日本のすがた・かたち
「讃岐の金毘羅さん」。
幼い頃、よく父から聞いた言葉でした。
コンピラサンという語呂の良さで覚えていたのかもしれませんが、香川県にある有名な神社です。
漁師をしていた父は,私が18歳の時に亡くなりました。
50過ぎでできた子でしたので、一緒に遊んでくれたという記憶はなく、ただ、いつも漁師たちが家に集まり、酒を呑み大声で唄い、話していた時の姿は覚えています。
父は大船頭をしていたことから、何時も漁師たちに酒を振舞っていたのだと思います。大漁の時は賑やかで、不漁の時は不機嫌な様子で、近寄りがたかったことを思い出します。
讃岐の金毘羅さんは父たち漁師の守護神で、網代(熱海市)から四国にお参りに行ったことを自慢気に話していました。
お伊勢さん、金毘羅さん、成田さん、が漁師の三大聖地だったと後年分かりました。
伊勢神宮と成田の新勝寺は参拝しましたが、金毘羅さんだけは不思議に縁がありませんでした。
北海道から九州まで行ったことのある私は、瀬戸内海の明石の鯛を食べ、岡山や広島には何度も行きましたが、四国には上陸したことがありませんでした。
今月の始めに古建築の調査のため、福山から今治に渡り愛媛で調査を終え、そのついでに金毘羅宮に回り参拝しました。
本宮までの石の階段は785段。これはと思い、竹の杖を手にしてボチボチと・・・。
途中、何度もこの石段を父は登っていったのか、と思いを巡らせ、目頭が熱くなり階段が霞んで見えました。
長くきつい石段は、60過ぎた自分の来し方を思い起こさせ、多分、父もそうであったろう、と想いを巡らせていました。
今でも私の精神の柱となってくれているのが亡き母ですが、この参拝で父を追憶する機会に恵まれたことは望外のことでした。
「人間は生まれて、食うて、そして死ぬ。」
休み休みに石段に止まり、これには何の不足もないと思いました。
そうだ、今に縁のある人たちを大事にせねば、とも。
そして命ある限り、次代を担う若者や子供たちのために、できることをしようと思いました。
「先ずは介護ジイサンになるのを先延ばしすることだ」、と自らを励ましました。
コンピラさんの参道を登った竹の杖は、有難く頂いてきました。
勿論、この竹杖は近いうちに「茶杓」に変身し、茶事の主役となって客を楽しませることになるはずです。
先回の茶事で使った茶杓は、インド・霊鷲山産の竹で、銘「霊山の杖」。
次は、金毘羅さんに因んで、銘「象頭山(ゾズサン)」とでもしようかなと、招く予定の客の顔を思い浮かべては、にんまりしています。
さあ! また明日から。
写真 上 金毘羅本宮
下 本宮の案内板
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