日本のすがた・かたち

2016年5月18日
新篁補旧林

077_ma1[1].jpg

 

ひきこもり状態の毎日を送っています。

天気の良い日に久し振りの散歩です。

竹林の中に身を置くと薄暑の気が漂い清々しさに浸れます。

 

筍も伸びて若竹に変わり、深い緑色の竹の間に青竹が混じっています。

「新篁(しんこう)は旧林を補う」の禅語がよぎりました。

 

若竹は古い竹の林を補うというのは、自然の営みをそのままいい表わしたもので、新しい竹が古い竹の林を補って再生してゆくというものです。

 古竹が一本枯れれば若竹がそれを補い、竹林の景色を整えて行く。将に人間の社会にもそのまま当てはまる言葉です。移ろい行く新旧交替の理をいい得て妙です。

 

真直ぐに伸びた若竹の天辺を見上げながら、改めて人は誰しもが老いに到り、後進に道を譲り、執って変わられるということを思いました。秋になれば枯葉は枝から離れる際、自らが散るのではなく、既に新葉となる準備をしている芽に押し出されるために散るといいます。これは自然の法則ですし、何人もこの定めに逆らうことはできません。

 

自分もこの境涯に至ったと得心しながら山道を降りましたが、戻ってみると、先ほどの境涯は雲散霧消していました。

(冗談ではない、これからが己の完成に至る日々であって、オレは未だバリバリの若竹だ!)。

この我欲こそが今の私には最大の支えであり、行動エネルギーの源であって、枯れるには30年も早い、というのが私的変態方程式です。

 

なぜこの禅語がよぎったのかというと、建築の設計技術がICの進歩で様変わりし、パソコンによる設計図やパースの表現方法が高度で、且つ情報の幅と奥行きが進化している昨今、何時も最先端を歩いていると思っていたものが、少し揺らいできたと思うようになっていたためです。

AI(人工知能)の進化が目覚しく、近い将来、設計の分野も一大変貌を遂げるのではないかと思います。設計者の領域や区分が分からなくなる可能性も大です。

 

諸行無常、「新篁補旧林」は人間社会が続く限り変わることのない営みです。

また、AIロボットは人間の肉体労働や事務的労働を担うことはできても、創造力を要することやコミュニケーション能力が要求される仕事は何処までできないだろうと思います。

 

毎日10Bの鉛筆を走らせながら自分がロボットになったら、と想像しています。

因果な仕事をしていると思う刹那です。

 

                                                         

                                                            

 


2016年5月18日