日本のすがた・かたち

2019年10月2日
四つの窓から

 

 

〽︎  空間、時間、勢力、志向 ほんに建築は六次元(都々逸)

〇 新しいものばかり追いかけていると、いずれ中身が空っぽになる。
設計の発想を得るにはまず自分を充実させることだ。

〇 「温故知新」、古きものの中に新しきものが充満している。

〇 新しいものはAIの得意分野だ。これからの世で最も人間的かつ創造的なことは、遠く古きことを尋ね、新しきを得ることだ。

〇 明日を生み出すには、今日までの積み重ねを頼りにする他はない。

〇 自分を充実させる手立ては夫々に異なる。顔付きが夫々違うように。

〇 創造することの面白さに遭遇する時、私は沈黙している。

〇 縄文時代を訪ねるようになってから、私は設計が面白くなってきた。一万五千年の時の流れに興味は尽きない。

このようなことを呟きながら、「三島御寮」造営計画に取り組んでいる昨今です。
そして今、この呟きの根底にあるのは「六次元弁証法」です。

 

六次元の思考については、10年前から私をとらえて離さない世界観で、これを提唱されたのが『飛騨の口碑』を世に遺した山本健造翁です。
翁は2007年に亡くなりましたが、著作により私は「六次元理論」や、インドの最古典『リグ・ヴエ―ダ』の思想によると、「普通の人間は、この世の中の4分の1しか見えない。残りの4分の3は悟りを開かねば見えない」などの理論に共感し、以来、設計活動を通して、折々実践解明するようにしています。
結果、ものごとを「空間(三次元)」、「時間(四次元)」、「勢力(五次元)」、「志向(六次元)」的思考方法を持ち、その四つの窓から建築の設計を観ると、いつどこでもどの様な建築のプランでも容易くできる、と思うようになりました。面白いようにすがた・かたちが現れてくるからです。

 

また、山本翁は21世紀型の「統合医療」も提唱しています。注目すべきは神秘的といわれる念写や瞑想、波動の原理を科学的に応用する治療を勧めていることで、これらも四つの窓から病気の治療を目指していることになります。そしてすべては「崇高な志」にその結果があると説いています。

 

翁の思想は現在、山本貴美子氏が継がれ、「一般財団 飛騨福来心理学研究所」、「六次元会」を主宰して、多くの方を導いておられます。
先日、貴美子氏より便りを頂き、飛騨高山市をお訪ねしたことを懐かしく思い出し、再び訪ねてみようと思っているところです。

 

今日はボンヤリ空行く雲を眺めながら、自分の建築構想は六次元的思考を基にしているようだ、と頷いています。

 

写真: 山本健造翁

 

 

2019年10月2日

2019年9月17日
川越、行き合いの空

先日、埼玉県川越市近郊にある遠山記念館を訪ねました。

旧遠山家住宅は、日興證券(現SMBC日興証券)の創立者である遠山元一が生家再興と母の安住の住まいとして、1936(昭和11)年に居住部分を建て、その後、茶室など造営されたものです。
東棟は生家の再興を象徴する豪農風、中棟は貴顕の来客を接待する室礼の書院造り、西棟は母のための数奇屋造りという異なる趣の3棟を連結する設計で、各棟とも多様に吟味された良材を使用し、卓越した技術が駆使されています。

2000(平成12)年に茶室など9棟が国の有形文化財に登録され、2018(平成30)年には国の重要文化財に指定されています。現在の「遠山記念館」は、重文の「紙本著色三十六歌仙切(頼基)佐竹家伝来」などで有名な遠山元一の邸宅と美術コレクションをもとに、1970年に開館したものです。

私は数年前に伺い、美術館の依田学芸員に詳細な説明を受け、優れた建築を造った人たちに思いを馳せました。特に兄弟が、没落した遠山家の再興を願い、苦労を重ねた母親のために土地を再取得し、母親が老後に安住できるよう造営した思いが建築のすがた・かたちに現れていたことに、感動したことを覚えています。
今回も、「建築の良し悪しは、造ろうとする人たちの誠意の総量で決まる」、と改めて思いました。兄弟の母を思う気持ちが全てを創ったのだ、と。

