日本のすがた・かたち

2022年6月9日
都々逸3巻 上梓

去年の春から準備をしていた都々逸第3巻が出版の運びとなりました。
仕事が忙しく、コロナ禍やウクライナショックもある中で漸くというところです。

このシリーズは都々逸第、俳句、和歌のそれぞれ3巻に総合編1巻を加えた全10巻の予定です。
残り7巻の原稿は出来ていて、出版の準備を始めたいと思ってはいるのですが、未だ先になりそうです。

 

都々逸第は幼い頃から耳にしていて、折々に母が唄っていたことから調子が肌に染み込んでいるものです。
横浜に住んだ20代には、辰巳芸者や新橋芸者とお座敷に興じ、「お若いのに都々逸を唄って・・・」と珍しがられ、それが嬉しくて通ったものです。ませた青春でした。

30代は熱海や伊豆長岡、修善寺温泉の芸者衆と興じ、京都祇園や各地の芸者衆とお座敷遊びをしたものです。中でも伊豆長岡芸者の文奴姐さんとは、何度か旅館の離れで都々逸合戦に興じました。御年80のお姐さんと30半ばの即興都々逸唄合戦は、粋なものでした。

ことの始まりは生家の八畳の座敷でした。
父は大船頭をしていた関係で、何かといえば漁師たちが家に集まり、酒を酌み交わしては歌をうたい大騒ぎをするのが常でした。

その宴の最後に必ず母へのリクエストがあり、母は後片付けを中断して席に入り、2,3曲唄いました。何時も民謡と都々逸でした。

 

民謡は十八番の「磯節」か「宮城野盆唄」で郷里の唄を、都々逸は数知れずでした。
漁師たちは母が唄い出すと囃しながらも静かに聞き入っていました。

私は3歳の頃から父の膝の上で、母の心地良い唄を聴いていました。そして小学生になる頃には、母の十八番を唄うようになっていました。

その後、都々逸にはまったのは、芸者衆に褒められたことと七,七、七、五の26文字に託された言葉が人生を謳う応援歌に思え、また作詞も「禅語」に魅された時期と重なり、都々逸も禅語も同じ領域のものと得心したことによります。

 

都々逸を知り、唄い、爪弾き、詞を作って早60年余。作詞の数は3000余に及びます。折にふれ人生の妙味を詞に託す楽しみは、何にもまして私を励まし、そしてまた亡き母を思い出す魔法の鍵となっています。

今、改めて3巻の都々逸を読み返してみると、70年の人生が凝縮しているように思います。
あの時、あの人、あの場所で、時は過ぎてゆく…。

過ぎ去る人生時間を堪能し、幾つになっても「カアチャン教」の信者だなぁ、と思うこの頃です。

 

  〽 都々逸は 唄い爪弾く あの世の母と 会える魔法さ 子守唄

 

 

 

 

2022年6月9日

2022年5月29日
木曾檜・樹齢400年

 

高速ワイパーも役立たない激しい雨の中、一路木曽へ。
助手席に乗った私は、同行の二人と話をしながらも、心は巡り会うだろう檜の大木に思いを馳せていました。
設計をしている時から使用木材に思いを致し、調達への行動は、まるで恋人を探すことに似て、何時ものことながら、ワクワクの心中でした。

木の建築を創り始めて40年余の歳月が流れていますが、この想いに色褪せることはありません。
今回求めたのは樹齢300年以上の天然「木曽檜(きそひのき・きそひ)」です。
「伊勢神宮」と同じ木曽檜で、と。

30年前、岐阜瑞龍寺僧堂再建の仕事に就いていた頃、何度か訪ねた木曽郡上松町の池田木材は、皇居宮殿から全国の名のある神社仏閣に木曽材を納めている材木問屋で、設計当初から出来ることなら調達のお願いをするつもりでいました。

先ずは神の鎮まります霊なる床之間の屋根の大唐破風で長さ4.5メートルの曲がり木2枚。
5月11日に木曽へ出向き、有難くも良き出会いに恵まれました。
原寸の型板を置いた時の曲がり具合の良さに惚れました。樹齢は約350年。

次は長さ8メートルの水引虹梁(みずひきこうりょう)。
床正面の結界でもある横一文字の直線材で、この長物は調達不可材といわれ、あっても正面に大きな節が出て、大概は節を取り埋木をして使われているものです。

