日本のすがた・かたち

2021年1月8日
散歩・Bコース

 

このところの寒さもあり、中々仕事場から抜け出せず、運動不足が続いていました。

今朝は思い切って散歩のBコースへ。近くの公園の先にある滝を観るコースです。
富士の峰は例年になく雪がなく、一か月ほど雨は降らず、さぞかし滝の水は細っているのでは、と思いながら人影のない道を進むと、地響きが…。

 

虹を従え激しく踊り狂わんばかりの「鮎止めの滝」が出現しました。
轟音の中、暫し佇み、飛沫を浴びていました。まるで別天地の様相でした。

 

帰り道、(やはり、人間が感動するのは人工のものではなく自然の景観だなぁ…)。そう思いながら今取り組んでいる設計に思いを馳せました。

(建築が人間に感動をもたらすもの、これを設計するのが己の務めではないのか…。人の手でできることを目指すことは僅かだが…)

轟音を残しながら、ものの30分の散歩でした。

 

今年から後期高齢者の仲間入りとなりました。

そうなるまで高齢者という自覚はなく、何となく身体の動きの悪さ故に、歳を重ねた自分を感じていたものですが、やはり75歳は75の体力と気力であると再認識しています。未だ還暦前の自分だったものが、年が明けたら一気に晩年の自分にワープしたような、そんな気分の中にいます。

その気分の中ですが、この半年来の設計三昧の日々は思いのほか充実していて、若い頃は他からやらされることが多く、歯ぎしりをしながら日々を送っていたものですが、この歳になるとやりたいことができるようになっていることに気づきます。
人に会うことも自分を基準にできるので、ストレスが少なく気持ちが和むことになります。
今まで過ごして来た人生は、左官工事でいえば下塗りと中塗りの時期、ここに来て仕上げの時期到来ということのようです。まさに好機到来!

私は今、好機高齢者だと思うに至っています。

 

そして彼の世、此の世ではなく「今ココ」を生きて行こうと…。

「いのちを実感」しながらです。

 

写真:「鮎止めの滝」
(散歩中、この滝を巡って起きる男女の人生模様を描いた、小説『キララの橋を渡って』(未完)が眠っていることを思い出しました。またの機会に。)

 

 

2021年1月8日

2021年1月1日
謹賀新年

 

     あけましておめでとうございます

     

    新玉の 年の初めの 富士の嶺に 君健やかで あれと祈りぬ

      

            2021年 元旦
      

            太 田 新 之 介 

 

 

 

2021年1月1日

2020年12月8日
サ・セ・ラ・シャンソン

 

毎年師走に入ると、必ず蘇って来る記憶があります。
東京の銀座にあったシャンソン喫茶「銀巴里」の思い出です。

二十歳前、東京にいた友達に誘われ、初めて銀巴里に行きました。以来1990年の12月に閉店するまでの約25年間、月に一度ほど工事現場靴のまま横浜から、また熱海や三島に移住後も行っていました。
今にして思えば、当時の独り暮らしの若者には、都会の空気と大人の世界に酔える刺激的な場所で、別世界の感がありました。まさに我が青春でした。

 

1951年(昭和26)に誕生した「銀巴里」は、ただ音楽を聞いて喫茶を楽しむだけではなく、ピアノがあり、専属バンドが演奏できるバンドセットを備え、歌手がシャンソンを目の前で唄う場でした。
オーディションによって選ばれたスターたちが出演し、丸山(三輪)明宏、戸川昌子、古賀力、金子由香里、大木康子、宇野ゆうこ達の顔や仕草が、今でも目に浮かんできます。
また三島由紀夫や吉行淳之介、寺山修司、岡本太郎などの存在もここで知ることになりました。

店を閉めることになり、なかにし礼が作詞作曲し唄った「さらば銀巴里」は、以来私の師走ソングとなりました。

「さらば銀巴里」

銀座七丁目 緑の看板 そこは銀巴里 銀座の中の巴里

廻るようにして 階段下りると 聞こえて来るのは あゝシャンソン

心ゆする ジャヴァのリズム 涙声の あのアコルデオン

恋を棄てた男や 恋に泣いた女が

夜毎に集まり 愛しつづけたもの

サ・セ・ラ・シャンソン それはシャンソン

古ぼけた 巴里の小唄

サ・セ・ラ・シャンソン それはシャンソン

永遠の恋唄…

銀座七丁目 看板も消えた ここに銀巴里 たしかにあったはず

ビルの前に立ち 瞼を閉じれば 聞こえて来るのは あゝシャンソン

さらば銀巴里 わが青春  忘れないさ 君のことは

銀巴里がなくなり 青春が消えても

私がこよなく 愛し続けるもの

サ・セ・ラ・シャンソン それはシャンソン

真実の 歌の心…

 