 

茶道や建築関係者は夫々の感慨を持たれたようです。
同行された建築家の及川博文さんは、
「ー場所毎に部材同士の組み合わせや素材の対比なので構成される空間は、その一つ一つが丁寧にデザインされ、豊かな発想力と造形の美しさはどれも目を見張るものでした。
図録のきれいな写真からは掴み得ない、自らの身体で空間を確かめる事の大切さを再確認しました。
何よりも、そうした希少材を駆使した職人の高い技量と創意のエネルギー、さらにいえば造営主の強い願いが結晶化したものだと実感しました。
一方、結晶度が高い建物ほど雨漏りシミ等の残念さは、大きく心に残ることも感じました。—」。
との一文を寄せています。

優れた建築は、時空を超え、多くの人々の精神に、良質な影響を与え、そして品格を高めて行きます。
優れて美しいものに触れた時、人間の品性は高まるようです。バスの窓から黄昏の景色を見ながら、文化芸術こそ、和を尊ぶ人間にとって最も必要な要素なのだ。そう思いました。

私も気合を入れなくては…。

 

        遠山の屋敷を母の住処にと 子等の思いか行き合いの空

 

写真:上 遠山記念館 表門(長屋門)

下 内部座敷 撮影 H・ Oikawa

 

 

 

 

 

 

2019年9月17日

2019年9月5日
「大嘗祭 」大麻の織物

「―徳島県吉野川市山川町地区の山崎忌部神社で2日、11月にある皇位継承の重要祭祀「大嘗祭」で献上される麻織物「麁服(あらたえ)」を作るための麻糸が、神社の氏子らでつくる「阿波忌部麁服調進協議会」に引き渡された。今月10日に「初織式」が行われ、織り上げた麁服を皇居に納める。」(9月2日徳島新聞)

神服の「麁服」は、阿波忌部直系氏人の御殿人(みあらかんど)が、天皇陛下が即位後、初めて行う践祚大嘗祭(せんそだいじょうさい)の時にのみ調製し調進(供納)する「大麻の織物」をいいます。

大嘗祭は、天皇が即位の礼の後、初めて行う新嘗祭で、即位後初めての新嘗祭を一世一度行われる祭として、律令ではこれを「践祚大嘗祭」と称しています。
儀式の形が定まったのは、7世紀の皇極天皇の頃といいますが、格別の規模のものが執行されたのは7世紀後半の天武天皇の時が初めてとされます。

大嘗祭は皇位継承の正統性をこの祭儀礼を以って証明するというもので、その中身は日本天皇制の性格を顕わす秘儀とされ、天皇の霊的な継承儀礼として公開されず、イネ(生産)とタマ(霊位)にもとづくマツリゴトとされてきました。

内容は延喜式を基とし諸説ありますが、山折哲雄著「天皇の宮中祭祀と日本人」によると、「―大嘗祭儀礼は、天武・持統天皇期に定まったと考えられ、「天皇霊」という言葉も用いられるようになっていたという。天皇の「カリスマ原理」を示す古代的観念といわれているものだ。―」とし、11月卯の日の夜から明け方にかけて行われる大嘗祭について書いています。

「-この日は、内裏に一時的に造営されたふたつの殿舎に天皇が籠もり、その年にとれた新穀を神・天照大神に供え一緒に食べる、という儀式である。天照大神との共寝共食の秘儀に入るというのである。
天皇は深夜、仮の宮として建てられた同一の悠紀殿、主基殿に籠もり、同じ所作を二度繰り返すことになっている。両殿内部はふたつの部分に分かれ、北側を「室」南側を「堂」という。そして寝具の東側に、天照大神が降臨する神座と、それに対向して座る天皇の座が用意されている。
天皇はまずその寝所に横たわって褥と衾(ふすま)で身を包み、その儀が終わってから、神座に向かって新穀を供進する。衾に包まれて休むのも神座に向かって新穀を供するのも、天照大神とともにそうするものとして、まさに神との共寝共食の秘儀を行うのである。
この「室」には天皇以外に入ることは許されないが、ただ、西の隅に「采女台座」とあるように、天皇の身の回りの世話をする女官が例外的に随待するが、神儀が開始される前に采女は退出する。この秘儀が「室」で行われると、南側の「堂」では、関白座が設けられていて、その地位にあるものは御簾越しに天皇の動きを秘かに見ることができたという。―」