用意されたものは良材でしたが、正面に小節が幾つか出ていて、埋木の始末で採用できる範囲の材でしたが、何故か気持ちが動かず、他材をお願いして帰途につきました。

帰りの車中は、大破風のウキウキと虹梁のウツウツが交差して、恋多きオヤジの苦しみが滲み出ていた4時間でした。

「30年乾燥してあるのが見つかりました。製材に立ち会ってくれますか?」、との連絡が入り、5月27日再び木曽路へ。

真っ黒になった肌がみるみる白くなって行く…。
曲がりのない真っ直ぐ。願ってもない木味(きあじ・肌合い)。
正面に僅かな節の影はあるが、稀にみる美麗な檜。
高貴な色合い。芳しい香り…。
極上といえるものだった。

私の脳裏にはこの材が虹梁として霊床の結界として付いた情景が浮かんだ。
すぐさまオッケーを出し、設計パートナーと共に材にサインをしました。

樹齢400年といえば江戸時代初期に木曽北沢地区の北向き斜面に芽を出し、それが時を経て箱根に建設される霊なる床の主材として使われる縁(えにし)。

(求めつづけて諦めない…)。
先ずは良かった!材が有れば大工仕事ができる、と。夕暮れの富士は北斎の三十六景を思わせる美しい姿でした。

 

   大雨に木曽檜を探ね上松に 待つは貴なるや神の虹梁(にじばり)

 

 

 

 

 

2022年5月29日

2022年4月15日
ウクライナ&コロナ

今、建設業界では工事費高騰が始まり戦々恐々としています。

コロナ禍で品不足や価格上昇が続き、ここへ来てウクライナショックで、原油や小麦を始めあらゆるものが値上傾向となりました。

改めてロシアの侵攻が私達の暮らしに直結していることを知らされ、あらゆる業態で価格高騰、人手不足、材料や機器調達難、工期遅延が常態化してきそうです。

 

私はどうしたら良いのか?

このところこの問いに遭遇しています。

そして解答のないまま仕事の設計に対かい、自問自答を繰り返す毎日です。

 

(21世紀にもなって虐殺的な侵略が起きるとは?)

(なぜプーチンのような極悪非道の殺人鬼がいるのか?)

(生物や核兵器が抑止力ではなく使用可兵器となるのか?)

(地球を覆うのはフェイクニュースばかり?)

(人間の良心というものの儚さ…)

(人類は滅亡に向かいダッシュを始めた?)

(建築の設計はこれらの問いには無力と?)

(神も仏もあるものか!)

(また末法の世に…)

 

銃を持った者が問答無用で襲って来たら、座して死を待つか、それとも立ち向かうか。

ロシアが北海道に攻めて来たらどうするのか?

これから憲法9条はこの観点から改正に動くのではないかと思います。

 

核攻撃に対しては、核を持って戦うのではなく、核に勝る兵器を開発するか、核や生物兵器による攻撃を無力化する、システム兵器を独自に開発できないか、と思案しています。

 

歴史が証明している通り、人間は争いから逃れることはできず、争うための武器は無くなることはなく、日々進化させ作り続けているものです。またそれが自滅の道とも知らずに…。

 

デスクワークが過ぎると散歩に出かけます。

「鮎止めの滝」の轟音を体で聴きながら、ウクライナでの戦闘を思っています。

非力であることを感じながら、設計で世のお役に立てるのが我が務めと思いながら…。

 

 

 

2022年4月15日

2022年3月22日
二人の彫刻師

先日のネット記事に石川雲蝶の名を見ました。

一瞬にして30数年前の私が甦りました。
この折に彫刻の師としていたのが、立川和四郎富棟と石川雲蝶でした。

岐阜瑞龍寺僧堂の再建に就いていた頃、彫刻のデザインをしていた頃です。
再建は12年に及びましたが、この間は木造寺院の彫刻のデザインに悶々としていました。
描いた原寸図は百数十枚に及び、実際出来たものは30作ほどでした。

 

