日本のすがた・かたち

2020年2月15日
濃厚な接触

今、世界で最大の関心事は新型コロナウイルスです。
何しろ目に見えないウイルスが世界を席捲し、人間の歴史を変える可能性が出てきたからです。

 

事の始まりは湖北省武漢といわれ、現在、感染は中国ばかりか世界20数か国に及んでいます。
2002年11月に、中国南部広東省で非定型性肺炎の患者が報告されたのに端を発し、世界30数か国に広がったSARSも新型コロナウイルスでしたが、今回のウイルスは未だ不気味の領域で、恐怖が増すばかりです。

 

以前、中国に旅をしました。
初回は上海に入り、蘇州、武漢、西安、洛陽から北京へ。二度目は大連に入り、瀋陽などから北京への旅でした。行った武漢の町は発展途上でした。

列車の旅でしたが常に森や広大な土地が付いて回る景色がありました。山々は山頂まで耕され、「耕して天に至る」とはこのことか、と驚きました。
ただ不思議に思えていたのは、何処を見ても建築に使える木々が見当たらないことでした。
帰ってきてから、日本の山河を目の当たりにして、人間は何処で生息するかによって身体ばかりか、民族の心の在り様も違うのだと改めて思い至りました。「気候風土の違い」という言葉もその折に身に沁みました。

 

日本の国土の約7割は森林に覆われています。
森林は人間が生息する基本的要件である水を貯え、川や地下水となって飲料水となり、動物を育み、もたらす養分は川に流れ、海に流れ、海の生物を育みます。また森林は、建築など生活用材として人間の生存に寄与しています。
我が国の植林は、最初密に植え、やがて間伐して一定の間隔を保ち、木を育てます。その一定の間隔こそが日本林業の知恵で、美林といわれるほどの風景を生み出しています。

 

そしてこの頃、その一定の間隔と新型コロナとの関係が妙に私の中で交差するようになりました。

新型コロナと森林には脈絡がなさそうですが、私の頭の中では共に自然循環サイクルの中の生物であり、植林も、人の関係もウイルスとの関係も、自然発生的な距離感を必要とするところで繋がっています。

その新型コロナは濃厚な接触で感染するといわれます。
2メートル程の距離で人に接するようにとの指導がありますが、満員電車などではそうは行かず、男女の仲もその様な分けにも行かず、ついつい濃厚な接触に・・・。

この数日、コロナウイルスを人の大きさと想定して、病原菌で街が溢れる様を想像しています。私も新ウイルス人間になる可能性がありますが、せめて林業に倣い一定の間隔で人の接しようと思うところです。

今はただ、無抵抗に時の過ぎ行くのを待つばかり。せめて濃厚な接触ではなく淡い交わりで・・・と。

 

                    〽︎ 新型コロナで 歴史が変わる 主義も掟も 喰い潰す

 

 

画像:2019新型コロナウイルス

 

 

2020年2月15日

2020年1月26日
静かな興奮

 

         能代なる 天然のその 秋田杉 神に供せと 天の聲する

 

この高揚感は何だろう、と思いながら、急に雪が舞う能代の里でした。

秋田杉は我が国では屈指の銘木といわれ、木曽(ヒノキ)、青森(ヒバ)と共に日本三大美林といわれています。
5日前に天然の秋田杉が競りに出るとの情報を得た私は、関係者の方たちと協議し、急遽、秋田県東能代の県立銘木センターの競り市に出かけました。
この寒さの中、東北の秋田の山に出かけるとは…。不運といえば不運、また幸運といえば幸運、相半ばの状況でした。

 

二日間の予定をキャンセルし、早朝東京に出て、秋田新幹線「こまち」に乗り、一路秋田へ、そこから懐かしい奥羽本線に乗り換え、車窓から雪の積もる能代平野を経て、東能代へ。
降り立つと想像以上に雪はなく、東京とさほど変わらぬ天気で拍子抜けでした。

