを請い」、「計画を創る」。

先人は「考える」、「聞く」、「創る」という言い回しでそれを教えています。

 

 

写真:柱の継手「独鈷組(とっこぐみ)」日本独自の技

 

 

2017年2月24日

2017年2月10日
造営の仕組み-2

fig487.gif1.「空想・想い描く」-2

 子供の頃、父方の親戚は伊豆半島西海岸沿いに多いと聞いていました。

記憶に残っているルーツ話は、源頼朝が鎌倉に幕府を開く時、関東一円から大勢の工人を呼び寄せ、その折京都から招かれた工匠たちがいて、彼らは神社仏閣の造営に携わったといます。

 

伊豆に流された頼朝は、伊豆と三嶋大社との縁の深かったこともあり、工匠たちに神社仏閣の造営をさせたようで、三島から韮山、中伊豆にかけて鎌倉時代創建の寺院が多いのはそのためで、北条政子の実家である執権北条家の故郷ということもあったと聞きました。

 

その工匠の中から、気候温暖で住みやすいこの地に住み着いた者たちがいました。彼らは京、大阪の、最先端都市で仕事をしていたこともあり、この田舎では大いに歓待を受け、地元の娘を娶り一家を構えるようになったようです。

 

やがて彼らの中から、館や住宅の仕事ばかりではなく、難しい仕事といわれる船大工になった者たちが出て、より高度な船造りをしたとのことです。

昭和30年代まで伊豆西海岸一帯に腕の優れた船大工がいた訳は、遠く鎌倉時代に遡るということになるようです。

 

th[3].jpg江戸の安政元年、伊豆・下田一帯は安政南海地震と、大津波に見舞われました。
ロシアのフリゲート艦が下田に入港していて大破し、破損した船体を修復すべく、幕府の許しを得て戸田村へ向かったディアナ号は、途中風波に遭い沈没しました。

遭難したロシア人たちは、宮島村(静岡県富士市)に上陸して、救難対策を講じられていた。地元民は大地震の被災後で自分たちの衣食住もままならぬのに、親身になって手を差し伸べました。

艦長のプチャーチンは日露和親条約締結後、帰国用の代替船の建造を幕府に願い出て許可され、戸田村・牛ケ洞における帆船の建造が始まり、日本人官民合同で300人と、ロシア人500人が加わり、日本史上稀に見る日露合同プロジェクトが展開された。洋式帆船建造は着工から三ヶ月という短期間で、2本マストの小さな帆船が竣工し、これを「ヘダ号」と名付けたといいます。

「ヘダ号」はロシアのニコライエフスクまで航行し船員は無事帰還し、これを機に日露の友好が進んだといいます。

 

thXHTBN0KM.jpgこの時の戸田村の大工の一人が私の父方の先祖のひとりだと聞きました。

戸田や田子、浮橋方面に親戚が多かったのは、大工が京から仕事に来たことから始まったとのことでした。

その大工の親、そのまた親とずっと先に辿って行くと、縄文期や旧石器時代、原日本人に行き着きます。

私が木の建築造りに勤しんでいるのは、案外、輪廻転生の生まれ変わりの意識かもしれないと、この頃思うようになりました。

 

「三島御寮」造営プランは、先祖さんが一緒にやっているように思う時があります。そのように考えれば、自分が見たこともないような建築のすがた・かたちが現れてくるのも合点が行くというものです。

 

私もいずれ先祖の仲間入り。

有難いことだと思っています。

                                                                                                                                                                                                      画像:「ヘダ号」の図面と模型

 

2017年2月10日

2017年2月5日
造営の仕組み

IMG_20170206_0001.jpg「三島御寮」造営計画は七つの仕組みから成り立っています。

 

1.空想  想い描く

2.創る  思い定める

3.段取る  準備する

4.地を得る

5.建てる

6.使う

7.護り育てる

 

1.「空想・想い描く」

20年ほど前に思いめぐらせたことに始まります。

当時は12年かけて建立した岐阜瑞龍寺僧堂の大改築が無事円成を迎える頃でした。その頃ボンヤリと考えていたことが、木造建築造営の継承でした。

(先人が伝えてきた日本の智慧が木の建築に結晶している。いつか自分もこの素晴らしさを次代に伝えられるようになれるといいな・・・)

 

このボンヤリは松尾流家元好みの茶室の造営後(岐阜・白鶴亭)に、ある確信として私の意思のようなものになってきました。

 

ある未明、何時ものようにうつらうつらした夢の中で、空から見えたものが幾つもの甍を繋いだ建築群でした。

白い富士の威容が見えました。不動明王も現れました。

今風にいうとドローンで鳥瞰したような感じでした。

この朝から夢で見た光景が私の脳裏に棲みつき、やがて20年ほど想いめぐらせていたすがたがはっきりしてきました。

 

「自分で思うような木の建築を造営してみたい!」。そう思うに至りました。

 

建築の設計監理を通じ考えていたことは、縄文期より造られてきた日本の優れた伝統文化の結晶である木の建築でした。

 

先ず取りかかったのは、木の建築を造るために自分は何をしたいのかをまとめる作業でした。

『Sの計画・木の建築ルネッサンス』はそのための出版でした。

原稿を書いていて気が付いたことは、「日本のすがた・かたち」でした。

この執筆を経て私の裡に大きな目標が現われました。

 

上梓から12年。24世紀に向けて志向は高揚しています。

 

 

写真:岐阜 瑞龍寺僧堂

 TP 現れた不動明王のスケッチ

                                                                                                                                                                                                                 

2017年2月5日