立川和四郎富棟(1744-1807)は長野県諏訪市(信濃国諏訪郡高島城下の下桑原村)の桶職人の次男として生まれました。
江戸へ出て幕府作事方の立川小兵衛富房に奉公し、寺社建築を修行の末、「立川」の名乗りを許され、彫刻を中沢五兵衛に学んだ後、帰郷したといいます。

安永3年(1774年)の惣持院、白岩観音堂(茅野市)を手始めに寺社建築と彫刻の制作を開始し、同9年(1780年)諏訪大社下社秋宮の幣拝殿(重要文化財)を建てて名声を高めました。
その後、寛政元年(1789年)に善光寺大勧進表門、享和2年(1802年)から一門で30年にわたり静岡浅間神社の彫刻を手掛けています。

諏訪大社や浅間神社に何度も通い、立川流に教えられた建築彫刻は、彫刻棟梁として伝統を繋いだ初代和四郎富棟からの美よる救いというものでした。

また江戸時代の末期、彫物の名工と謳われた石川雲蝶(うんちょう)(1814-1883)は、個人の妙技と才能において木彫りだけに留まらず、石彫りから絵画にまで及んでいました。
「日本のミケランジェロ」と称される所以です。

その雲蝶が残した作品は新潟県各地の寺社仏閣に残り、150年の時を経てなお人々を魅了しています。作品は関東から鷹ノ巣温泉に向かう道に点在しており、実見はしていませんが、写真や資料で見てもその圧倒的な存在感は伝わってきます。
酒と女に目がなく、現在ではネットで叩かれ、世に出ることは難しいと思いますが、将に鬼才彫刻家の面目躍如というものでした。

 

二人の彫刻と会話した折々の情景は、今尚、私の設計手法に大きな影響を与えています。

「只、黙々と、コツコツと、得心するまで、一心に…」

世はロシアの軍事侵攻で大混乱をきたしている最中。
ウクライナへの侵略映像を観るたびに胸が痛みます。
日本ではそれ程深刻な状況を迎えているわけではありませんが、これから先には耐え難い日常が待っている可能性もあります。

昨今は、様々なニュースが飛び交い、何処の誰を、何を信じて良いのか分からなくなっている時代ともいえます。
私は何をしたら、どうしたら良いのか、と自問する日々です。

今は、「心配するな、なるようになる!」との一休禅師の言葉を思い出し、只、コツコツと眼の前の仕事に対う自分を励ましているところです。

少しでも後世のためになればと…。

 

 

写真: 上 諏訪大社下社
下 西福寺開山堂(魚沼市)

 

2022年3月22日

2022年3月1日
彩鳳舞丹霄

 

 

箱根に登る途中、車を止め、駿河湾に落ちる夕陽を見ていました。
身の引き締まる冷気の中に在って、何故か心は熱く燃えている・・・。

眺めやること数分、西方浄土を彷彿とさせる光景が激変し、突如、大空を舞う巨大な鳳凰が出現。
まさに「彩鳳舞丹霄」(さいほうたんしょうにまう)。
吉瑞の兆に他ならないと思いました。

 

大自然の中に身を措くと日常の些末な出来事は失せ、この身は大気に溶け込み、我という存在は雲散霧消していきます。
時間と空間の四次元にエネルギーと志向の六次元を実感できる、贅沢な時間でした。

 

目的だった来客用の茶花を採り、高揚した心と共に山を下りました。
下りながら自然に身を置くことは、今を生きる自分を実感することだ、と今更のように思いました。
またこの時、決めかねていた建築のデザインが何事もなく整っていることに気付きました。

だがしかし、この西方のまたその向こうのウクライナでは地獄の様相に・・・。
何もできない私は、せめて眼の前の務めを果たすだけだ、との思いに至りました。

 

写真:箱根中腹から駿河の海を望む

 

 

2022年3月1日

2022年1月19日
スパイラルな立春へ

 

新年、世は新型コロナ・オミクロン株に右往左往しています。
人類は地球上に生息している限り、ウイルスと共存して行く運命にあるようです。

私にとっての去年は仕事対応の日々で、ほぼ無休日というとても印象深い年となりました。また12月で後期高齢者を脱し、漸く晩期高齢者の仲間入りとなりました。
やせ我慢が強い性格上、表面的には意気軒高を装っていますが、それなりの年寄りの新年という分けです。

