日本のすがた・かたち

2018年11月14日
想像力

パソコンに向かっている私の眼は凝視時間2時間ほどが限界で、眼が疲れを訴え、散歩を要求してきます。

市内散歩コースはABCの3つあって、その中に滝を観る川沿いCコースがあります。ほんの5分ほどにある滝は思いのほか水量があって、川幅30メートルほどが20mほどの高さから落ちています。
段差の下の滝壺近くから見上げると、地響きを感じるほどの圧倒的なエネルギーを感じ、眼を休ませるには格好の場になっています。

その滝は、大雨の後の瀑布に不思議な光景を呈すことがあります。
ジッと滝を観ていると、水の凄まじさや陽の光りを受けて虹が立つ中に、滝壺から昇る龍がすがたを現わすのです。

躍動する昇龍のすがたは、まるでこの世から隔絶する異次元の空間の有様のようで、戦慄すら覚えることがあります。それに遭遇した時の得も言われぬ爽快感は、独り秘かに浸ることのできる珠玉の時間となっています。

 

先年、熊野の那智の大滝で、滝を観ていたら滝の中から無数の仏たちが合掌した姿で現れ、思わず合掌していたことがあります。
それは滝が背後の岩にぶつかり、飛沫がその姿を彷彿とさせたものですが、私には眼をこすっても諸仏の姿に見えたのです。

この地上の生物は、自然の営みの中に神や仏を感じ、その姿を想像しているようです。それは人間ばかりではないような気がします。地球上にはその事象が限りなく存在し、観るものによって変幻万化しているように思います。

その中で人間は、雷や地震という自然現象に怖れを抱き、同じ生きものである亀や鶴、十二支の動物たちにも神仏の姿を観て、象や蝉、蛙や蟻までにも神格を観ています。
人間の想像力は、凡そ生活の周辺にあるモノやコトを畏怖する能力を具備し、信じられないほどの奥行きをもって宇宙にまで向っています。

 

私は今、水神である龍のすがたを新たにデザインしようとしています。
古伝に、「龍の九つに似たる、角は鹿、頭は駝、眼は兎、項は蛇、腹は蜃、鱗は魚、爪は鷹、掌は虎、耳は牛」とあります。この想像上の生きものが数千年を経て今、何故、私がデザインしようとしているのか。この時空を超えた不思議さに、ただ頭を垂れるばかりです。

 

芸術の根源は自然の事象の変幻万化を感受することのように思われます。それはまた、人智を超えるものに遭遇し続ける運動のような気がしています。

 

   水神の龍なるすがたは何処かと たずねる果ては宙(そら)にあるとや

 

 

写真:鮎止めの滝

 

 

2018年11月14日

2018年10月23日
妄想の舞台

来月末に茶事を行うことにしています。
例年、春や秋に催してきた茶事は今年で30年余となります。

茶事の面白さの説明は難しく、面倒くさい中にある自己肯定というか、自由への開放というか、いずれにしても一会が済んだ後の心地良さに止められない、というが実感です。
少し改まっていえば「時の堪能」ということになりそうです。

招く人を決め、連絡をして半年前から準備を始めます。
一会の主題は「床掛物」にあるため、正客となる方を楽しませ、頷かせ、そして一時を堪能して頂くために掛物を選びます。「道具の第一は床掛物」とは利休居士の言です。

他の道具は、客の顔ぶれを見て夫々が楽しめるように工夫します。道具を組む時の面白さは小説のストーリーを考える時に酷似します。
また茶事は、「禅の精神性と能の演劇性」によって初座、仲立、後座の三部構成に組み立てられているため、これがまた企画や構成、演出に直結することになります。
そして、その舞台が建築というかたちに結晶しています。

 

建築は人間の生活の器ですが、その中身は人それぞれに違う暮らしの舞台となります。
身体の不自由な方はそれなりに、健常者、幼児、高齢者、仕事柄など、それぞれに適した生活の装置ということになります。住いは住居で、茶の湯は茶室で…、と。
先人はそのための建築を創造し、工夫し造ってきました。

人間は何かの真理を訪ねる時、必ずしもその専門分野でしか訪ねられないということではなく、却って全く関係のない真逆の事象によって理解できることがあります。
私にとっての茶事は、まさにその真逆の舞台といえるもので、生業としている建築の設計を覚醒させ、堪能させる装置となっているようです。