 

銘木センターには、大径の天然秋田杉が並び、この風景はもう十数年も見たことがないと感慨深く眺めました。前日の下見を終え、市内のホテルに。

 

早朝の天気は曇天で今にも雪が舞いそうな気配でした。
市内の道路には雪の気配もなく、今年の異常気象を肌で感じとりました。

 

昼から「山の神」を祀る神事に能代市長や関係者とともに参列させて頂き、競りの会場へ。
すると突然、雪が舞い始めました。私は浄めの雪だと思いました。

 

百人ほどが見守る中、二十社以上での競りは進み、そして予定した大径杉へ。私は競りを依頼した競り子の左後ろに立ち、見守りました。その時、得も言われぬ高揚感に見舞われ、静かな興奮の中にいました。冷たい空気も気にならない感覚でした。

予定した原木は殆ど落札し、帰りを急ぎました。

 

帰路の車中で、雪のない平野を眺めながら、何故このような急展開になったのか、考えていました。
答えはなく、ただご縁としかいいようのない二日間だった、と。

 

生涯、木の建築を造ることを志し、木と共に歩いてきたこの40年間。
今回の出来事は、尚、そこに思いを致すよう教えられたようでした。

 

あの静かな興奮は、私に新たな使命を与えてくれた興奮のでした。

このご縁を作ってくれた方たちに深謝九拝。
あの杉に再会できる日を,とても楽しみにしています。

 

      秋田杉 1メートルの 径の前 静かな興奮 寒空の下

 

 

2020年1月26日

2020年1月16日
如月の茶事

この年末年始の慌ただしさは、今までなかったことでした。
原因は幾つかありますが、今年は知己方たちが亡くなり、また仕事の展開や窯出しなど、幾つものことが重なりました。
賀状も出さず仕舞いのものもあり、不義理を詫びる新年の出発となりました。

 

その中で、予定をしている茶事の準備は折にふれ進めています。
毎度ですが先ずは、身体作りからです。半年も茶事から離れると脚がいうことを聞かず、立ち居振る舞いがスムーズにできず、痛みがでて、お点前どころの騒ぎではなく、おもてなしもできなくなります。
次が露地や茶室を整え、簾や手桶などの露地道具の手入れをすることです。
露地は草木が生き生きとするように、手入れと掃除に始まり、掃除に終わります。
露地道具は古くとも清潔が第一で、ひとつひとつを予め使いためしながら整えて行きます。

同時に席中の道具を組んで行きます。
この道具組の作業は客の顔を思い浮かべながらしますが、亭主の客への配慮、茶の湯に対する考えや、美意識が問われることにもなるため、思案を重ねることになります。
第一の道具は「床掛物」で、この床の間の設えで一会の良否が分かれるものです。この掛物を挟み主客が問答と交わすシーンこそが茶事の醍醐味といえるもので、この清談こそが一会に集う者への贈り物といえます。

 

今まで二百回を超える茶事・茶会を催してきましたが、その日、その時に臨む思いは恋心にも似て、歌の文句ではありませんが「恋はいつでも初舞台」ということになります。

当日は「正午の茶事」のため、昼食を挟んだ組み立てとなり、初座は席入、問答、初炭、懐石、菓子、中立、後座は席入り、濃茶、続き薄茶、退席の順で進行する予定です。
今週中に客に案内状をしたため、その後、半年前から準備し正月の窯で作った焼物の道具を使用可能な状態に整えることになります。

そして仕上げは茶杓削りと青竹の蓋置、灰落とし、露地箸作りです。
これらは多分、前日に出来上がることになりそうです。

 

茶事は客組が八分といわれます。
何時の世にもことの主役は人間で、その人間がどの様に生きているかが主題となります。
「恐ろしや茶事、あな恐ろしかな茶の湯」です。

日本文化は、神道、日本仏教、皇室で構成されています。茶の湯の茶事・茶会はその文化のを日常的に表現できる深遠な行為です。皇室が外国の要人を必ず茶会で持て成すのはここから来ています。