1. 新穀を用意する二つの地域(斎国)の選定(4月)
今回の斎国(いつきのくに)は東の栃木県、西の京都府が選ばれた。
2. 出そろった稲の穂を抜く抜き穂の行事(9月)
3. 斎場における諸行事(白酒・黒酒の製造、贄=天皇への貢納物の調達、神服の
用意など(10~11月)

いよいよ大嘗祭の準備が整ってきた感があります。
私は、天皇祭祀こそが日本文化の根幹を成していると思い、秘儀として伝えられてきた大嘗祭をみるとき、日本人とは、何と不思議な精神性を保持し、壮大なドラマを演出してきた人たちの集まりなのかと思わずにはいられません。

天照大神は、歴代天皇と共にして秘儀を行ってきました。大嘗祭において鎮座まします伊勢神宮より宮中三殿の悠紀殿、主基殿の儀に臨まれ、子孫(うみのこ)である天皇に御魂を移されてきたのだと思うと胸が躍ります。
何世紀にも亘る秘儀の伝承は、深遠な日本民族そのものといっても過言ではありません。

 

これから11月14,15日の大嘗祭本祭までの祭祀次第は、
4. 禊の行事(皇居内)(10時月下旬)
5. 仮殿舎の造営(祭日の7日前に着工)
6. 神・天皇に対する奉納(11月の卯の日)
7. 大嘗祭―悠紀殿(ゆきでん)・主基殿(すきでん)の儀(卯の日の夜から翌朝の暁方まで)
と、続きます。

そして大嘗祭の本祭に向け、大嘗宮(大嘗殿〈おおにえどの〉)が皇居朝堂院の前庭に造られます。本祭の約10日前に大嘗宮の材木と諸材料と併せて茅を朝堂の第二殿の前に運び、7日前に地鎮祭を行い、そこから5日間で全ての殿舎を造営し、祭の3日前に竣工することになっています。

童女が火を鑽出して国司や郡司の子弟の持つ松明に移し、その8人童男童女が松明を掲げて造営予定地の斎場に立ち、工人が東西21丈4尺(約65メートル)、南北15丈(約46メートル)を測って宮地とし、これを中に東に悠紀院、西に主基院とします。木綿をつけた榊を捧げ、両院が立つ四隅と門の場所の柱の穴に立て「斎鍬(いみくわ)」で8度穿ちます。
東西に悠紀殿(ゆきでん)・主基殿(すきでん)、北に廻立殿(かいりゅうでん)を設け、それぞれの正殿は黒木造(皮付き) 掘立柱、切妻造妻入り、青草茅葺きの屋根、8本の鰹木と千木、ムシロが張られた天井を有するものです。外を柴垣で囲み、四方に小門をつけます。

地鎮祭の後、祭の7日前から大嘗宮を造り始め、5日間以内に造り終え、「大嘗宮(だいじょうきゅう)の儀」後にはただちに撤去されることになります。2019年(令和元年)11月14・15日に行われる大嘗祭で、大嘗宮の建築費は19.7億円いわれます。

 

天皇は本祭前の第一の「禊祓い」に臨まれますが、聖水による沐浴の際、「天羽衣」を召されるといいます。御湯殿における天羽衣の着脱こそ天皇の心身に呪的な変化を起こさせる秘儀とされています。

わくわくする令和元年11月はもう直ぐです。(続く)

 

