日本のすがた・かたち

2013年7月30日
四代森本安之助

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森本安之助さんは装飾金具を製作する錺師(かざりし)です。

今年の伊勢神宮の式年遷宮では、太刀拵えの御神宝を始め、新たに造られたご神殿の装飾金具を製作されました。

 

天下の名工と謳われた先代の下で厳しい修業を経て、いよいよ活躍という時の三年前、突然先代が他界されました。

今年の第62回式年遷宮の仕事は、先代の指導の下に始まる予定で準備をしていたところでした。四代目を襲名はしたものの師をなくし、荒波に身を投げられたような思いだったと聞き及んでいました。

 

7月27日に森本さんの関係者80名余の中に入れて頂き、伊勢神宮のお白石持ち行事に参加しました。

内宮御正殿には、森本さん始め名工の職人さんたちが精魂込めて作った錺金物が燦然と光り輝いていました。

森本さんがお白石に念を込め、御正殿正面左に置かれた姿が印象的でした。先代はあの世からこの時が来るのを誰よりも待ち望んでいたことと思います。これで名実ともに森本安之助の名跡を襲ったことになったのではないかとも思いました。

 

弥生時代から装飾金物類は作られてきました。それを受け継いできた日本人は、社寺城郭建築を始め、祭りの神輿、仏壇や装飾品に至るまで文物を装飾する技を伝えてきました。それは私たちの生活に彩りをそえるにとどまらず、美術工芸として必要欠くべからざるものとなっています。

京都の二条城などは好例ですが、過剰なまでに施された錺金物が、主役である建築をしのぐほどのものになっているのが不思議です。こうしてみると日本人は決して地味な気質ではなく、金色金物に象徴されるように、過激なまでの装飾性も具備しています。まさに美術工芸の金色世界の民といえます。

 

錺金物の仕事をはさんで先代に影響を受けた私は、お会いするたびに日本文化や伝統文化を感じ、考えさせられたものでした。 

「センセ、伝統というものは古いものではありゃしまへん。新しく創っていくものでっせ。」

これが口癖でした。先代との30年の歳月が御正殿の前で走馬灯のように蘇りました。

 

IMG_1490.JPG行事の後、外宮の正式参拝に臨むバスの中、森本さんから挨拶がありました。短いお礼の挨拶でしたが、目には光るものがありました。伊勢神宮庁から依頼されたご神宝や金物類を無事納品した安堵感や、達成感と周囲への感謝の涙と感じました。

「人間はごまかせても、神様や仏様はごまかされません。」

四代森本安之助の仕事を支えている思いがこれに顕れています。

先代が遺された仕事を我がものにしたことを、これからの仕事に生かされ、名工の名に恥じない活躍をされることと思います。

 この三年間、母君はもとより、姉君は陰になり日向になって弟の安之助さんを支えてきました。先代が亡くなってからそれはもう痛々しいほどのものでした。帰りの新幹線から雲間に映る月影を見て、伝統を育てていくことは、姉君のような陰の支えが必要なのだ、と強く感じました。

行事に参加させて頂いたことは、終生の宝に恵まれたことだと思っています。

これからまた当代森本安之助氏と仕事で向き合っていきたいと思った深謝九拝の一日でした。

 

(写真 上 お白石持ち行事   下 森本安之助氏)

 

 


2013年7月30日