私は五十も過ぎたころ、「サ・セ・ラ(これぞ)・シャンソン」を「これぞ・セッケイ」と置きかえるようになっていました。
建築の設計に身を投じ、「これぞ、これだ、ぞ!」を目指してきた結果のようでした。

禅語では「これだ、ぞ!」を「者个聻(しゃこに)」といいます。
禅は「これだ、ぞ!」、シャンソンは「これぞ!」。
設計の神髄は「?」・・・未だに夢中の中。

私は想像し「もの」と「こと」を創ってきました。
それは、創らずにはいられない、生への衝動がなせる業だったようにも思えます。

シャンソンはフランス小唄、日本の都々逸のようなもの。
私の都々逸好きは、野暮と粋とのはざまの成果品。

(サ・セ・ラ・シャンソン そ・れ・は・セッケイ 人生の恋人 ・・・)

今日も紅葉を愛でながら、追憶の歌を口ずさんでいます。
 

2020年12月8日

2020年11月24日
好機高齢者

吾十有五にして学に志さず

三十にして立つ

四十にして多くに惑い始め

五十にして天命を知らず

六十にして耳順わず

七十にして心の欲する所に従わず、矩(のり)を踰(こえ)える

七十五にして我に還り、この先は知らず

 

かの論語になぞらえてみると、我が七十五年はこのようになるようです。
当てはまるのは、この歳に建築家を志し独立をした「三十にして立つ」のところで、後は総じて混沌七十五年間といったところです。

最近富に思うことは、「伝える」ということです。
先人は子孫を遺し、永い時間をかけて生活の智慧を伝えてきました。
私達の現在の生活や精神性はそれこそ何万年もかけた結果というもので、それぞれの時代が選択してきたエッセンスといえます。
私は日本で独自に発展してきた木造建築を継承し創って来ましたが、後の残された時間を考えると思うほどないことが分かり、急がねばと思います。

生者必滅は人間の真理。これに抗うことはできず、何人も公平です。
コロナ禍の時にあって、思い巡らしていると建築家を目指すきっかけともなった二冊の本を思い出しました。

後に伝えることではないかも、と思いますが、何かの参考になるかもしれないと…。
以下は出版編集中の俳句集・『千々繚乱』の一文から。

 

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二冊の本

五十八年前の夏、義祖父から一冊の本を頂いた。私は高校三年生だった。
『世界教養全集6(平凡社刊)』という本には、谷崎潤一郎『陰翳礼讃』、亀井勝一郎『大和古寺風物詩』、小林秀雄『無常という事』、岡倉覚三(天心)『茶の本』が収められていた。

それがきっかけとなり、その年の十一月、『世界教養全集2』を、なけなしの小遣いをはたいて買った。モンテニューの『随想録』、ロシュフコーの『箴言と省察』、パスカルの『パンセ』、ブーヴの『覚書と随想』だった。

二冊とも国語辞典を傍に置きむさぼるように読んだことを覚えている。
義祖父は建築家とし東京や熱海で活躍し、その翌年の夏に熱海で亡くなったが、贈られた一冊は現在に至っても座右の愛読書となっている。

後年、設計を独学で学ぶことになり、近代(十九世紀後半以降)から現代の建築の流れを考える上で、イギリスのデザイン運動「アーツ・アンド・クラフツ」やヨーロッパの美術運動「アール・ヌーヴォー」、アメリカとヨーロッパ「アール・デコ」、その後の「モダニズム建築」、「ハイテク建築」、「ポストモダン」から近年の「ミニマリズム」などとも親しむことになった。

しかしその間も、私の志向は海外ではなく、知れば知るほど「日本なるもの」に特化し、結果、縄文期に遡り、歴史的な木造建築に傾倒して行くことになっていた。四十代になり、仕事の縁もあったが禅の思想に染まったのも必然的なことだった。

そのような経緯もあり、私が二十世紀からの建築家に興味を持たなくなったのも、建築を三百年単位で捉えるようになったからで、現代の著名建築家に憧れるようなものはない。時代は変わり、価値観や流行はあっても、建築の本質に変化はなく、その生きている時代の建築を創ってゆくのみ、という今の思考に変わりはない。