写真:上 大麻の種蒔きの儀式(4月9日徳島県美馬市)
中 仮殿舎の模型と配置図(2018年作成)
下 大嘗祭の「天羽衣」(自著『伊勢神宮』より(宮内庁書陵部))

 

 

 

2019年9月5日

2019年8月26日
曼珠沙華

「人は生まれ、苦しみ、そして死ぬだけです。人生には意味はありません。」
僧は私の眼の奥をジッと観て、静かにそういいました。

 

先日、30代一人、60代四人、70代二人の飲み会があり、話題は日常生活、健康や病気から芸能界に移り、やがて世界情勢や時事に、そして「死」について語るようになりました。
人間70歳前後になると必然的に「死」が一大テーマとなることは自然なことといえます。
夫々は自分の死生観に基づいて「自分と死」を語るのですが、聴いていると中々興味深く、人夫々はどうして「死ぬ」ことに異なる見解を持つのか不思議に思っていました。
(生まれ、苦しみ、そして死ぬだけなのに。嫌だといっても……)

その中に明解な死生観を語る人がひとりいました。
彼は「死は恐れることはなく、私は天国に召されるから。」と。
宗教による信仰を持っている人の強靭な死生観には敬服する他はありませんでした。
宗教は「人間は必ず死ぬため、ならば如何に生きるか」という宗(もと)の教(おしえ)というもので、世界に数知れずの教えは畢竟、如何に死ぬか、との教えといえるようです。

私はこの手の話題は苦手で、夫々が声高らかに死に急いでいるようでもあり、色気のある話題ならば得意なのに、何も酒を飲んで「死」を叫んでも、野暮というもので、しかし雰囲気は切迫してきて、茶化すわけにも行かず…。

この頃の私は、群れるのが苦手で、適応障害といわれようと、引きこもりといわれようと、ビールを飲みながら旨い料理を食べ、粋な話題で都々逸でもひとつ、という生活を目指しているのに、場の雰囲気からすると、いよいよ私見を述べなければならない状況になりました。

最年長の私は、先に30代の若者の意見を聞いてから話しました。
「痛いのは嫌だけど、生きものの死には良い死も悪い死もなく、死に様が良い悪いというのは残った者の主観で、今多い孤独死をいえば、厳然として息絶えて行くだけ。人は生まれ、苦しみ、そして死ぬだけ。人生には意味はないと思う」と。

 

私は若い時分に禅僧に邂逅し、その折の言葉が40年もの間、私の中に棲み付いていることを思いました。
ひとりが、「意味ないじゃーん、じゃ、サンマの名言だね。」
他のひとりから、「そしたら、どの様に生きるのがいいのですか。」と問われました。

私はビールを飲みながら、極意は「ケセラセラ!!」。

それ以上、私の死生観を話しても仕方ないことで、老人たちの夢のない話で、結婚したくない若者が一人増えるのもどうかと思い、話題を人妻パブの店に切り替え、皆を煙に巻きました。

 

40年前、禅僧は、「ですから而今(今ココ)を生きることです。」、と私に教えました。

彼岸が近づいて曼珠沙華が咲き出すと、厳しくも優しかった禅僧を思い出します。

 

 

2019年8月26日

2019年8月19日
知足者常富

以前インドやタイ、ネパール、ブータンを訪ねたことがあります。
中国や韓国にも渡りました。歴史的建造物の見聞が主な目的でしたが、やはりその国の文化に惹かれ多くの文物に触れてきました。
何時も帰りの飛行機の中で思うことは、日本の素晴らしさでした。

我が国は、渡航したどの国よりも安全で、美味しい食事が摂れ、働く機会も沢山あります。
物乞いもなく、挑戦する気さえあれば国や金融機関が資金を用意し、提供してくれる人もいます。
私は29歳の時、建築家として独立しましたが、無償で資金援助をして下さった方たちがいました。そのお蔭で今日があるのですが、その根底にある精神は戦後の高度成長期にあって、後の世代を育てる思いだったに違いありません。国民が皆で励まし合って生きていたことを感じます。
現在でも日本中で挑戦する志を持っている人は、世界最強といわれるほど多いと思います。

