日本のすがた・かたち

2019年11月11日
大嘗宮の儀

今日11月10の「祝賀御列の儀」をもって国事による天皇即位礼のすべての儀式が終わりました。

続いて11月14~15日から皇室行事の大嘗祭「大嘗宮の儀」が行われます。
「大嘗祭(だいじょうさい)」は、毎年11月に宮中祭祀(きゅうちゅうさいし)として行われる「新嘗祭(にいなめさい)」を即位後、初めて大規模に行うもので、皇位の相続儀礼とも即位儀礼とも異なる、我が国独自の天皇霊継承儀式で、その儀礼の中に、神・天照大神と人・皇位継承者とが共に寝て、共に食す、という一世に一度の重要な秘儀があります。

この度も、その年の新穀を二つの地域から選定し(4月)、稲の抜き穂行事(9月)、酒の製造、貢納物の調達、神服の用意(10~11月)。禊の行事(10月下旬)。仮宮殿の造営(10月末完成)。神・天皇に対する奉納(11月14日)。大嘗祭—悠起殿・主基殿の儀(11月14日の夜から翌朝の暁まで)へと進みます。

 

儀礼の次第は、天皇は事前に宮殿にて「大忌御湯」である聖水による沐浴をし、11月4日当日に大嘗宮「回立殿」で「小忌の御湯」という沐浴による禊祓の儀を行います。この時天皇は「天羽衣」なる湯帷子に着替え、湯桶に入り、次いでそれを脱ぎ捨て、上がってから別の「天羽衣」に着替えます。この沐浴のというプロセスを経て、新帝は「神の資格」を得る、と伝えられています。
それは、鎮魂の式による霊の復活と新しい生命の誕生を現わしていて、復活蘇生までの間、物忌みのために身につけていたのが天羽衣で、それを脱ぎ捨てて、はじめて「成年」になるとされ、この天羽衣の脱着が、天皇の心身に呪的な変化を起こさせる重要な秘儀とされます。

そして深夜、天皇は悠起殿・主基殿に於いて天照大神と共寝共食の秘儀を行い「天皇霊」というカリスマ原理ともいうべき神格を得て蘇生されるとのことです。

私たちは、時代と共に変貌をとげてきた律令国家とその末裔でありますが、今日、大嘗祭のすがたを見てみると、日本のすがた・かたちが見えてきます。そして1300年の間、その主役は初代神武天皇から4代前の高祖母のヒルメムチ・天照大神に辿り着きます。
日本文化の大きな塊のひとつが皇室ですが、この度の天皇即位の一連の儀礼を見ていると、まさにその感を強くします。そして、日本人の人間観は平等ではなく、公平であると改めて思います。
そして、日本人で良かったと・・・。

 

この8月に大嘗宮の敷地を見学してきました。
そこは90メートル四方の敷地に大小約40棟の建屋で構成され、その中でも、天皇が湯あみと着替えをする廻立(かいりゅう)殿、その年に収穫された稲の初穂を供える悠紀(ゆき)殿と主基(すき)殿は、合わせて主要三殿と呼ばれ、古来の木造様式で建てる準備をしていました。

大嘗宮はこれからの行事の後、解体されます。その前の11月21日から一般公開されるといいます。
私は、令和日本人の造った美の粋を拝見したいと思っています。

 

写真: 伊勢神宮内宮正殿
下 令和の「大嘗宮」 Webヨリ

 

2019年11月11日

2019年11月1日
大炎上

10月31日の朝は市の文化財審議委員会の視察で、箱根八里を訪ねるため、バスで小田原城に移動していました。
車中、深秋の箱根道に晴れ渡る景色が爽やかに映っていましたが、私の心は沈んでいました。
未明の首里城の炎上の映像が目に浮かび、心が晴れませんでした。

そして、今日のNHKニュースをネットで見て、また胸が痛みました。

 