私が伝統的木造建築を創ってきて思うことは、「材と美」が建築の命を永らえるための必須条件で、材によって空間を構成し、装飾し、美のすがたは人間の品性に関わることになる。それ故に自分は「材料」と「美しさ」を飽くことなく追及していく使徒なることを目指した。

『全集6』では日本の文化の基軸や美意識の教示を受け、美しいものとは何か、の道標を与えられた。『全集2』では、モンテニューの暢達、ラ・ロシュフコー犀利、パスカルの透徹、ブーヴの懐疑に、人間の精神に於ける光と闇、美醜の境、建築を創造する上で関わる人たちとどのように接し、対応すればいいかの示唆を受けた。両編とも私の設計生活の指針となってきたことはいうまでもない。

畢竟、建築の設計とは「材料と人間を設計すること」に極まると思うに至った。
―後略

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今日、市役所から後期高齢者用の保険証が送られてきました。
そうか、私も後期か…。

我、七十五にして我に還り、この先は知らず。

そうか、好機好例者だ!


〽 あっという間に 七十半ば 色ぼけピンぼけ ノウマダラ
(蝶じゃないのにネ~)

 

 

写真: 二冊の本

 

 

2020年11月24日

2020年11月1日
「はがゆい唇」

この二カ月は複数のプロジェクトに翻弄されていました。

コロナ禍の最中、巣籠もり状態で取り組んでいましたが、今月に入り漸く全容が俯瞰できる状況を迎えました。

 

私の設計手法は至って簡単で、依頼を受けてから朧げに建築の概要がつかめ、設計を進めながら完成形が脳裏に定着するまで想像を繰り返し、完成のすがた・かたちを創ることから始まります。

具体的な設計の仕事は、自分の中で完成したものを、最初の構想時に還り具体的な図面化を図って行くというものです。

 

設計しながら完成形を定めて行くという常識的手順ではなく、始めに完成した姿を創作し、それに向かって設計の実務をするといういわば自己流のやり方です。

勿論、途中で依頼主の要望や関連法規による変更などもありますが、この創作法は私に定着してから約三十年となります。

 

三十年前、七つのプロジェクトを同時に進行させたことがあります。

今にして思えば、どの様にして設計監理をしていたのか不思議な気がしますが、8人のスタッフと残業、徹夜の繰り返しの日々が三ヶ月ほど続いたのを覚えています。若かったための成果だったように思います。

 

現在に至っては、体力と視力は衰え、頭脳は怠けがち、気力は歳なりで、高橋真梨子の「はがゆい唇」を唄いながら設計の歯痒さを噛みしめていました。

それが11月を迎え、シャンソンの「さらば銀巴里」のテーマソングに戻りました。

 

このところ、幾つもの建築の完成したすがたとかたちがシャンソンと共に浮かんでは消え、消えてはまた浮かび、私の生きる縁(よすが)となっています。

 

建築の設計を始めて半世紀、この苦しみと喜びの狭間で生きることは命ある限り止められそうにありません。

幸い設計に勤しむメンバーには三十代から五十代がいます。

次世代の後進建築家たちとの真剣勝負は、老境を迎えている私にはとても刺激的です。

先賢が教えている人間の食欲、睡眠欲、性欲、物欲、名誉欲も何時しか関心が薄れ、この頃は食欲、睡眠欲、想像欲だけになって来たように思います。

 

想像することの楽しさは、誰も想像できないものかもしれません。

 

〽 聞いてちょうだいアタシの夢を ブラを外して耳つけて

 

写真:iPhone12  タロ作

 

 

2020年11月1日

2020年9月1日
「バカヤロー!」、「コノヤロー!」

安倍首相が辞任しました。
お疲れ様でした、長いこと有難うございました。

辞任に関し、マスコミやネットでは賛否両論が噴出して姦しい限りです。
情報が多すぎて困ることがありますが、言いたいことをいえる世の中は幸か不幸か分かりませんが、個人個人が情報を選択することを余儀なくされている時代であることは間違いないようです。

 

私は、普段は思うところがあり、政治についてはつとめて発言しないようにしています。
何故かというと、仕事柄、色々なところから依頼があり、依頼主の地位や立場で仕事の選択をしないという観点から、政治色や宗教色の発言は控え、それ故特定の政治家や党の良否に関わることも避け、刑務所から出所した人の仕事も依頼されたら引き受けています。仕事は選ばないという立場からです。