 

政治は現代社会の問題点を洗い出し、未来に向けて国の意思を調整する役割を担います。
野党は問題点を追求し、改善を促すものですが、昨今の野党は政権与党の失点を狙うことのみの感があり、聞くに堪えない演説の羅列に終わっています。政治家は内政ばかりか、外交戦略を構築し、実行できる人物を上とします。
我が国で、一次政権を担った民主党が崩壊したのも、財政金融や外交政策に疎かったためといわれます。私の住いする選挙区で、当時、政界のプリンスといわれた政治家は、宿敵の自民党に入り、凋落の一途です。

 

現在、我が国の未来を悲観し、否定的に語る人が少なくありません。
聞いてみると、今より良い生活をしたいのに、できないのは政治が悪い。お金が貯まらない。
自衛の武器調達よりも年金や子育て支援に税金を使え。もっともっと、と。

 

日本はGDPの世界ランキングで第3位の大国で、此れは戦後に国造りを目指した人たちの恩恵の上に成り立っています。現在、韓国が反日政策をもって攻め立てていますが、丁寧な無視をもって対応が良策だと思います。日本の土台はそう簡単に崩れることはなく、却ってこのような事態になって、如何に日本がモノづくり強国であることがはっきりしたはずです。

 

俯き加減の日本をいう人たちがいますが、脚下照顧、よく足元を見れば脚は地球に立ち、そこから広がる大地や海は無限にあり、宇宙の果てまで…。
考えてみれば日本人の優れた特質は、地球上のどこの国よりも穏やかで、諍いの少ないことが挙げられます。地政学的にもそれはいえそうです。

 

「知足者常富」(足るを知るものは常に富む)。
先人の戒語です。

私も先人のように、次代のため少しでもお役にたてるよう、暮らして行きたいと思っています。

 

写真:設計室のマスコット「山の形顔大型土偶」縄文後期(千葉県佐倉市出土)

 

 

 

2019年8月19日

2019年8月15日
体験の力

台風10号によって今夏は出かけることなく過ごすことになりました。
楽しみの縄文遺跡調査旅行も、悶々とした設計生活に変わり、熱中症厳重警戒と共に引きこもり症候群を発症するに至りました。
自然の猛威の下には何人も逆らえません。

 

先日、銀行マンたちと将来について語る機会がありました。彼らの関心事は専らAIによる失業対策で、そう遠くない内に、銀行員の三分の一がリストラされるとのことで、どうしたら良いのか、彼らにとっては人生の最大事がAI対策のようでした。

 

私たち設計の分野でも、AIの脅威はご多聞にもれず、設計要員はデータを入力する者が主流を占めることになると話しました。現に今、パソコンによる設計が大半を占め、鉛筆を舐めながら設計をする人は皆無に等しく、もしいたら、まるで旧石器時代の遺物のような存在になっているはずです。
必要なデータを入力すれば、瞬時に複数の設計案が出力され、しかもパース動画とともに資金計画や返済計画まで出てきます。つまり、これから考えてみます、というような時間は無駄で必要悪とされ、いずれAIが設計界を席巻すること必定です。

 

さて、私はどのように話したのか…。
「現在のAIは、対象の生きている人を殺傷して良いか否かの判断までできるようになっていて、既に宇宙空間による戦闘の主役に躍り出ている」。
「人間にとって代わる分野は広く、多くの人間が必要とされなくなる」。
「美術、芸術の分野でも、人間の想像を遥かに超える創造域を確保する」。
「特に偏差値能力の高い人たちは必要とされなくなる可能性が大」。
「音楽の分野でも、人間はAIの自動演奏について行けない」。
「知的職業に求められる能力は「基礎的能力」、「学歴的能力」、「職業的能力」、「対人的能力」、「組織的能力」の5つというが、「基礎的能力」「学歴的能力」は既にAIの後塵を拝している」。
「残る「職業的能力」、「対人的能力」で勝負する他はないだろう」。