― 鮮やかな朱色がまぶしい首里城の修復に関わってきた漆塗り職人の男性は、焼け落ちた城を見たあとひとり、車の中でSNSにつぶやきました。

「建物なんて塗ったこともない漆職人が、あーだこーだいいながら塗り直してきた首里城が燃えちゃいました。
ほんとに泣けてきました。
漆のこともまだよくわかりもしなかった自分を育ててくれた首里城。
ナイチャーの自分が今こうして、沖縄で漆の仕事ができるのも首里城のおかげです。
感謝しかありません。
その首里城が燃えちゃいました。
13年かけてみんなで直してきた首里城が燃えちゃいました。
毎日、毎日塗ってきたんだけどなあ。
13年かけて塗り直した首里城が3時間で燃えつきました。
燃えちゃいました。
燃えちゃいました。
燃えちゃいました。」―

(2019年10月31日 20時39分 ネットワーク報道部記者 大窪奈緒子・郡義之)

 

私も建築を造るひとりとして一文に思わず涙しました。
そして、貴重な伝統建築が焼失したと同時に、積み重なってきた「文化」と「伝統」、「時間」が焼失したと思いました。

 

今日、政府は、沖縄の重要なシンボルで、復元に向けて、早急に対応する必要があるとして今年度の補正予算案に必要な経費を盛り込む方向で検討に入ったとのことです。
早くも再建に向けた動きが始まっています。

首里城に関する設計図書など、データは整備されているとのこと。

日本人は瞬く間に再建を成すことと思います。
私も微力ながらできることがあれば、と念じました。
SNSに投稿した漆職人のためにも…。

そして再度訪れてみたいと思いました。

 

写真:炎上する首里城 (NHKニュース)
下 焼失前の首里城

 

 

2019年11月1日

2019年10月25日
即位礼正殿の儀

令和元年10月22日の祝日は富士山の初冠雪の日でした。
雨上がりの、皇居の松の間で行われた「即位礼正殿の儀」は、まさに日本の儀礼・儀式というものでした。

天皇はそれに先立ち、宮中三殿の賢所に祭祀されている皇祖天照大神に、即位を奉告し、午後1時から「即位礼正殿の儀」で、天皇陛下が台座にのぼって、即位を内外に宣言するおことばを述べられました。

 

テレビ中継でこの一連の儀式を観ていた私は、奈良時代から天皇の即位に関する重要な儀式などで用いられてきた「高御座」の帳が開けられ天皇が現れた時、言い知れぬ感動の中にいました。
まさに、日本における最高の儀礼・儀式が目の前に展開されていると思ったからです。

 

平成十一年五月三十日、天城湯ヶ島町(現伊豆市)で第五十回全国植樹祭が行われ、その会場のメインステージ「天城の森・お野立所」の設計監理の任に就き、全国で初めてとなる本格的な木造建築を創りました。
当日、空は蒼く澄み渡り、両陛下(現上皇・上皇后)のお立ちになる姿を正面から拝し、建築家を志して二十余年、一心に生きてきて良かったと思い、親兄姉の顔が浮かび、両陛下の植樹される姿が、涙で見えなくなったことを覚えています。

 

その十三年後、皇太子(現天皇陛下)による育樹祭が行われ、建築家として招かれました。行事に先立ち農水大臣はじめ大勢の関係者の前で、設計主旨の話をさせて頂きました。
自分が設計したお野立所の中で、しかも、両陛下がお立になった場所で、と、不思議な気持ちがしていました。
その後、静岡のホテルの祝賀パーティーがあり、殿下と思いがけずに会話となりました。
殿下に設計意図を尋ねられ、「良い仕事をされましたね。」と労をねぎらわれました。
私は、植樹祭の折、両陛下がお野立所に立たれ、育樹祭で殿下が施肥をされるお姿に、日本のすがた・かたちをみる思いがしましたと、伝えました。

日本文化は神道、日本仏教、皇室の大きな塊でとらえることができますが、わけても皇室は二千年余の歴史を持つ文化の精華であり、日本そのものといっても過言ではありません。
191の国・機関が参席した儀礼・儀式こそ、世界に稀なる「和の国・日本」ならではの出来事といえるようです。

 

私は先人と同じように、日本文化の中に生を受け、その中に育ち、その中を継承し、その中を創り、その中を次代に伝えて行く、そのために生まれてきたように思います。
古き良きものに新たなものを重ねて行く、伝統とは、常に新しい未来志向の産物に他ならないようです。

 