去年の出来事の中で印象に残ったひとつが、「日本人のルーツは大陸ではなかった」、との研究成果が発表されたことでした。
DNAの研究を始め、気象、言語、植生、土器などの工芸デザインなど、旧石器から縄文時代にかけての発掘調査・研究が進んだ成果といいます。

定説では、日本列島の旧石器時代は、人類が日本列島に移住してきた時に始まり、終わりは1万6500年前とされています。
日本列島での人類の足跡は12万年前(島根県砂原遺跡ほか列島全体で数千カ所)。地質学的には更新世(約258万年前~1万年前)で、殆どが氷河期といわれる時代です。
その12万年前の日本列島には日本人が住んでいた…。

2500年前から口伝の歴史書「飛騨の口碑」を世に広めた山本健造は、新人類の祖はアフリカではなく日本列島にも原日本人が生まれていた、との研究発表をしています。
その最初の地は乗鞍岳一帯で、原ニホンザルが生息していたこともその証だとしています。つまり原日本人が日本人の先祖であり、大陸からの渡来人ではないと、地球物理学や遺伝学、気象学の分野などから明言しています。

20年前、私は意匠と文様というデザインの分野からこの山本説を支持し、現在に至っています。その文様のひとつに「渦巻き文」があります。知る限りでは世界最古の文様とされていますが、我が祖先は自然現象の渦巻きを点や線から螺旋状の文様を創り出したのだと思います。
手元に置く縄文土器の文様は縄の文と共に螺旋状の渦巻き文が多く、縄文中期の火焔土器を始め現代のアイヌの文様に至るまで、圧倒的な存在感を見せています。

私は建築の構想を練る際に、何時しか螺旋状のスケッチを描いていることに気がつきます。時折、このスケッチは遺伝子情報を秘めている螺旋状のDNAの図ではないか、生き物が昇天する際のスパイラル現象では、とも思うことも度々です。
太古の祖先の渦巻き文を何十万年経った今も私は描いている。何という命の継続か、とも思います。

新春の富士山を眺望しながら、トンガの火山噴火を想い、現在取り組んでいる建築の設計に思いを馳せ、今年は知行合一であれと念じたところです。
オミコロナにもお手柔らかにと…。

 

 

写真: 火焔土器(縄文中期 約5500年前)
伝 新潟県十日町信濃川付近(馬高遺跡)出土

 


   

2022年1月19日

2022年1月1日
謹賀新年

 

     あけましておめでとうございます

     

    新玉の 年の初めの 富士の嶺に 君健やかに あれと祈りぬ

      

            2022年 元旦
      

            太 田 新 之 介 

 

 

 

 

2022年1月1日

2021年12月7日
―親死子死孫死―

HP-1212.jpg―「親死ね 子死ね 孫死ね」と読みます。
あるひとが、自宅の新築記念に、何か床之間に掛ける書を書いて欲しい、と信奉していた禅寺の老師に頼みました。
老師は快諾し、程なく書を贈りました。
そのひとは大そう喜び、書かれた紙を広げて、目を丸くしました。
「親が死ぬ、子が死ぬ・・・」とは、と絶句し、「死ぬとは縁起が悪くて・・・」、これを床之間には掛けられません、と申し出ました。
老師は、「お前さん、これを縁起が悪いとは何じゃ。これほど目出度いことがあるか!」
と、一喝。
「老師様・・・でも死ぬって・・・」と、信奉者。
「親が死に、子が死に、そして孫が死ぬ。人間必ず死ぬ、死ぬことは万人平等だが、この順序が狂うと人間の苦しみは倍加する。夫々の人生には夫々の栄華の夢もあるだろうが、この順序通りに逝くことが家の繁栄の元というものだ。」と、老師。

信奉者は複雑な面持ちでお礼を述べて辞し、表具をしても、暫くの間床之間に掛けなかったそうです。

書のその後の消息は知る由もありませんが、この数ヶ月の間に、この禅語が私の脳裏によみがえることが多くなりました。
東日本大震災により震災孤児となった1500人の子等。
誰がこれを計り、誰がこの孤児たちを遺したのではありません。只々、活動を続ける地球の有様でそうなったということです。
「天を恨まず・・・」といった高校生がいましたが、恨むはこの逆さを見る人の世の出来事です。
戦争孤児や震災孤児には、親のいない多難な前途が用意されています。それが現実です。
それでも、それを乗り越えて生きぬいてゆく若い力に期待したいものです。
震災復興に時間がかかり不平感もあらわになっていますが、復興への早さや度合いには尺度はないはずです。