 

昨今は芸能や音楽、スポーツ界など名の知れた人たちがこぞって政党や個人を支持するかしないかを鮮明にして活発に活動しています。
これは本人の自由ですので特段いうことはありません。が、ただ政治的発言により自身が世に色分けされることを承知の上であれば、ですが・・・。

 

私個人はというと、内心は思うところがあり特に政治の分野では選り好みが強く、何かにつけ白黒着けたがる性質も手伝って先鋭的になっています。それ故、何時もニュースを観ては、誰彼となく意に反していれば(バカヤロー)、(コノヤロー!)、と呟いています。

しかし(コノヤロー!)ばかりではなく、常は眼の前にした設計に全力を投じでいます。
この世に造る建築を設計して半世紀になりますが、そこには政治的色分けや権力や名誉欲というものはなく、ただひたすら我が国にとって、依頼主にとって、また次代にとって、今発現しているデザインで良いのか? そう念じながらの毎日です。
そして建築の設計は文学的であると思っていることもあり、その建築に関わる人たちと生死を共にする幾つものストーリーを練りながら進めています。
何年やってきてもこの今の巣籠もり状態の生活環境は好ましいといえるものです。

 

人間が存在する限り政は続きます。
権力は生まれ、そして瞬く間に潰え、その繰り返しが歴史です。

 

私は今、遺跡となるような木造建築をデザインしたい、そう思って暮らしています。コロナと熱中症に好かれないように、とも・・・。

 

 

写真:ネパールで入手した仏画「タンカ」。何時も傍にいて想像力を掻き立ててくれています。

2020年9月1日

2020年8月5日
森林列島

 

我が国は国土の3分の2、およそ2500万ヘクタールという広大な面積を森林に囲まれた世界有数の森林国です。列島に住む人たちは身近にある森林から建築材料を調達し、2万年近く暮らしてきました。

今日まで生活が続いてきたのは一重に森林や海のお蔭といえます。

 

私の仕事である建築も縄文期の竪穴住居から、高床式、寺院、寝殿、書院、城郭、数寄屋、町屋、民家、擬洋風、モダニズム、超高層、プレハブ建築など、幾多の変遷を経て今日に至っていますが、その主流を成しているものは「木」という素材を生んできた森林です。

 

近年、その森林に異変が起きています。

その兆候は、山に生きる動物が人間の住む場所に下りてきて、農産物の被害が多くなっていることです。鹿、猪、猿、狸、狐などの他、熊の出没する回数が増え、甚大な被害額がでています。

原因は里山が減り、森林が荒れていることが挙げられています。

山が荒れ、林業が廃れていることに比例し、生態系に異変が起きていることによるということです。林業に従事する人の割合はここ数十年で急激に減っているのを見ても分かることです。

その一方で、国土を覆う樹木自体は、年を追うごとに増え、今の森林資源はおよそ52億立方メートル、年間7000万立方メートル増加しています。東京ドーム56個分の体積に相当します。

その人工林の多くは、伐採に適した「主伐期」と呼ばれる樹齢50年を超え、主伐期を過ぎた樹木です。太くて切り出しが難しく、用途も限られ、格安で取引されることも多く、そのため、伐採すればするだけ損をする可能性が高いため、手を付けられないまま放置されているケースが多発しています。

木が増え続けるのは、環境面を考えれば良いという意見もありますが、ただ放置し伸びきった樹木が増えるばかりだと様々な問題が起こり、巡り巡って日本の農林水産業は崩壊に追い込まれ、自然循環サイクルも停止する危険性もでてきました。

先日、興味あるニュースが飛び込んできました。

日本の林業の窮状を重く見て発足した会社「MEC Industry(メック・インダストリー(鹿児島県)」です。

MEC社は、三菱地所や大手建設会社など、木材活用に関わる企業7社の出資を受け設立され、そのメインになる商材は、鉄筋・鉄骨造にも調和する木を用いた新建材、そして製造・組み立てが容易な「木造プレハブ」のふたつといいます、

出資企業は、いわゆるゼネコンから金属・セメントの製造、木材加工を請け負う会社までさまざまで、これにより、木材の選定から切り出し、製材、加工、組み立て、販売というMEC社1社で担うことができ、大幅な中間コストの削減が図れるとのことです。

 