儀式は、特定の信仰、信条、宗教によって、一定の形式、ルールに基づいて人間が行う、日常生活での行為とは異なる特別な行為で、宗教的色彩の薄いものは式典とも称され区別されています。また、儀礼は、秩序づけられた行為一般をいい、文化の中で形式化された行動をさすものですが、今回催された一連の「即位の礼正殿の儀」こそ、二千年余続く日本文化の精華である、と改めて思い致しました。

 

両陛下がのぼられた高さ6.5メートルの「高御座(たかみくら)」と5.5メートルの「御帳台(みちょうだい)」には、我が国の伝統建築の粋が集められ、造作に就く工人たちの誇りに満ちた顔が浮かびました。

そして、私も伝統の担い手のひとりでありたいと…。

 

 

写真: 台座にのぼられた両陛下(Webより)
下 10月22日初冠雪の富士

 

 

 

2019年10月25日

2019年10月16日
災難に逢う時は…

先週、台風19号は狩野川台風級と聞いて、「さあ大変」、と対策を考えました。
中学生の時に1200人もの死者が出た災害の生々しい記憶が蘇り、手を尽くしてみました。
漁師町に育ったせいか、台風襲来と聞くと血が騒ぎ、二日ほど一気に大工に変身したものでした。
結果は何事も無く、知り合いの方たちも無事で胸を撫で下ろしたところです。

TVを観ると今日までにも広域に甚大な被害が出ていて、被災者が後始末に追われる姿に胸が痛む思いです。何はともあれ一日も早い復旧を願うばかりです。

人間は自然現象の前には非力で、土木建築関係に就く身にしてみれば、常に想定外と経済性とのはざまで揺れ、設計の最低基準を建築基準法におく他のない仕事となっています。
百年に一度あるかないかの地震に対し、想定外の設計強度を要求すると、とてつもない不経済な建築となり、常に安全と経済性の葛藤に苛まれています。
災害が起きる度に思うことは、人間の都合で造ったものは必ず壊れる、ということです。地震、雷、台風、竜巻、酷暑、大雪、などに何時までも対応できる建造物はない、ということです。

いつの世も自然の猛威の前に頭を下げることの繰り返しで、結局、自然に逆らえない限り、それに順応する以外はなく、災害が起きる度に先人の教えに照らし、知恵を絞り、可能な限り安全かつ経済的に造って行く以外にはないようです。

甚大な被害はなお広がっていますが、復旧に向けた動きも広がっています。私も微力ながら何かしらの援助ができればと思っています。
今回の災害により、また土木や建築の法律が改正されることになると思います。気を取り直して次代に向け、被害の少ない環境を作る工夫をすることが私たちの役割だと改めて思いました。

 

また、近く起きるとされる東南海地震や火山噴火のことを考えると、災害列島といわれる日本列島には原発は相応しくないのでは、と思います。原発はもはや国の政策上の事業であって、実際のエネルギー確保には疑問だらけのところがあります。今回の災害を教訓として廃炉を進めるべきと考えます。

自然科学は人類を健やかな生活に導くといわれてきましたが、その応用科学は、金儲けの使い走りになっているような気がしています。
自然の声に耳を澄まし、プラスチックゴミではありませんが、自然の一員であることを忘れずに、自然界に存在するとした先人に学び、自然を畏れ、神仏を敬う生活をめざすことができればと思います。

今朝も先祖さんにお参りし、子孫の行く末に力を授けてくれるよう念じました。

対策は講じても、災害は来るときに来るものなので、もし遭遇したら、できることをして命を繋げて行くより方法が一番と思っています。
「災難に逢う時節には逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。是はこれ災難からのがるゝ妙法にて候。」良寛戒語

さあ、気合を入れて、木造建築を造って行くぞ!!