仕事優先ながら、当日は脚が持ちこたえることを期待しつつ・・・。

 

    縄文の 土器の姿を 写し焼く 窯より出る 我の水指

 

写真:丹波焼締め 大水指 銘「翁舞」 自作

 

 

2020年1月16日

2020年1月2日
謹賀新年

     

     あけましておめでとうございます

     

    新玉の 年の初めの 富士の嶺に 君健やかで あれと願いぬ

      

            2020年 元旦
      

            太 田 新 之 介 

 

 

 

 

2020年1月2日

2019年12月20日
暦尾将尽の候

今年も僅かとなりました。
例年、年の暮れが近づくと何かと気忙しくなり、あっという間に暦尾将尽となります。

この数年の歳末には、果たして「五意達者」の域に至ったのか、という問いに遭遇しています。
「五意達者」とは江戸初期の大工の長である棟梁の心得といわれるもので、20年ほど前から私はこの領域に達することを目指していました。
目指すのは理想とする「建築家」ではなく「大棟梁」という感じでした。

五意達者とは、
1.式尺の墨曲:寸法の比例を認知し曲尺を駆使して複雑な納まりを図解できること
2.参合: 工費や材料の積算ができること
3.手仕事: 頭だけでなく手も自在に使えること
4.絵用: 建築彫物の下絵が描けること
5.彫物: 自ら彫刻もできること
中でも1.の式尺(木割)、墨がね(規矩)の習得は困難を極め、墨付けの技法は熟練を要すことになります。

建築家として独立し10年も経った頃、我が国の伝統である本格的な木造建築の設計監理に就いた折、それまで手掛けてきた鉄筋コンクリート造や鉄骨造の建物は、他国の建築家でも設計できることに気が付きました。それと時同じくして、伝統的な木造社寺や数寄屋、茶室の仕事は誰でもができるものではない、との確信を得ていました。
以来、設計に就くものとして日本の木の建築を造ることに特化してきました。
依頼された木造以外の仕事は協力者の手を借り、歯がたちそうもない「木の建築」と向き合いました。
それから30年余となります。

 

その間、心がけてきたことは、棟梁の長である大棟梁が熟得しなければならないとされた「五意達者」の域に達することでした。
私見では、「五意達者」とは建築において、設計施工の指揮がとれ、その実務ができるというものです。
構想をたて、設計図を描き、工事費と工期を算出し、材料と技術者を調達し、儀礼・儀式を行い、完成までの総指揮をとるというものです。映画を始めイベント、ライブなどの企画・構成・演出・脚本・出演・監督・マネジメントまでを一気通貫でやろうするようなものでした。

 

さて、今年末の感じはどうかというと…。
心境は五意達者風になって来たようですが、未だ何だかよく分からない状態でもあり、この地球の片隅で生きているひとり、という感じが心を占め、目標が霧散し、でも志は堅固に先鋭化している、というところです。

 

来週から一年分の汚れを落とすための大掃除を始めます。身も心も浄めながら…。

 

 〽︎ 人間は・・・ どこで生きても 分け隔てなく 食うて出しては あの世往き

 

 

写真:「棟梁」本紙83×152センチ 1996年自書(伊勢丹個展)
下 望月の図・良寛歌 「向かいいて千代も・・・」2013年自画

 

 

2019年12月20日

2019年12月6日
神々の御座した宮殿

柱など主要な木材は、皮付き丸太でした。
屋根は萱ではなく大和葺きなどの板葺き。その他の構成材料は、素木、杉板、杉皮、竹、茣蓙(ゴザ)、ヨシ、柴垣などで、まるで縄文時代さながらの構成材といえるものでした。