私は、日本人の優れた復元力と精神性に驚いているひとりです。
震災の教訓はこの後、様々な分野で生かされ、それがまた社会の繁栄へと繋がって行くでしょう。
早くに両親を亡くした私は、無事に今日まで育ててくれた有縁のひとたちを有難く思い、その有難さを次の子や孫たちに生かしたいと願うものです。
『親死ね、子死ね、孫死ね』
人間が存在する限り、究極の目出度い言葉といえそうです。―

 

この一文は10年前の12月12日にアップしたものです。
人間の生き死には、何年経っても変わることなく刻々に移ろい、過ぎて行きます。

「人間は生まれて来ちゃったから、生きて行く他はなし・・・。」
コロナ禍の最中、親の歳以上に生き、この頃は生まれて来た縁を想うことが多くなりました。

〽 親の歳まで生きてはみたが 後は知らないケセラセラ

 

2021年12月7日

2021年11月17日
轟音ー嬉々として
久し振りの散歩。
何時ものコースで滝に向かう。



鯉が群れで近寄ってくる。
(餌は持ってないよー)
見たことのない紅白模様が1匹。
(メスかも!)



轟音が聞こえ滝が見えて来た。
珍しくサギが1羽。
(絵になるなぁ〜)



飛沫を浴びながら石に腰掛け、暫し轟き躍る滝水を眺めやる。
(10万年前の富士山噴火から今日までこの轟音が・・・)

己は今、七十五年の歳月。
飽きもせず嬉々として未だ設計に対う。
(何時まで続くのか・・・。建築は面白いなぁー)




サギも我も独り。
滝は轟々、碧天は桜の芽を宿す。


2021年11月17日

2021年9月11日
一期無意味

この二ヵ月ほどで何人もの知己を亡くしました。

「人類皆兄弟」の名言がありますが、人の一生はそれこそ20人に満たない人たちとの縁で始終するといいます。人生は数少ない知り合いによって形成されているということです。

高齢になってみると今更のように人の出会いと別れが気になり、知り合いが次々といなくなると、ああ、これが歳をとることだと思わざるを得なくなります。

 

知己減少、気力体力減少、認知力減少、増えるのはシワと白髪と忘れ物と歳ばかり。つまり生きるエネルギーの減少が実相ということです。

生者必滅、会者定離、誰もがこの自然の真理から逃れることはできません。

歌の「川の流れのように」ではないですが、人は皆生まれてから川を下り、河口という死に向かう人生時間を費やす、それが人の一生ということになるといいますが、では、その一生(一期)という人生に意味はあるのか、と私は問いかけます。

「人生に意味無し」。これが私の人生の見方です。

 

「じゃ、人生に意味が無ければ、何もしなくてもいいのか?」、との自問もありましたが、回答は徹頭徹尾「人生無意味」でした。
産まれてから、飲んで、食べて、出して、寝て、動いて、泣いて笑って、息絶える。この自然の哲理に何の意味があるのか。萬人皆同じことで、生と死にさしたる意味はないではないかと。

先日、知人に書を所望されて、何れ個展の為にと思って書き溜めてあったものを整理しました。30枚ほどの中から出てきたのが「一期(人生)無意味」の一行物でした。5年前に書いたものですが、書に向かう時の心境を覚えていて、一気にこの言葉と出会った40余年前が甦りました。曹洞宗師家の太田洞水老師に座禅指導を受けていた時、老師に「而今(にこん)」と共に頂いた禅語でした。

時間の観念は現在、過去、未来の他にもうひとつあります。今、今、今という刻々に移ろう時間です。
只ひたすら刻々の時を生きて行くようにすると良いですよ…。人生には意味というものはありませんから…。

老師は当時の私の苦悩を見抜き、「今を生きることだ、人生に意味は無いのだから」、といわれました。

今、書を前にして、本当に人生には意味というものはないなぁ、との感慨にふけっています。
意味のない人生も乙なものだな、とも…。

 

写真:一行「一期無意味」自書

2021年9月11日