 

 

写真:上 12日 伊勢神宮五十鈴川の濁流(内宮は現在位置ではなかった(自説))

中 平常時

下 首都圏外郭放水路「地下神殿」台風19号では12日の流入開始から15日7時段階で累積排水量は約1140万平方メートル(50メートルプール約7600杯分)を江戸川に排水。歴代3番目の水調節総量を記録。

 

 

 

 

2019年10月16日

2019年10月2日
四つの窓から

 

 

〽︎  空間、時間、勢力、志向 ほんに建築は六次元(都々逸)

〇 新しいものばかり追いかけていると、いずれ中身が空っぽになる。
設計の発想を得るにはまず自分を充実させることだ。

〇 「温故知新」、古きものの中に新しきものが充満している。

〇 新しいものはAIの得意分野だ。これからの世で最も人間的かつ創造的なことは、遠く古きことを尋ね、新しきを得ることだ。

〇 明日を生み出すには、今日までの積み重ねを頼りにする他はない。

〇 自分を充実させる手立ては夫々に異なる。顔付きが夫々違うように。

〇 創造することの面白さに遭遇する時、私は沈黙している。

〇 縄文時代を訪ねるようになってから、私は設計が面白くなってきた。一万五千年の時の流れに興味は尽きない。

このようなことを呟きながら、「三島御寮」造営計画に取り組んでいる昨今です。
そして今、この呟きの根底にあるのは「六次元弁証法」です。

 

六次元の思考については、10年前から私をとらえて離さない世界観で、これを提唱されたのが『飛騨の口碑』を世に遺した山本健造翁です。
翁は2007年に亡くなりましたが、著作により私は「六次元理論」や、インドの最古典『リグ・ヴエ―ダ』の思想によると、「普通の人間は、この世の中の4分の1しか見えない。残りの4分の3は悟りを開かねば見えない」などの理論に共感し、以来、設計活動を通して、折々実践解明するようにしています。
結果、ものごとを「空間(三次元)」、「時間(四次元)」、「勢力(五次元)」、「志向(六次元)」的思考方法を持ち、その四つの窓から建築の設計を観ると、いつどこでもどの様な建築のプランでも容易くできる、と思うようになりました。面白いようにすがた・かたちが現れてくるからです。

 

また、山本翁は21世紀型の「統合医療」も提唱しています。注目すべきは神秘的といわれる念写や瞑想、波動の原理を科学的に応用する治療を勧めていることで、これらも四つの窓から病気の治療を目指していることになります。そしてすべては「崇高な志」にその結果があると説いています。

 

翁の思想は現在、山本貴美子氏が継がれ、「一般財団 飛騨福来心理学研究所」、「六次元会」を主宰して、多くの方を導いておられます。
先日、貴美子氏より便りを頂き、飛騨高山市をお訪ねしたことを懐かしく思い出し、再び訪ねてみようと思っているところです。

 

今日はボンヤリ空行く雲を眺めながら、自分の建築構想は六次元的思考を基にしているようだ、と頷いています。

 

写真: 山本健造翁

 

 

2019年10月2日

2019年9月17日
川越、行き合いの空

先日、埼玉県川越市近郊にある遠山記念館を訪ねました。

旧遠山家住宅は、日興證券(現SMBC日興証券)の創立者である遠山元一が生家再興と母の安住の住まいとして、1936(昭和11)年に居住部分を建て、その後、茶室など造営されたものです。
東棟は生家の再興を象徴する豪農風、中棟は貴顕の来客を接待する室礼の書院造り、西棟は母のための数奇屋造りという異なる趣の3棟を連結する設計で、各棟とも多様に吟味された良材を使用し、卓越した技術が駆使されています。

2000(平成12)年に茶室など9棟が国の有形文化財に登録され、2018(平成30)年には国の重要文化財に指定されています。現在の「遠山記念館」は、重文の「紙本著色三十六歌仙切(頼基)佐竹家伝来」などで有名な遠山元一の邸宅と美術コレクションをもとに、1970年に開館したものです。

私は数年前に伺い、美術館の依田学芸員に詳細な説明を受け、優れた建築を造った人たちに思いを馳せました。特に兄弟が、没落した遠山家の再興を願い、苦労を重ねた母親のために土地を再取得し、母親が老後に安住できるよう造営した思いが建築のすがた・かたちに現れていたことに、感動したことを覚えています。
今回も、「建築の良し悪しは、造ろうとする人たちの誠意の総量で決まる」、と改めて思いました。兄弟の母を思う気持ちが全てを創ったのだ、と。

 