 

我が国の文化の塊である神道、日本仏教、皇室、そして茶の湯。
近年、その精華は世界の人々に刺激を与え、中でも茶の湯は人との和(環)を創出するために編み出された仕組みとして、注目されているようです。

僅か四時間に全てをかける茶事の特異性は、刻々に生きる命のやり取りだと思っています。

さあ、超多用なれど、客の喜ぶ顔を想像しながら、明日もまた妄想の舞台準備へ…。

 

写真:近作茶杓

 

2018年10月23日

2018年10月8日
縄文の風

(縄文土器が眼の前に…)
(火焔土器…圧巻の美しさだ…)

以前から縄文時代に気を惹かれていることもあり、先月、上野の国立博物館に出かけました。
勿論、世界最古の土器群を拝観するためでした。

展示は古代の外国土器との比較もなされていました。
現在、世界最古といわれているのが、青森県大平山元(おおだいらやまもと)遺跡出土の模様のない無文土器で約1万6500年前のものといわれています。その後、1万4500年前頃には、粘土のひもを貼り付けた「隆線文土器」が生まれ、全国に広がって行きました。

縄文の火焔型土器は他国のものより時代が遥かに古いのに、この圧巻の美しさは何だろう、と、この1か月の間考えていました。

教科書で学んだ文明観では、石器時代の人類は狩猟・採集による移動生活を送っていて、約1万2千年前から、世界各地で農耕や牧畜を始め、定住生活ができるようになったとされ、文明はこの頃から始まったというものでした。
ならば1万5千年前から始まったという我が国の縄文時代は、学説の文明観の範疇に入らないことになる分けです。我々の先祖は、既に狩猟や採集をしながら定住生活をしていた世界最古の文明ということになります。しかも土器は、文明のレベルの顕れといわれます。

 

日本列島の自然の一部として暮らしてきた先祖は、四季折々の豊かな食物に恵まれ、争いをせず、国連のいう「持続可能な開発」(Sustainable Development)を実践していた「奇跡の民たち」といえそうです。
農耕・牧畜は狩猟・採集よりは進んだ文明段階であると考えられてきましたが、現代に至ってメソポタミア、エジプト、インダス、中国の黄河流域がみな砂漠化している事実を見れば、農耕・牧畜が自然破壊を伴っていることがよく分かります。

 

縄文は「円の文明」ともいわれます。
当時の竪穴住居は平面が円形で、円(車座)となって生活していたといいます。分け隔てのない人の円(縁)を感じさせます。住いはその時代の精神や生活様式を現わし、文化文明の結晶ということになります。建築が人間の生活環境と文化をかたちづくる基本的要件とされる所以です。

縄文期の建築に想いを馳せ、私は昭和・平成の建築造りを仕事としていることを実感しています。

縄文時代に生きた人々が自然の中で順応して生きた健やかさも…。
自分が縄文人の末裔であり、日本列島に生まれたことも。

   国博に縄文の美や横溢す 円かなる風そよぐ我にも

 

 

写真:縄文中期「火焔型土器」伝新潟県十日町信濃川付近(馬高遺跡)出土
紀元前3000年
下:縄文後期「猿形土偶」伝埼玉県さいたま市(旧岩槻市)真福寺貝塚周辺出土
紀元前1000年

 

 

2018年10月8日

2018年10月2日
青春の日々

「じっとこうして」
じっとこのまま 離れないで
もっと こうして 私を抱いて
夜の闇に 恋をまかせて
あなたの熱い 吐息の下で
けだるく あえいで 肌もあらわに
私の生命を 燃やしたいの
何も云わず みんなゆだねて
朝まで このまま 離れないで
モナムール

「ラ・ボエーム」、「ラ・マンマ」、「世界の果て」、「じっとこうして」などの大ヒットを生んだ、フランスのシャンソン歌手シャルル・アズナブール氏が1日亡くなりました。
訃報を聞いた私は、青春の日々が去ったと思いました。
「ラ・ボエーム」1955年、「じっとこうして」1965年、シャルル・アズナブールの作詞や作曲で世に出て、いち早く銀座の「銀巴里」で美輪明宏や金子由香利たちによって歌われていました。アズナブールの名を知ったのもこれらの歌からでした。
以来、シャンソンは私の青春を彩り、中でも「じっとこうして」は私の官能を刺激し、今でも口ずさんでいます。
(亡くなったか…、青春が潰えてゆく…)実感がありました。