大嘗宮の殿舎の木材の使
用量は約550㎥。
主材は長野県産の唐松皮付き丸太、静岡県産の杉皮付き丸太、大鳥居は北海道産のヤチダモ皮付き丸太、その他、奈良県、京都府等から木材を調達したといいます。
造りは皮付き材をそのまま使う「黒木造り(くろきづくり)」で、他は素木造りの木材でした。
黒木造りは神(自然)に一番近い建築、といわれるものです。

7月26日、大嘗宮地鎮祭が執り行われ、工期約3ヶ月で約30棟の木造殿舎の造営は、世界に冠たる我が国の匠の技がなせる稀有なものといえます。
施工は明治から平成の大嘗宮に携わってきた、大手ゼネコン清水建設が担当し、会社では神社仏閣の経験者を集めた全社横断のプロジェクトチームを結成し、全国の名だたる宮大工の棟梁を訪ね、北陸、関東、東北地方から腕利きの宮大工を確保。工事が最盛期を迎える8月下旬からは、毎日約120名の宮大工が現場でその腕を競ったとのことです。
工事中には数々の大型台風に遭い、苦心したと思われますが、10月末に無事完成し、天皇による大嘗祭が滞りなく行われました。

先日、一般公開に合わせ、数ヶ月で解体される幻の建築を拝見しました。
私は主として木造建築を手掛けてきたこともあり、大嘗祭の黒木造建築を拝したいと思ってきましたが、望みが叶いました。
磁石で方位を見ると、全ての殿舎は南北に1度の狂いなく軸を揃え、しかも配置や建屋の高さの比率は美しく、我が国の建築の美意識に暫し酔ってきました。

11月14~15日、新帝は「廻立殿(かいりゅうでん)」で沐浴による禊祓の儀を行い、「神の資格」を得る。そして、「悠紀殿(ゆきでん)」、「主基殿(すきでん)」に於いて、祖神天照大神と共寝共食の秘儀を行い「天皇霊」というカリスマ原理ともいうべき神格を得て蘇生された…。その秘儀が、眼の前の建物で、神々が二夜御座した(おわした)黒木造りのこの宮殿で…。

 

18日間の一般公開を経て、完成後1ヶ月半ほどで取り壊される殿舎は、日本人の自然観や価値観、美意識を、建築をもって伝え、儀礼・儀式を伴った永い時間の経過を知らせてくれました。そして、木の文化の中で育ち生きてきた、先祖の魂の拠り所を教えてくれました。

帰路、新幹線から陽光に浮かぶ相模の海を眺め、日本人の誇りと共に、自分はこのまま木の建築を造り続けたいと思いました。

 

 

2019年12月6日

2019年11月23日
親謁の儀

乗鞍岳の麓に、2500年前から口伝されていたという、『飛騨の口碑』なるものがあります。
これを世に出したのは哲学者の故山本健造氏ですが、その中には永く隠蔽させられていた我が国の肇国の歴史が明らかにされていました。
『古事記』、『日本書紀』など、国史といわれる歴史書に書かれている内容が、神話仕立てなど不自然であり、太安万侶と共に『古事記』の編纂に関与し、口述した人物とされる28歳の天才舎人〈稗田阿礼・ひえだのあれ〉に関しては確たる実態はなく、「続日本記」など他の歴史書には登場せず、謎の人物で、異説に藤原不比等同一説まで飛び出していました。

 

山本健造は口碑から、稗田阿礼は「飛騨に在れます御方」をいい、現在でも二千数百年続く「阿禮家」の先祖だったとして、阿禮家の末裔を明らかにし、稗田阿礼は超能力者・シャーマンだったと示しました。

また、『古事記』は実史をもとに、時の権力者の祖の地である出雲賛美の物語であり、飛騨天孫族・皇統(天皇家)の仰讃の形をとりながらも出雲政権の正統性を示そうとしたものと、幾つかの証拠を挙げています。

 