茶道や建築関係者は夫々の感慨を持たれたようです。
同行された建築家の及川博文さんは、
「ー場所毎に部材同士の組み合わせや素材の対比なので構成される空間は、その一つ一つが丁寧にデザインされ、豊かな発想力と造形の美しさはどれも目を見張るものでした。
図録のきれいな写真からは掴み得ない、自らの身体で空間を確かめる事の大切さを再確認しました。
何よりも、そうした希少材を駆使した職人の高い技量と創意のエネルギー、さらにいえば造営主の強い願いが結晶化したものだと実感しました。
一方、結晶度が高い建物ほど雨漏りシミ等の残念さは、大きく心に残ることも感じました。—」。
との一文を寄せています。

優れた建築は、時空を超え、多くの人々の精神に、良質な影響を与え、そして品格を高めて行きます。
優れて美しいものに触れた時、人間の品性は高まるようです。バスの窓から黄昏の景色を見ながら、文化芸術こそ、和を尊ぶ人間にとって最も必要な要素なのだ。そう思いました。

私も気合を入れなくては…。

 

        遠山の屋敷を母の住処にと 子等の思いか行き合いの空

 

写真:上 遠山記念館 表門(長屋門)

下 内部座敷 撮影 H・ Oikawa

 

 

 

 

 

 

2019年9月17日

2019年9月5日
「大嘗祭 」大麻の織物

「―徳島県吉野川市山川町地区の山崎忌部神社で2日、11月にある皇位継承の重要祭祀「大嘗祭」で献上される麻織物「麁服(あらたえ)」を作るための麻糸が、神社の氏子らでつくる「阿波忌部麁服調進協議会」に引き渡された。今月10日に「初織式」が行われ、織り上げた麁服を皇居に納める。」(9月2日徳島新聞)

神服の「麁服」は、阿波忌部直系氏人の御殿人(みあらかんど)が、天皇陛下が即位後、初めて行う践祚大嘗祭(せんそだいじょうさい)の時にのみ調製し調進(供納)する「大麻の織物」をいいます。

大嘗祭は、天皇が即位の礼の後、初めて行う新嘗祭で、即位後初めての新嘗祭を一世一度行われる祭として、律令ではこれを「践祚大嘗祭」と称しています。
儀式の形が定まったのは、7世紀の皇極天皇の頃といいますが、格別の規模のものが執行されたのは7世紀後半の天武天皇の時が初めてとされます。

大嘗祭は皇位継承の正統性をこの祭儀礼を以って証明するというもので、その中身は日本天皇制の性格を顕わす秘儀とされ、天皇の霊的な継承儀礼として公開されず、イネ(生産)とタマ(霊位)にもとづくマツリゴトとされてきました。

内容は延喜式を基とし諸説ありますが、山折哲雄著「天皇の宮中祭祀と日本人」によると、「―大嘗祭儀礼は、天武・持統天皇期に定まったと考えられ、「天皇霊」という言葉も用いられるようになっていたという。天皇の「カリスマ原理」を示す古代的観念といわれているものだ。―」とし、11月卯の日の夜から明け方にかけて行われる大嘗祭について書いています。

「-この日は、内裏に一時的に造営されたふたつの殿舎に天皇が籠もり、その年にとれた新穀を神・天照大神に供え一緒に食べる、という儀式である。天照大神との共寝共食の秘儀に入るというのである。
天皇は深夜、仮の宮として建てられた同一の悠紀殿、主基殿に籠もり、同じ所作を二度繰り返すことになっている。両殿内部はふたつの部分に分かれ、北側を「室」南側を「堂」という。そして寝具の東側に、天照大神が降臨する神座と、それに対向して座る天皇の座が用意されている。
天皇はまずその寝所に横たわって褥と衾(ふすま)で身を包み、その儀が終わってから、神座に向かって新穀を供進する。衾に包まれて休むのも神座に向かって新穀を供するのも、天照大神とともにそうするものとして、まさに神との共寝共食の秘儀を行うのである。
この「室」には天皇以外に入ることは許されないが、ただ、西の隅に「采女台座」とあるように、天皇の身の回りの世話をする女官が例外的に随待するが、神儀が開始される前に采女は退出する。この秘儀が「室」で行われると、南側の「堂」では、関白座が設けられていて、その地位にあるものは御簾越しに天皇の動きを秘かに見ることができたという。―」