「これまでは、山林を伐採して市場に卸してから売却先を探すという、従来の『プッシュ型』の原木調達が主流でした。当社では、伐採前に山林に欲しい木材を伝える『プル型』のスタイルに変更することで、有効活用が難しかった、大きくなり過ぎた木も利用可能になったのです」(森下社長言)

 

コロナ禍の真最中、農業もそうですが、林業、漁業など第一次産業がこれからの日本再生には大事だと思っていました。その矢先、このような設立は先を見据えた林業ばかりか、我が国の木造建築に明るい光を差し込むことなると嬉しく思いました。

新会社の100年先を見越した「林業大国」的事業展開に期待し、私も微力ながら木の建築造りに精を出して行こうと、改めて思いました。

 

「コロナがチャンス!!」

そう思えるニュースでした。

 

写真:「蓮の芽」

2020年8月5日

2020年7月20日
サプライチェーン

このところの日本列島は水害など、コロナ以外の災害ニュースに覆われています。近く富士山の噴火がある、ともいわれています。
私は世界最大の災害大国である日本に暮らすひとりとして、災害情報に接するたびに、先人が伝え遺してきた情報が気になるところです。

 

特に仕事柄、災害に遭った住宅について思うところがあります。
先賢が教えてきた、住居を建てる場所の条件を改めて思い起こしてみると、「高台の平坦地、盛り土のなく硬い地盤、水はけの良い乾燥した地、崖崩れや倒壊する樹木のない所」等々。
現代の人口の多い場所ではなかなか望めない条件ですが、コロナ禍によってテレワークなど働き方が変わり、近代都市の機能が失われて行く昨今を見ると、住居の在り方を今一度考えてみるようになります。

 

私たちは、5G、6Gの世代になる現代社会を未来型の文明と呼び、人類の進化といっています。ですが住居を見る限り、未来型という見方はデジタル化した生活様式をさしているように感じさせてしまいます。
スマホを使い自在に機器を扱い、便利さと安全を追求する超管理化住宅です。

 

 

現代住宅といえば、外気と遮断し、密閉された空間で24時間換気扇を回し、除菌スプレーを噴霧し、エアコンのスイッチを絶えず点けておく生活、まるで無菌室の中で暮らすような感があります。
そして、プレハブ加工化と人工化の限りを尽くした造りは一重の経済優先の結果であり、サプライチェーンはほぼ中国製品となっています。
現在では建設部品が中国で生産されにくくなったことや、外国人労働者確保に支障がでたため建設が滞る有様です。

 

ここに来て、経済産業省は2020年度第1次補正予算で計上したサプライチェーンを強靭化する事業の支援先を決定したと発表しました。
コロナ禍で、日系自動車メーカーを始め、各種製造業におけるサプライチェーンの脆弱性が改めて浮き彫りになったことを受け、海外生産拠点の分散化や、日本国内への生産回帰を促し、集中度が高い製品の生産体制を整備する日系企業を支援する予算です。災害に遭わなければ考えられなかったことです。

 

私たちの生活の基本は「衣・食・住」です。この際、それぞれの自給率を高めておく必要があります。それは国民の生活を護る最も大切なことだと思います。
そして住宅は、先人の教えてきた土地に、「木と土と石と草」で造り、代々使える持続型造を推進することです。
そしてまた、災害に遭う度に外国に物資を頼る仕組みや制度を見直し、エネルギー消費を最小に押さえられる国づくりに方向転換してことが重要です。

 

私は今、子々孫々に託すことができる建築造りに邁進しています。

サプライチェーンのなかった縄文時代の暮らしを想いながら・・・。
多分、縄文時代の先祖たちには「自粛子育てウツ」はなかったと想いながら・・・。

 

        コロナ禍や 縄文先祖に 里帰り

 

 

画像:気象庁

 

2020年7月20日

2020年7月10日
あら!ボンジュール

先日、久しぶりに新幹線に乗り静岡に出かけました。
仕事の打合せを済ませ、コーヒーを飲もうと、以前行ったことのある古い喫茶店に入りました。
コロナ対策のアルコール消毒の儀式を済ませ席に座ろうとすると、懐かしいシャンソンが流れていました。
若い頃、銀座「銀巴里」でよく聴いていた金子由香利の「再会」でした。


あら!ボンジュール久し振りね

その後 お変わりなくて
あれから どれくらいかしら
あなたは 元気そうね
私は 変わったでしょう?
あれから旅をしたわ
いろんな国を見てきたの
少しは 大人になったわ・・・