『古事記』上巻(かみつまき)は序と神話です。
天地開闢から日本列島の形成と国土の整備、天孫降臨を経てイワレヒコ(神武天皇)の誕生までを記す「日本神話」。スサノオノミコトのヤマタノオロチ退治。その子孫の大国主神の稲羽の素兎(因幡の白兎)。国土が整うと国譲りの神話で、叔母であるイルメムチ・天照大神は葦原中津国の統治権を天孫に委譲することを要求し、大国主と子供の事代主神はそれを受諾する。中津国の統治権を得ると、飛騨高天原の神々は天孫ニニギを日向の高千穂に降臨させる。そしてニニギの子供の山幸彦と海幸彦の説話。浦島太郎のルーツともいわれる海神の宮殿の訪問や異族の服属の由来などが語られる。山幸彦は海神の娘と結婚し、孫のサヌノミコト・神武天皇が誕生する・・・。
続く、「中巻(なかつまき)(初代から十五代天皇まで)」。「下巻(しもつまき)(第十六代から三十三代天皇まで)」の3巻より成っています。
現存する『古事記』の写本は、主に「伊勢本系統」と「卜部本系統」に分かれています。

そして、偽書ともいわれた『古事記』のまやかしの部分を照らしたのが、『飛騨の口碑』でした。私にとって、その説得力は快刀乱麻の如くでした。

 

昨日、天皇皇后両陛下は伊勢神宮外宮にて、皇位継承に伴う一連の国事行為「即位の礼」と、一世一度の重要祭祀(さいし)「大嘗祭(だいじょうさい)」を終えたことを報告する「親謁(しんえつ)の儀」に臨まれ、今日23日に皇祖天照大神に祭儀の正装「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」姿で馬車にて、「三種の神器」のうち剣と璽(じ)(勾玉(まがたま))とともに、内宮正殿に昇り、玉串をささげて拝礼されます。
皇統天照大神から2000年余の時の流れを感じることのできる一連の儀礼・儀式です。

 

日本の国の歴史と伝統は、時代と共にすがた・かたちを変え、幾重にも積み重なって今日を形成しています。その国の民族の文化とはゆるがせにはできない匂いを発するものだと思っています。皇室は、我が国の歴史と伝統に馥郁たる香りを放つ文化だと、改めて思いを致しているところです。

 

この12月8日を過ぎると解体される素木造り大嘗宮を行こうかと、考えているところですが、何しろこのところの用事の多さでは…。

 

写真: 伊勢神宮外宮を参拝される天皇陛下 (Webニュース)

 

 

2019年11月23日

2019年11月11日
大嘗宮の儀

今日11月10の「祝賀御列の儀」をもって国事による天皇即位礼のすべての儀式が終わりました。

続いて11月14~15日から皇室行事の大嘗祭「大嘗宮の儀」が行われます。
「大嘗祭(だいじょうさい)」は、毎年11月に宮中祭祀(きゅうちゅうさいし)として行われる「新嘗祭(にいなめさい)」を即位後、初めて大規模に行うもので、皇位の相続儀礼とも即位儀礼とも異なる、我が国独自の天皇霊継承儀式で、その儀礼の中に、神・天照大神と人・皇位継承者とが共に寝て、共に食す、という一世に一度の重要な秘儀があります。

この度も、その年の新穀を二つの地域から選定し(4月)、稲の抜き穂行事(9月)、酒の製造、貢納物の調達、神服の用意(10~11月)。禊の行事(10月下旬)。仮宮殿の造営(10月末完成)。神・天皇に対する奉納(11月14日)。大嘗祭—悠起殿・主基殿の儀(11月14日の夜から翌朝の暁まで)へと進みます。

 