1. 新穀を用意する二つの地域(斎国)の選定(4月)
今回の斎国(いつきのくに)は東の栃木県、西の京都府が選ばれた。
2. 出そろった稲の穂を抜く抜き穂の行事(9月)
3. 斎場における諸行事(白酒・黒酒の製造、贄=天皇への貢納物の調達、神服の
用意など(10~11月)

いよいよ大嘗祭の準備が整ってきた感があります。
私は、天皇祭祀こそが日本文化の根幹を成していると思い、秘儀として伝えられてきた大嘗祭をみるとき、日本人とは、何と不思議な精神性を保持し、壮大なドラマを演出してきた人たちの集まりなのかと思わずにはいられません。

天照大神は、歴代天皇と共にして秘儀を行ってきました。大嘗祭において鎮座まします伊勢神宮より宮中三殿の悠紀殿、主基殿の儀に臨まれ、子孫(うみのこ)である天皇に御魂を移されてきたのだと思うと胸が躍ります。
何世紀にも亘る秘儀の伝承は、深遠な日本民族そのものといっても過言ではありません。

 

これから11月14,15日の大嘗祭本祭までの祭祀次第は、
4. 禊の行事(皇居内)(10時月下旬)
5. 仮殿舎の造営(祭日の7日前に着工)
6. 神・天皇に対する奉納(11月の卯の日)
7. 大嘗祭―悠紀殿(ゆきでん)・主基殿(すきでん)の儀(卯の日の夜から翌朝の暁方まで)
と、続きます。

そして大嘗祭の本祭に向け、大嘗宮(大嘗殿〈おおにえどの〉)が皇居朝堂院の前庭に造られます。本祭の約10日前に大嘗宮の材木と諸材料と併せて茅を朝堂の第二殿の前に運び、7日前に地鎮祭を行い、そこから5日間で全ての殿舎を造営し、祭の3日前に竣工することになっています。

童女が火を鑽出して国司や郡司の子弟の持つ松明に移し、その8人童男童女が松明を掲げて造営予定地の斎場に立ち、工人が東西21丈4尺(約65メートル)、南北15丈(約46メートル)を測って宮地とし、これを中に東に悠紀院、西に主基院とします。木綿をつけた榊を捧げ、両院が立つ四隅と門の場所の柱の穴に立て「斎鍬(いみくわ)」で8度穿ちます。
東西に悠紀殿(ゆきでん)・主基殿(すきでん)、北に廻立殿(かいりゅうでん)を設け、それぞれの正殿は黒木造(皮付き) 掘立柱、切妻造妻入り、青草茅葺きの屋根、8本の鰹木と千木、ムシロが張られた天井を有するものです。外を柴垣で囲み、四方に小門をつけます。

地鎮祭の後、祭の7日前から大嘗宮を造り始め、5日間以内に造り終え、「大嘗宮(だいじょうきゅう)の儀」後にはただちに撤去されることになります。2019年(令和元年)11月14・15日に行われる大嘗祭で、大嘗宮の建築費は19.7億円いわれます。

 

天皇は本祭前の第一の「禊祓い」に臨まれますが、聖水による沐浴の際、「天羽衣」を召されるといいます。御湯殿における天羽衣の着脱こそ天皇の心身に呪的な変化を起こさせる秘儀とされています。

わくわくする令和元年11月はもう直ぐです。(続く)

 

写真:上 大麻の種蒔きの儀式(4月9日徳島県美馬市)
中 仮殿舎の模型と配置図(2018年作成)
下 大嘗祭の「天羽衣」(自著『伊勢神宮』より(宮内庁書陵部))

 

 

 

2019年9月5日

2019年8月26日
曼珠沙華

「人は生まれ、苦しみ、そして死ぬだけです。人生には意味はありません。」
僧は私の眼の奥をジッと観て、静かにそういいました。

 

先日、30代一人、60代四人、70代二人の飲み会があり、話題は日常生活、健康や病気から芸能界に移り、やがて世界情勢や時事に、そして「死」について語るようになりました。
人間70歳前後になると必然的に「死」が一大テーマとなることは自然なことといえます。
夫々は自分の死生観に基づいて「自分と死」を語るのですが、聴いていると中々興味深く、人夫々はどうして「死ぬ」ことに異なる見解を持つのか不思議に思っていました。
(生まれ、苦しみ、そして死ぬだけなのに。嫌だといっても……)