 

人生時間は人それぞれに在り、それぞれのすがた・かたちがあります。
生きている間の人生時間は自分だけのものであり、貸し借りはできません。
過去と人の性格は変えられないとは先賢の言。ならば折り合いをつけて生きて行く他はなく、その折り合いの付け方を励まし、支えるのが文学や歌のような気がします。そして人品を高見に誘うのは、美しさの漂う緊張感…。

この日の朝、ノーベル賞を受賞した本庶佑氏の人生訓を聞いて、「今ココ」の自己を生きている人がいる、アズナブールと同じ、まるで禅の高僧のようだと思いました。
「好奇心と道連れ、人の言は疑ってかかる」、とはけだし名言。
40数年前、建築家を志し、何よりも自分の眼を信じて生きてきた道筋がこの言に似ていました。

今日も「じっとこうして」を唄い、建築の道連れだったことを確認し、アズナブール氏の冥福を祈りました。

 

写真:歌うアズナブール

 

2018年10月2日

2018年9月9日
通常気象災害

常々自然の気象には異常というものはない、というのが私見です。
異常と通常との境目は学問上の統計が根拠となっていて、その歴史は精々百年程のものです。
48億年という地球の年齢からすれば、ほんの瞬きでしかない時間の計測が私たちの判断基準としている方が異常なことのように思います。

 

最近発生した災害は、「2016年4月:熊本地震」、「2019年6月:大阪北部地震」、
「2018年7月:西日本豪雨」、そして復旧に追われている「2018年:台風21号」、2018年9月6日:北海道胆振東部地震」と枚挙にいとまがありません。
いずれもが甚大な被害を受けて死者も多く出ています。
これらを異常とか想定外とかという基準で判断できるものではないようです。

 

我が国の記録に残る災害は,1000年代以前の白鳳地震(東海地震・南海地震):684年11月29日に発生したM8.4(くらい)の地震から始まり、10万人の死者が出たという「関東大震災」(1923年9月1日に発生したM7.9の地震)までに発生した大災害は66回です。以降、北海道胆振東部地震まで85回。
有史以来、約1500年の間に起きた大災害は150余といわれています。これらはいずれも想定外といわれています。

自然事象に対抗し、ましてや征服するということは愚かなことだと先賢は看破しています。人間が生きて行く上で、どうしても変えられない最大のものは「自然の事象」といわれます。また「過去」と「他人の人格」も変えることはできないもので、これらに上手く付き合っていくには「折り合いを付けて行く」以外にないようです。

災害対策には妙案はなく、災害に備えできる限りの準備をし、後は事象に任せ、皆で力を合わせ復旧、復興をして行く以外にないように思います。そしてこの繰り返しの知恵を次代に伝達できるようにすることだと思います。

私たちは生息地域の気候風土に育まれて生活しています。空気、水、食料、住い、衣服、エネルギーなどを得て暮らしています。

自然の循環に逆らわず、順応し、折り合いを付けながら、地域特有のエネルギーをシンプルな方法で得て暮らして行く知恵を持ち、次代に伝えて行く…。

私は木の建築を設計しながら、この自然界の中で順応し、使う人たちが健やかで美しい生活を目指してくれるようにと念ずるものです。水、木、石、土など、これらを用いて実現を夢見る昨今です。

太陽光発電ではなく、水力発電を多くすることも併せて…。

 

    被災され亡くなった方のご冥福をお祈り致します。

 

写真:地震で発生した北海道厚真町の土砂崩れ現場=6日午前8時21分(共同)

 

 

2018年9月9日

2018年8月29日
猿人・原人・原生人類と建築

この夏の猛暑は70年の間で最高レベルとのことです。
それに加えて忙しさも最高レベルで、汗まみれの日々が続いています。

最近の人類学研究では、440万年前にエチオピアの森に棲んでいたラミダス猿人というチンパンジーとも人間とも違う二足歩行の生きものは、一夫一婦制でメスの獲得にエネルギーを使わないことで子孫を残し、子育を手伝っていたといわれています。