儀礼の次第は、天皇は事前に宮殿にて「大忌御湯」である聖水による沐浴をし、11月4日当日に大嘗宮「回立殿」で「小忌の御湯」という沐浴による禊祓の儀を行います。この時天皇は「天羽衣」なる湯帷子に着替え、湯桶に入り、次いでそれを脱ぎ捨て、上がってから別の「天羽衣」に着替えます。この沐浴のというプロセスを経て、新帝は「神の資格」を得る、と伝えられています。
それは、鎮魂の式による霊の復活と新しい生命の誕生を現わしていて、復活蘇生までの間、物忌みのために身につけていたのが天羽衣で、それを脱ぎ捨てて、はじめて「成年」になるとされ、この天羽衣の脱着が、天皇の心身に呪的な変化を起こさせる重要な秘儀とされます。

そして深夜、天皇は悠起殿・主基殿に於いて天照大神と共寝共食の秘儀を行い「天皇霊」というカリスマ原理ともいうべき神格を得て蘇生されるとのことです。

私たちは、時代と共に変貌をとげてきた律令国家とその末裔でありますが、今日、大嘗祭のすがたを見てみると、日本のすがた・かたちが見えてきます。そして1300年の間、その主役は初代神武天皇から4代前の高祖母のヒルメムチ・天照大神に辿り着きます。
日本文化の大きな塊のひとつが皇室ですが、この度の天皇即位の一連の儀礼を見ていると、まさにその感を強くします。そして、日本人の人間観は平等ではなく、公平であると改めて思います。
そして、日本人で良かったと・・・。

 

この8月に大嘗宮の敷地を見学してきました。
そこは90メートル四方の敷地に大小約40棟の建屋で構成され、その中でも、天皇が湯あみと着替えをする廻立(かいりゅう)殿、その年に収穫された稲の初穂を供える悠紀(ゆき)殿と主基(すき)殿は、合わせて主要三殿と呼ばれ、古来の木造様式で建てる準備をしていました。

大嘗宮はこれからの行事の後、解体されます。その前の11月21日から一般公開されるといいます。
私は、令和日本人の造った美の粋を拝見したいと思っています。

 

写真: 伊勢神宮内宮正殿
下 令和の「大嘗宮」 Webヨリ

 

2019年11月11日

2019年11月1日
大炎上

10月31日の朝は市の文化財審議委員会の視察で、箱根八里を訪ねるため、バスで小田原城に移動していました。
車中、深秋の箱根道に晴れ渡る景色が爽やかに映っていましたが、私の心は沈んでいました。
未明の首里城の炎上の映像が目に浮かび、心が晴れませんでした。

そして、今日のNHKニュースをネットで見て、また胸が痛みました。

 

― 鮮やかな朱色がまぶしい首里城の修復に関わってきた漆塗り職人の男性は、焼け落ちた城を見たあとひとり、車の中でSNSにつぶやきました。

「建物なんて塗ったこともない漆職人が、あーだこーだいいながら塗り直してきた首里城が燃えちゃいました。
ほんとに泣けてきました。
漆のこともまだよくわかりもしなかった自分を育ててくれた首里城。
ナイチャーの自分が今こうして、沖縄で漆の仕事ができるのも首里城のおかげです。
感謝しかありません。
その首里城が燃えちゃいました。
13年かけてみんなで直してきた首里城が燃えちゃいました。
毎日、毎日塗ってきたんだけどなあ。
13年かけて塗り直した首里城が3時間で燃えつきました。
燃えちゃいました。
燃えちゃいました。
燃えちゃいました。」―

(2019年10月31日 20時39分 ネットワーク報道部記者 大窪奈緒子・郡義之)

 

私も建築を造るひとりとして一文に思わず涙しました。
そして、貴重な伝統建築が焼失したと同時に、積み重なってきた「文化」と「伝統」、「時間」が焼失したと思いました。

 

今日、政府は、沖縄の重要なシンボルで、復元に向けて、早急に対応する必要があるとして今年度の補正予算案に必要な経費を盛り込む方向で検討に入ったとのことです。
早くも再建に向けた動きが始まっています。