その中に明解な死生観を語る人がひとりいました。
彼は「死は恐れることはなく、私は天国に召されるから。」と。
宗教による信仰を持っている人の強靭な死生観には敬服する他はありませんでした。
宗教は「人間は必ず死ぬため、ならば如何に生きるか」という宗(もと)の教(おしえ)というもので、世界に数知れずの教えは畢竟、如何に死ぬか、との教えといえるようです。

私はこの手の話題は苦手で、夫々が声高らかに死に急いでいるようでもあり、色気のある話題ならば得意なのに、何も酒を飲んで「死」を叫んでも、野暮というもので、しかし雰囲気は切迫してきて、茶化すわけにも行かず…。

この頃の私は、群れるのが苦手で、適応障害といわれようと、引きこもりといわれようと、ビールを飲みながら旨い料理を食べ、粋な話題で都々逸でもひとつ、という生活を目指しているのに、場の雰囲気からすると、いよいよ私見を述べなければならない状況になりました。

最年長の私は、先に30代の若者の意見を聞いてから話しました。
「痛いのは嫌だけど、生きものの死には良い死も悪い死もなく、死に様が良い悪いというのは残った者の主観で、今多い孤独死をいえば、厳然として息絶えて行くだけ。人は生まれ、苦しみ、そして死ぬだけ。人生には意味はないと思う」と。

 

私は若い時分に禅僧に邂逅し、その折の言葉が40年もの間、私の中に棲み付いていることを思いました。
ひとりが、「意味ないじゃーん、じゃ、サンマの名言だね。」
他のひとりから、「そしたら、どの様に生きるのがいいのですか。」と問われました。

私はビールを飲みながら、極意は「ケセラセラ!!」。

それ以上、私の死生観を話しても仕方ないことで、老人たちの夢のない話で、結婚したくない若者が一人増えるのもどうかと思い、話題を人妻パブの店に切り替え、皆を煙に巻きました。

 

40年前、禅僧は、「ですから而今(今ココ)を生きることです。」、と私に教えました。

彼岸が近づいて曼珠沙華が咲き出すと、厳しくも優しかった禅僧を思い出します。

 

 

2019年8月26日

2019年8月19日
知足者常富

以前インドやタイ、ネパール、ブータンを訪ねたことがあります。
中国や韓国にも渡りました。歴史的建造物の見聞が主な目的でしたが、やはりその国の文化に惹かれ多くの文物に触れてきました。
何時も帰りの飛行機の中で思うことは、日本の素晴らしさでした。

我が国は、渡航したどの国よりも安全で、美味しい食事が摂れ、働く機会も沢山あります。
物乞いもなく、挑戦する気さえあれば国や金融機関が資金を用意し、提供してくれる人もいます。
私は29歳の時、建築家として独立しましたが、無償で資金援助をして下さった方たちがいました。そのお蔭で今日があるのですが、その根底にある精神は戦後の高度成長期にあって、後の世代を育てる思いだったに違いありません。国民が皆で励まし合って生きていたことを感じます。
現在でも日本中で挑戦する志を持っている人は、世界最強といわれるほど多いと思います。

 

政治は現代社会の問題点を洗い出し、未来に向けて国の意思を調整する役割を担います。
野党は問題点を追求し、改善を促すものですが、昨今の野党は政権与党の失点を狙うことのみの感があり、聞くに堪えない演説の羅列に終わっています。政治家は内政ばかりか、外交戦略を構築し、実行できる人物を上とします。
我が国で、一次政権を担った民主党が崩壊したのも、財政金融や外交政策に疎かったためといわれます。私の住いする選挙区で、当時、政界のプリンスといわれた政治家は、宿敵の自民党に入り、凋落の一途です。

 

現在、我が国の未来を悲観し、否定的に語る人が少なくありません。
聞いてみると、今より良い生活をしたいのに、できないのは政治が悪い。お金が貯まらない。
自衛の武器調達よりも年金や子育て支援に税金を使え。もっともっと、と。

