Sのプロジェクト

2021年1月2日
2万年の文化遺産

 

令和三年の元旦は庭で初陽を浴び、神仏にお参りし、雑煮とおせち料理に始まりました。例年になく静かな正月で、猛威を振るっている新型コロナの影響の大きさが身に染みます。

昨年の後半は数件のプロジェクトが同時進行したこともあり、過去にない忙しさと出会いました。これから数年間はこの状態が続きそうです。

 

その仕事のひとつに、茶室の改修工事があります。

茶室「山月庵」は、宗教家岡田茂吉の構想で昭和25年(1950)に完成し、工事は数寄屋工匠三代木村清兵衛などが手掛け、創建当初から高い評価を得ていたものです。敷地は昨年、2020年に国の名勝指定の答申を受けた箱根強羅の「神仙郷」庭園のほぼ中央に位置し、三重露地ともいえる稀有な環境下に建てられています。創建から70年目の去年、令和大修理の運びとなりました。

 

いよいよ工事が始まった直後の2020年12月17日、ユネスコ(国連教育科学文化機関)が、無形文化遺産に日本の宮大工や左官職人らが継承する「伝統建築工匠(こうしょう)の技・木造建造物を受け継ぐための伝統技術」を登録決定しました。

この改修工事は、屋根工事の茅葺き、杮(こけら)葺き、檜皮(ひわだ)葺きを始め、数寄屋工匠、土塗りの左官職、畳職、建具職、経師の他、露地工事の庭師まで参加する、まさに、「伝統技術の塊」といえる職人集団の、伝統技術継承プロジェクトともいえるもので、偶然とはいえ文化遺産登録と重なったご縁に驚いたものです。

 

私は今までインド、ネパール、ブータン、タイ、中国、韓国などの伝統的木造建築を見てきましたが、それぞれの国には民族特有の様式や作風があり、どれが、というものではなく、伝統技術がどれほど永く継承されているかに興味を持ちました。そして何時しか伝統建築が、伝統というすがた・かたちとして継承されているのはその地域の気候風土による、との思うに至り、それを継承するかしないかは、民族固有の価値観というか、生活への美意識によるものと考えるようになりました。

 

我が国の伝統建築の基は旧石器時代から約2万年前に遡るといわれます。その頃から木、草、土、石やそれから得られる材料を使い、道具や技術を高度化しながら今日に至っています。縄文時代に使われた石器道具の殆どは、今日まで継承されているものの原型とされます。

これらの伝統建築を時代に合わせ近代化し、色濃く継承してきた民族は少なく、今や日本人の独壇場といっても過言ではないようです。

 

私は改修工事に携わるひとりとして、またこれから30年、50年と次代が継承してくれることを念じながら取り組みたいと思っています。

 

造営主の意図と創建当時のすがた・かたちを可能な限り復元し、先人の英知を探りながら、それをまた次の世代が用いてもらえるように。永い歴史という時間を携えながら、先人がしてきたように…。

2万年前の先祖がしてきたように…。

伝統の香りに浸りながら…。

 

写真:上下 「新建築}1952年1月号より

 

 

 


2021年1月2日