370万年前にはアファレンシスへ進化し、彼らは仲間を持つに至り、240年前にはホモ・ハビリスとボイセイに分かれこの頃には既に石器を使用し、道具をもつ人になっていたとのことです。
その後に出現したホモ・エレクトゥスは走るのが得意で、およそ180万から7万年前まで生きていて、150-100万年前、更新世初期に肉食により脳が大きくなり、精巧な道具を作りその子孫がアフリカ、アジア、ヨーロッパの各地に分散したといいます。
ネアンデルタール人、ホモ・サピエンス(現生人類)などがそれに続き、洞窟から海岸へ出て、アムール貝などの未知なる食料を得て海を渡ったとされています。

そのホモ・サピエンスの子孫が私たちで、440万年前の血を受けついていることになります。
ヨーロッパ人と日本人の共通祖先の分岐年代は、7万年前±1万3000年であると推定されています。

私が人類の進化に関心が高いひとつに住いがあります。先人はどのようなところに住んでいたかということです。
日本人にとっての手がかりは縄文時代の1万5千年前ころからのものですが、7万年前に始まり、1万年前まで続いた最終氷河期が終わったころ、祖先は既に森の木を利用して住いをつくり集落を形成したのだろうと思います。

縄文早期の建築は雨露をしのぐために造られたと思います。
平地の近くの木を使い、蔓で結び、草や葉を掛け、土を載せた屋根を作り、火を使い、土器を作り、家族で住んでいたと推測されます。土、石、木、草や葉などの自然材料を加工したものが構成材料です。

森林で覆われた日本列島では早くから木造建築が造られ、それが弥生時代に受け継がれ、古墳時代、飛鳥、奈良、平安、鎌倉、室町、桃山、江戸と受け継がれ、今日に至っています。
特筆すべきは、世界に類例を見ない大材を用いた寺院建築から細い自然木を用いた茶室建築に至った1500年の建築文化の変遷です。
奈良仏教から禅宗にいたる伽藍、神社建築、寝殿造り、書院造り、民家、城郭、町屋、数寄屋(茶室)建築への変遷は、まさに日本人の精神性や風習、風俗などの文化の息吹が見てとれるものです。

私は建築家を志して40数年経ちますが、先人が手で造ってきた木造建築のすがた・かたちを見る度に、気候風土が生み出した日本人の優れた特性を見つけ出し、自分はその子孫だといつも思います。

先人は大昔から営々と木の建築を造ってきました。
私もその一員として、後の人たちのお役に立つ仕事を目指しています。
暑さと忙しさも、木の香りと共にあれば・・・。

 

写真:ホモ・エレクトスの模型(Web・ウキペディアより)

 

2018年8月29日

2018年8月15日
「治山治水」再考の時かと

40数年前、静岡県伊東市鎌田に造られた「奥野ダム」の管理棟の設計を担当しました。
その折に我が国の水力発電の歴史や実態を知ることになりました。
勿論、ダムに関する仕事は初めてだったこともあり、日本の戦後の高度成長期を支えた電気エネルギー源の殆どが水力と火力であったことを知り、ダムの重要さを思い知らされることになりました。

奥野ダムは「中央土質遮水壁型・ロックフィルダム」という形式のもので、1972年に着工され1989年に竣工しました。
ダム建設に伴い奥野地区27世帯が移転を余儀無くされたとのことを聞き、仕事の重さを一層感じたものでした。

ダムの景観の中に設計する管理棟は、それまで設計してきた建築とはスケール感が異なり、街中や公園、宗教施設とは趣が違います。ましてやその折には茶室の小間席の設計も同時進行でした。
悩んだ挙句、「ダムのシンボル」をテーマにデザインし、設計主旨書を県に提出し、承認を得ました。

この仕事の完成後から、日本の森林と電気エネルギーについて考えるようになりました。
その後、原子力発電に頼り大きな試練を経ながら現在に至っている訳ですが、最近の豪雨や台風による災害を見るにつけ、先人が勧めてきた「治山治水」の重要さもさることながら、日本国土が生み出せる「水力発電」による電気エネルギー確保を再考したらどうか、と・・・。
アリババの会長は、ビックデータは「現代の石油」だといっていますが、日本のダムは「未来の石油貯蔵湖」になる可能性があるのではないかと思います。