 

一瞬にして55年の歳月を遡り、青春真っ只中の自分と再会しました。
あの時と今の自分を重ね、過ぎ去りし日々を想いました。
香り高いブルマンピーベリーを飲みながら、よく吟じていた漢詩も蘇りました。

少年老い易く学成り難し
一寸の光陰軽んずべからず
未だ覚めず池塘春草(ちとうしゅんそう)の夢
階前の梧葉(ごよう)(すで)に秋声

 

忘れていた漢詩の「偶成」(室町時代五山の僧の漢詩)も口をついででてきました。

(あれから六十年か、歳をとるはずだ・・・)

人生は出会いと別れの繰り返し。いつの世も変わらないのが「生者必滅・会者定離」。生きるものの永遠の真理です。

帰路、ガラガラに空いた新幹線の車窓から夕暮れの富士山を眺め、そういえば富士山も60年で相当変容しているはずだ、と回想しました。

自分の幸不幸は自分の心が決めるもの。
光陰矢の如しか・・・。

 

       老いというあやしき絶望我に有り 生死のことは問わぬ夕陽に

 

 

 

2020年7月10日

2020年7月3日
土器は語る

このコロナ禍真っただ中に、しきりに縄文時代の先祖のことを想います。

1975年から始まった青森県大平山元(おおだいらやまもと)遺跡から出土した世界最古といわれる縄文土器は、約1万6500年前のものでした。
この土器がもたらした様々な情報は、今を生きる現代人にはとても新鮮でした。

 

先年、東京国立博物館で縄文展を観ましたが、土器の造形や迫力にも増して世界最古の文明があったことを確認し、興奮したことを覚えています。
それはメソポタミア、エジプト、インダス、中国の「世界4大文明」が覆り、日本は文明を中国から教わった後進地域だったという歴史観が変わった日でもありました。

「そもそも土器は、日本で発明され、西に伝播したのではないか?」
「ヒトも同じように日本列島から西に移動したのではないか?」

 

近年、この疑問を解く発表が続き、現代の研究では、北アフリカで1万年前後の土器遺跡が続々と見つかっていることをふまえ、土器の発明は東アジアの日本列島であり、それが西に伝播していった一方で、それとは別に、アフリカで独自に土器が発明された、という説が有力となっています。
それは、我が国の先祖は1万7千年前から土器を発明し、土と木と石と草をもって住いを造り、定住生活をしていたことを立証していることにもなります。

 

縄文の先祖は、日本列島を巡る海で寒流と暖流がぶつかり合う世界有数の漁場を有し、豊かな森林からは木の実やキノコなどがとれ、さらにイノシシやシカ、ウサギなどの動物も豊富でした。こうした自然の恵みで争うことなく、四季折々の豊かな食物に恵まれていました。
森を切り開き畑にすれば、樹木がなくなり、やがて表面の土壌が失われてしまいます。牧畜でも家畜が草の芽まで食べてしまえば植生が失われ、土壌が劣化します。外国の砂漠化はそれを立証しています。それに比べ、祖先たちは1万数千年以上もこの日本列島で暮らし、しかも豊かな自然を残してくれたのです。
国連のいう「持続可能な開発」〈Sustainable Development〉 という概念は、まさに縄文人たちの生活がそのまま当てはまります。

ポスト・コロナは世界を混迷に誘う可能性が高いといえます。
今、この先を思う時、私たちは先人の知恵に思いを致す必要がありそうです。
それは自然の中で、自然の環境に順応し、自然の恵みを分かち合い、共存共栄を図るということになります。

世は権力行使と暴力による奪自由化の坩堝と化しています。独裁は憎しみを生み、やがて悲惨な滅び方をします。こうして歴史は繰り返していますが。人間の欲望には限りがないことが分かります。

今、縄文土器を水指にした10月の「吟秋の茶事」を企画しています。土器を見ながら数千年の時を想起していると、改めて「持続可能」な木の建築造りに邁進して行かねば、との思いに至ります。そして私が子孫に遺せるものがあるとすれば、これかもしれないとの思いにも。

 

    〽︎ 嗤う他なしこの世のことは とどのつまりのあの世往き

 

写真:上 大平山元遺跡(青森県外ヶ浜町出土)縄文草創期の土器片
中下 人面深鉢土器(勝坂式 縄文中期 伝山梨県北杜市縄文遺跡周辺出土)

 

2020年7月3日