 

日本はGDPの世界ランキングで第3位の大国で、此れは戦後に国造りを目指した人たちの恩恵の上に成り立っています。現在、韓国が反日政策をもって攻め立てていますが、丁寧な無視をもって対応が良策だと思います。日本の土台はそう簡単に崩れることはなく、却ってこのような事態になって、如何に日本がモノづくり強国であることがはっきりしたはずです。

 

俯き加減の日本をいう人たちがいますが、脚下照顧、よく足元を見れば脚は地球に立ち、そこから広がる大地や海は無限にあり、宇宙の果てまで…。
考えてみれば日本人の優れた特質は、地球上のどこの国よりも穏やかで、諍いの少ないことが挙げられます。地政学的にもそれはいえそうです。

 

「知足者常富」(足るを知るものは常に富む)。
先人の戒語です。

私も先人のように、次代のため少しでもお役にたてるよう、暮らして行きたいと思っています。

 

写真:設計室のマスコット「山の形顔大型土偶」縄文後期(千葉県佐倉市出土)

 

 

 

2019年8月19日

2019年8月15日
体験の力

台風10号によって今夏は出かけることなく過ごすことになりました。
楽しみの縄文遺跡調査旅行も、悶々とした設計生活に変わり、熱中症厳重警戒と共に引きこもり症候群を発症するに至りました。
自然の猛威の下には何人も逆らえません。

 

先日、銀行マンたちと将来について語る機会がありました。彼らの関心事は専らAIによる失業対策で、そう遠くない内に、銀行員の三分の一がリストラされるとのことで、どうしたら良いのか、彼らにとっては人生の最大事がAI対策のようでした。

 

私たち設計の分野でも、AIの脅威はご多聞にもれず、設計要員はデータを入力する者が主流を占めることになると話しました。現に今、パソコンによる設計が大半を占め、鉛筆を舐めながら設計をする人は皆無に等しく、もしいたら、まるで旧石器時代の遺物のような存在になっているはずです。
必要なデータを入力すれば、瞬時に複数の設計案が出力され、しかもパース動画とともに資金計画や返済計画まで出てきます。つまり、これから考えてみます、というような時間は無駄で必要悪とされ、いずれAIが設計界を席巻すること必定です。

 

さて、私はどのように話したのか…。
「現在のAIは、対象の生きている人を殺傷して良いか否かの判断までできるようになっていて、既に宇宙空間による戦闘の主役に躍り出ている」。
「人間にとって代わる分野は広く、多くの人間が必要とされなくなる」。
「美術、芸術の分野でも、人間の想像を遥かに超える創造域を確保する」。
「特に偏差値能力の高い人たちは必要とされなくなる可能性が大」。
「音楽の分野でも、人間はAIの自動演奏について行けない」。
「知的職業に求められる能力は「基礎的能力」、「学歴的能力」、「職業的能力」、「対人的能力」、「組織的能力」の5つというが、「基礎的能力」「学歴的能力」は既にAIの後塵を拝している」。
「残る「職業的能力」、「対人的能力」で勝負する他はないだろう」。

 

話しをしながら私は「手に得て心に応ず」という禅語を思い浮かべていました。
それは、データや学問に依らない、体験しか信に値しない、という先賢の先鋭的な立場です。
設計の仕事ばかりかこれは全てにいえることで、身体で体験したことが己の心に応ずることこそ、他に対応できる最も有力な力となるとの教えです。

現在の設計分野ではパソコンがなければ設計できない人が大半のようです。つまり体験のない空想の世界から逃れることは不可で、造り方などは無視で、工事金とともに施工者のいいなりの状態といえます。自らが設計したものの、価格は、材料は、どの様に造り、どれくらいの時間を要し、造り方は適切か、などなど、これこそが設計監理者の仕事のはずです。

 

私は、若い建築家に「設計監理の人を目指せ!」といっています。そして己にその言葉を向けています。AIを使いこなし、多くの人のためになる生活を目指せ、と。それを可能にするには、「体験の力」が必要となる、と。

 

日本人の繊細な能力を最も必要とする時代が、そこまで来ています。

 

写真:刻々と色に染まる酔芙蓉

 

 

 

2019年8月15日