自然の有様は人間の尺度を超え、私たちはそれに順応して生きて行く他はありません。どう考えても対抗し、征服は不可能で、過去を見ても予想外の事象ばかりです。

ダムを再考し、改修し、水に逆らうことのない工夫をし、日本の日本による電気エネルギーを創出することがこれからの課題ではないかと思われてなりません。

災害時の流木による氾濫、洪水、土砂崩れなど、水エネルギーの恐ろしさを見るにつけ、森林の管理方法と水エネルギーの確保を30年スパンで考え、実行に移すべく行動を起こす時が来たと思います。

金儲けのための太陽光発電は自然の営みから離れて行くシステムに思えます。
私たちは自然の循環サイクルから遠ざかれば遠ざかるほど、痛い目に遭うようになっているようです。

 

写真:「奥野ダム・管理棟」 ふじのくに静岡県公式ホームページより
http://www.okunodam.jp/

 

 

 

2018年8月15日

2018年8月7日
ジャズ&花火

「サマータイム」を聴きながら若い頃と建築について回想していました。

60年も前、ハリーべラフォンテの「バナナボート」がヒットしていた頃、ジャズに出会いました。鈴木章治の「鈴懸の道」、シルオースチンの「サマータイム」、「バラの刺青」、オスカーピーターソンやロバートアイラーのフリージャズと共に、よく新宿のジャズバーで聴いていたことを思い出します。
その後もジャズとの縁は続き、今に至っては仕事場のBGMの殆どがジャズとなっています。

数多くい中の一曲と問われると、シルオースチンの「サマータイム」と答えています。
この曲には数々の思い出がついて回っていて、自分の人生の喜怒哀楽が織り込まれているように思えることです。また哀調の旋律が私の好みということもあり、何時聴いても過ごしてきた時がそこに蘇ってきます。

熱海・水晶殿ジャズライブに招待を受け、久し振りに生ライブを聴くことができました。
市内にあるジャズクラブのピアノトリオとサックス奏者の出演でした。
「サマータイム」、「スピリチュアル ユニティ」、「スピリッツ リジョイス」、「セービングオールマイ ラブ フォー ユー」、「人生のメリーゴーランド」など好みの曲ばかりでした。

ジャズはピアノやサックスだけでも聞けますが、ベースとドラムスが加わると、俄然生きもののような様相を呈してきます。
この夜はドラムスが良く、二時間余、堪能しました。
最後の「チュニジアの夜」が演奏されると、綺麗な熱海の夜景に花火が打ちあがり、この演出の良さも相まって、改めてステージである水晶殿の存在を思いました。

熱海駅の高台にある「水晶殿」は岡田茂吉翁の設計で戦後造られた建築です。
この熱海随一の名建築は茂吉翁の、「多くの人々に美しい生活をしてもらいたい」との願いで造営されたものです。
その願いの通り、300人ほどを容れたホールは品の良い美しい香りに包まれていました。

優れた建築を造るには、施主、設計者、施工者がいずれも優れていることが必要です。三位一体が醸し出す旋律に似て、「和」を尊ぶジャズも建築を造ることも同じだと花火を観ながら思い、先年、建築家として、この水晶殿の改修設計監理の任に就いたことを誇りに思っていました。

 

ライブを催して頂いた皆さんに深謝九拝。

 

「小柄でネ…」
〽 浴衣姿が好みだけれど それに笑顔じゃ 目がタレル

 

 

 

2018年8月7日

2018年7月31日
言葉と道具

避暑と調査を兼ね北海道へ旅をしてきました。
逆走した台風12号を尻目に良かったとも思いましたが、行ってみると連日35度超えの酷暑でした。
今年は地球規模の異常気象だそうで、私たちは今、自然には正常も異常もなく、想定内も外もないことを知らされています。
自然は気候風土を作り、生物はその中で順応し生き延びて行く他はなく、異常気象も人間の勝手な基準といえます。

 