 

話しをしながら私は「手に得て心に応ず」という禅語を思い浮かべていました。
それは、データや学問に依らない、体験しか信に値しない、という先賢の先鋭的な立場です。
設計の仕事ばかりかこれは全てにいえることで、身体で体験したことが己の心に応ずることこそ、他に対応できる最も有力な力となるとの教えです。

現在の設計分野ではパソコンがなければ設計できない人が大半のようです。つまり体験のない空想の世界から逃れることは不可で、造り方などは無視で、工事金とともに施工者のいいなりの状態といえます。自らが設計したものの、価格は、材料は、どの様に造り、どれくらいの時間を要し、造り方は適切か、などなど、これこそが設計監理者の仕事のはずです。

 

私は、若い建築家に「設計監理の人を目指せ!」といっています。そして己にその言葉を向けています。AIを使いこなし、多くの人のためになる生活を目指せ、と。それを可能にするには、「体験の力」が必要となる、と。

 

日本人の繊細な能力を最も必要とする時代が、そこまで来ています。

 

写真:刻々と色に染まる酔芙蓉

 

 

 

2019年8月15日

2019年8月3日
舟を設計してから

 

この十日ばかりの間に2人の訃報が届きました。
長い間親しくして頂いた方たちで、私より若い年齢の突然の身罷りは切ない限りです。

人の命は短くとも長くとも儚いもので、「一炊の夢の如し」、といわれます。まるで生を受けた瞬間から寿命という蝋燭に火が点り、蝋が溶けて命が尽きる一生の様です。

人間も齢七十を過ぎると、何時しか後何年生きるかという計算をするようになるといいます。私もご他聞にもれず、この頃は後10年とかあわよくば20年とか、と考えるようになりました。
二十一歳の時、高圧事故に遭って三途の川を渡りかけたのに、奇跡的に戻り、それから五十年余が経ちます。精神はともかく肉体を持っている宿命で、常に死と隣り合わせの日々を重ねてきたように思います。

永らえば、縁ある人との別れも多くなり、出会いが少なくなりなるは必然のことです。
古人曰く、生涯に深い縁のある人の数は、肉親も入れて両手両足の20指に満たないとしています。つまり、自分の一生を振り返ってみて、誰との交流が人生にとって重要だったか、と振り返った時、この地球上に76億人もがいるのに、生涯で20人の人との関わり合いで生きているとは不思議な気がします。

宇宙的規模から観れば、陸地に生息する人間は微細な生きもので、都市という塊はカビが地表にへばりついているように見えます。そのカビの菌が睦み合い、いがみ合い、殺し合っているのが人の世の常です。人類皆兄弟!と唱えても中々上手く運ばないのがカビ菌の宿命のようです。

 

人は人を殺め、動植物の命を絶ってわが命を保っています。肉食は罪悪という人も、草木の命を絶って己の命を永らえています。血の滴るようなステーキを食べている者がクジラやイルカの保護を訴えていることに違和感を覚えます。悲しくとも、人間とは他者を殺めてでしか生きられない生きものということになります。

縁ある人が亡くなる度にこのようなことを回想し、そして今在ることに感謝します。

そしてこの目まぐるしく動く多用の日々。
仕事を中心として毎日が充実している日常は、考えてみれば有難いことで、やることの連続によって三途の川を渡ることの想像も何時しか薄れています。近い内に必ず訪れることですが、漠然ながら,来るまでは命はあるから、忙しくて川を渡る舟の設計に手が回らないと…。

 

何時の日か三途の渡し舟を設計し、舟大工に造らせてから渡りたいと思っています。

             知己や往く 浄土に開け 蓮の華

 

 

2019年8月3日

2019年7月23日
ボンヤリ、妄想

折々、ただボンヤリして時を過ごします。
四十半ばから身に付いた習慣です。

三十歳の頃、仕事に瑕疵が生じ、賠償責任を問われました。
私にとっては大きな事件で自分の無力を、イヤというほど知らされました。
その事が縁で、禅僧太田洞水老師の座禅会に通うようになりました。