首里城に関する設計図書など、データは整備されているとのこと。

日本人は瞬く間に再建を成すことと思います。
私も微力ながらできることがあれば、と念じました。
SNSに投稿した漆職人のためにも…。

そして再度訪れてみたいと思いました。

 

写真:炎上する首里城 (NHKニュース)
下 焼失前の首里城

 

 

2019年11月1日

2019年10月25日
即位礼正殿の儀

令和元年10月22日の祝日は富士山の初冠雪の日でした。
雨上がりの、皇居の松の間で行われた「即位礼正殿の儀」は、まさに日本の儀礼・儀式というものでした。

天皇はそれに先立ち、宮中三殿の賢所に祭祀されている皇祖天照大神に、即位を奉告し、午後1時から「即位礼正殿の儀」で、天皇陛下が台座にのぼって、即位を内外に宣言するおことばを述べられました。

 

テレビ中継でこの一連の儀式を観ていた私は、奈良時代から天皇の即位に関する重要な儀式などで用いられてきた「高御座」の帳が開けられ天皇が現れた時、言い知れぬ感動の中にいました。
まさに、日本における最高の儀礼・儀式が目の前に展開されていると思ったからです。

 

平成十一年五月三十日、天城湯ヶ島町(現伊豆市)で第五十回全国植樹祭が行われ、その会場のメインステージ「天城の森・お野立所」の設計監理の任に就き、全国で初めてとなる本格的な木造建築を創りました。
当日、空は蒼く澄み渡り、両陛下(現上皇・上皇后)のお立ちになる姿を正面から拝し、建築家を志して二十余年、一心に生きてきて良かったと思い、親兄姉の顔が浮かび、両陛下の植樹される姿が、涙で見えなくなったことを覚えています。

 

その十三年後、皇太子(現天皇陛下)による育樹祭が行われ、建築家として招かれました。行事に先立ち農水大臣はじめ大勢の関係者の前で、設計主旨の話をさせて頂きました。
自分が設計したお野立所の中で、しかも、両陛下がお立になった場所で、と、不思議な気持ちがしていました。
その後、静岡のホテルの祝賀パーティーがあり、殿下と思いがけずに会話となりました。
殿下に設計意図を尋ねられ、「良い仕事をされましたね。」と労をねぎらわれました。
私は、植樹祭の折、両陛下がお野立所に立たれ、育樹祭で殿下が施肥をされるお姿に、日本のすがた・かたちをみる思いがしましたと、伝えました。

日本文化は神道、日本仏教、皇室の大きな塊でとらえることができますが、わけても皇室は二千年余の歴史を持つ文化の精華であり、日本そのものといっても過言ではありません。
191の国・機関が参席した儀礼・儀式こそ、世界に稀なる「和の国・日本」ならではの出来事といえるようです。

 

私は先人と同じように、日本文化の中に生を受け、その中に育ち、その中を継承し、その中を創り、その中を次代に伝えて行く、そのために生まれてきたように思います。
古き良きものに新たなものを重ねて行く、伝統とは、常に新しい未来志向の産物に他ならないようです。

 

儀式は、特定の信仰、信条、宗教によって、一定の形式、ルールに基づいて人間が行う、日常生活での行為とは異なる特別な行為で、宗教的色彩の薄いものは式典とも称され区別されています。また、儀礼は、秩序づけられた行為一般をいい、文化の中で形式化された行動をさすものですが、今回催された一連の「即位の礼正殿の儀」こそ、二千年余続く日本文化の精華である、と改めて思い致しました。

 

両陛下がのぼられた高さ6.5メートルの「高御座(たかみくら)」と5.5メートルの「御帳台(みちょうだい)」には、我が国の伝統建築の粋が集められ、造作に就く工人たちの誇りに満ちた顔が浮かびました。

そして、私も伝統の担い手のひとりでありたいと…。

 

 

写真: 台座にのぼられた両陛下(Webより)
下 10月22日初冠雪の富士

 

 

 

2019年10月25日