北の縄文文化は近年の研究により、様々な学説が覆され、改めて発掘に依らない仮説の危うさを思い知らされています。
中でも木造建造物に関しては眉唾ものが多く、今では毛皮のパンツをはき、石の槍を持った縄文人像をいう人は少なくなりましたが、草葺き屋根の復元建築物に至っては、もはや信をおけないものとなっています。
木材は腐食により形が遺らないため、竪穴の跡を見て現代人が勝手に想像するほかはないため、殆どが怪しげな復元となります。
私は、竪穴跡は見せても、住居復元はしない方が良いという立場をとっています。なぜなら現代人で見たことのある人はいないからです。

 

現在の学説では、我が国の木造建築の歴史は縄文時代からといわれていますが、私は1万五千年前からではなく、先祖は後期旧石器時代の3万年前から森や海の民として木や草や石を利用して暮らしていたと推測しています。
その証拠は道具にあるとみています。

 

先日、東博で縄文展を観ましたが、石器の発達が木や草、石の加工の歴史を作ったのだと改めて思いました。
縄文草創期には既に石器などにより、竪穴住居が造られていて、その始まりは旧石器時代に遡ると思います。
約4万5千年前の第一亜間氷期は1万年以上続いたといわれ、それからの温暖期はヒトが人類社会を完成し,氏族共同体を構成して飛躍的に生産性を高めた新人が登場したといわれています。その生産力を高めたものこそ道具というものでした。

 

人類は「ことば」を生み、言葉は道具を生み出しました。
人類の歴史は道具に依って展開して来たといっても過言ではありません。
言葉はすがたを創る道具であり、道具はかたちを造る道具といえます。

人間の強い想念は、形になるべくして空間に未分化して溶けて在るといいます。
想念もまた言葉によって組み立てられているものです。

 

北の大地で、言葉はヒトが知能を持つ以前に在った、と、旨いビールを飲みながら空想に耽っていました。

 

写真:「札幌ビール旧工場」

 

 

2018年7月31日

2018年7月14日
土と石と木

このところの猛暑は記録的のようです。
年々熱中症に気を付けるようにしていますが、子供の頃から塩分や水分補給などの習慣がなかったせいか、余り対策はしていないのが現状です。
三日前、庭の椿の葉に蝉の抜け殻があって、この夏も蝉しぐれが近いことを知らされました。刻々と季節は巡っていることを…。

 

去年の九州北部豪雨で40人もの死者を出し、今回の西日本豪雨では200人以上が予想され、現在なお新たな災害が心配されています。
地震、火山噴火などと共に日本列島は災害列島であることは論を待たず、いかに先祖たちが工夫し治山治水に心がけてきたのかが偲ばれます。

 

今日、首相官邸で開いた西日本豪雨の非常災害対策本部会議で、今回の豪雨を「特定非常災害」に指定すると発表されました。西日本豪雨は特定非常災害の指定としては東日本大震災や熊本地震などこれまで4件の中で、豪雨での適用は初めてとなります。
いかに被害が甚大で、復旧が大地震に匹敵するものかが理解できます。

 

TVのニュースで豪雨による河川の氾濫をみると、山崩れによる土砂と流木が橋を破壊し、氾濫が起きている様子が映ります。
流木は植林した沢沿いのものが多く、植樹を限りなくした後、間伐を怠ったことにより、陽が当たらなくなった地面は痩せ、しっかり根を張れなくなった木が多くなったことも流木が多くなった原因といわれています。

 

対策は林業保護の補助金制度とされていますが、私は、「植えて育てて伐って使う」、という循環サイクルが破綻していることにあるとみています。「植えて、放置し、使わない」という人間の身勝手が流木氾濫の原因といっても良いと思います。

 

先人は、生活を気候風土の中で工夫し、知恵を伝え、継承してきました。
自然は猛威ではなく、畏れながらもその中でたおやかに生きる術を伝えてきました。
日本人のDNAには自然は征服するものではなく、恭順しながらその中で子孫を残して行くというものでした。土、石、木による木造建築は自然の中で生活するその最たるものといえました。

 

災害に遭うたびに、決して自然には想定内はなく、自然の恵みに生かされる生活を目指すことが良いと学ばせてもらっているのではないかと思います。

私の仕事は限りがあっても、木の建築を創り、次代に伝え、また次の時代に伝えてくれるように念じながら…、今日もまた…。

被災され亡くなった方の冥福を祈り、一時も早い復旧と復興を願い、僅かな支援をさせて頂きます。

合掌

 

 

 

 

2018年7月14日