毎週日曜日の未明からの座禅は「只管打坐」、ただ壁に向かって座るというものでした。二年近くで会から離れましたが、その折に身に付いたことは、折々、静かにただボンヤリ座ることでした。
初めは気持ちを落ち着かせ、集中しようとしていましたが、その内、ボンヤリと想いを巡らせるようになりました。何時の間にか、座るという行動に成果を求めなくなっていたのです。

それが思いがけずに、空想を描き、設計意図を確実なものにできる仕組みというか、装置のようなものに変化していたようで、ある日そのことに気がつきました。
「ただ座る!」老師が常にいわれていたことが身に沁みました。

 

今日もボンヤリして、仕事のこと、京アニメビル放火、参院選、対韓国、闘病の人、会いたい人のことなどに妄想を巡らせると、何時の間にか、それらは雲散霧消。
正しいと思うことなども消え、確実に「今ココ」を生きている実感だけが残りました。

良寛さんは私と同じ歳の頃、遺偈に「人間の是非、看破に飽たり」と詠んでいます。
私はというと、「未だ看破に飽かず」というところです。
これから益々設計に気合いを入れ、人類が宝物のように思ってくれる建築を造って行きたいと思っています。

それにはなるべく人との出会いを少なくし、淡交ではなく、濃厚な関係を保ちながら「今ココ」を生き、彼の岸へ。これが至高の時の流れ方・・・。

そう思っても世の中はままならず。今年は長雨で陽が出ず、漬けた梅にカビが発生!
直ぐに養生して事なきを得たが、トホッ。

 

「時は過ぎて行く」。
人生はボンヤリとしていられないようです。

          妄想や華の色香にチャネリング

 

写真:前庭の蓮のつぼみ

 

2019年7月23日

2019年7月16日
ラフスケッチ

日本のアニメは世界一といわれています。
中でも、高畑勲の『アルプスの少女ハイジ』、『火垂るの墓』や、宮崎駿の『千と千尋の神隠し』や『風のナウシカ』は、アニメーション映画というより絵画芸術の領域にあるものと思っていました。

二人の活動は同一線状にあり、日本アニメ界の巨匠であることは知っていましたが、先年、高畑の『かぐや姫の物語』を観て、これを世に出した高畑勲に関心を持っていました。

この作品の表現方法は今までのアニメ的なものでなく、日頃、私たちが建築設計で用いているラフスケッチを、そのまま作品にしているような感がありました。
そして、その向こうには日本人よる伝統的な精神が垣間見られ、「鳥獣戯画」や絵巻類を彷彿させる奥行きも感じさせました。

 

国立近代美術館での「高畑勲展」を観て、私の中にストンと落ち、納得の感がありました。これは日本人にしか作ることのできない日本のアニメだと。
高畑勲はそれを「かぐや姫の物語」で成し遂げたと思いました。つまり高畑のアニメは、日本人による日本のアニメを創出した改革者というべきものでした。

 

日本人が日本の建築を造る、とはどういうことか、と、いつも考えてきた私は、高畑のいう日本のアニメと同じことだと思い、改めて日本人にしか造ることのできない建築のことに思いを馳せました。

日本人にしか造ることのできない建築は、木造建築で、その中でも「茶室」が最上位だと思う私は、自然の木材を使い、それに適応する道具を用い、日本文化を包含した茶の湯の儀礼・儀式を展開する空間・・・。それはまた、茶味にかなうという美意識の結晶した建築です。

少し詳しくいえば、「茶室」は内部空間と外部空間によって構成され、造営する者の思想や哲学、それに美的意識を基とした建物を造ります。小間席などは僅か三畳ほどの建築空間です。外部空間の露地も同じことですが、そのすがたを構成するものは、木や草、土や石といった自然界を構成する素材で、それぞれを加工し、組み立てるための道具を創り、高度な技術を駆使して造ります。その全ては、ただ茶の湯にいう「茶事」を催すためのものです。

 

高畑勲はアニメで思想が語れる、としていまが、建築は思想そのものであり、言葉による説明を必要としないところがあります。中でも茶室はその思想性の密度が最も高い建築で、「無言の佇まい」といえるものです。

『かぐや姫の物語』を見ると、アニメも建築もラフスケッチを描く頃が一番エネルギッシュで、思想が横溢する時のようです。「高畑勲展」を観て私はその意を強くしました。そして、手で描くスケッチこそが私の思想そのものだと改めて思いました。

 

高畑勲はロシアのアニメーション映画監督である、ノルシュテインの影響を強く受けていることを知りました。所持していた「霧の中のハリネズミ」が展観されていました。
極限まで完成されたラフスケッチでした。

 

 

写真:上『かぐや姫の物語』(展カタログより)
下『霧の中のハリネズミ』(同)

 

 

2019年7月16日

2019年7月7日
京の北山杉

我が国は国土の70%が森林で覆われています。
その森林の中で木と呼称されるものはおよそ500~1500種(数え方は色々)で、中でも建築用材として使われているものは約20種余といわれています。

材種は杉、檜、松、檜葉、栂、樅、椹、桂、栗、楢、桐、欅、榀、槐、桜、栃、楓、椿、槙、樫、ブナ、タモ、そして黒柿や材の希少部分などの銘木類で、先人は建物を造る際、適材適所に材を配し使ってきました。
最近では遺跡の発掘などから、1万2千年前の縄文時代より前の旧石器時代から木材を利用した生活があったことが判っていますが、現在に至っても、列島に住む日本人は木と共に暮らし、生きている感があります。

 

縄文から日本の木造建築は様々な変遷を経てきていますが、中でも特別な意識と価値で今日に至ったものに茶室建築(数寄屋建築)があります。
思うに、日本の茶室と呼ばれる建築は世界に類例がなく、先人が工夫に工夫を重ね、美意識に包んだ趣向を総動員して造営した稀有な建築といえます。

 

茶室とは、茶の湯という儀礼・儀式を秘め、神道、日本仏教、皇室という日本文化を発現したもので、特に小間席という極小空間は、日本人の特性が美しく結晶したエネルギーのかたちといっても過言になりません。
そして日本人が好む銘木です。
世界の植物は30万種。木は10万種とも。その中で日本の茶室建築において最も象徴的な木材は京都の北山で作られてきた「北山杉」という銘木にとどめをさします。

室町時代から始まり、茶聖千利休が活躍した桃山に花開いた茶室の構成材として、先人が美意識を洗練させながら明治から昭和初期にかけて創作した杉の磨き丸太こそ、令和に至る象徴的な木といえます。

 

先日久し振りに、その京都北山を訪ね六度目となるご神木を拝してきました。
同行した若者たちも樹齢六百年の元祖北山杉の威容に圧倒されたようでした。

現代は、何でもスマホ、インターネット頼りの暮らしとなりました。私も何時の間にか命の次に大事なのはスマホになり、洪水のように押し寄せる情報に振り回されている自分の姿を自嘲気味に見ています。
北山の杉木立や大樹に会って、「知る」という日常ではなくて、「体験」という時間軸が復活した思いがしました。北山杉の磨き丸太の得もいわれぬ触感が、一週間経った今でも残ります。

「北山杉」は茶の湯という我が国固有の文化が生み出した美材。
私は、今回の北山行きで、この美材を頼り改めて日本の木造建築を創り続けたいと思いました。

案内して頂いたのは創業から160年、京都上立売の「松文商店」の吉村栄二社長。
既に30年ほどお世話になっていますが、今回も吉村社長から多くを学びました。

 

きっと、日本列島の森林を頼り、まちづくりや環境問題に対応できる日が来ると思っています。

 

写真:300年前の北山台杉と吉村社長と 撮影:H-OIKAWA

 

 

2019年7月7日