日本のすがた・かたち
「人生には意味がない。」
先日、若者たちとの会話で出てきた私の発言です。
「人生に意味がなければ、生きていてもしようがない、自殺をしたほうがよいのでは…。」
中々きつい質問が返ってきました。
この頃若者と話すことが多くなりました。
考えてみれば周りは高齢者が多くなり、会えば、「腰が痛い」などの体調の報告から始まり、薬は何を飲んでいる、医者はどこがやさしくしてくれる、などの会話が多く、互いに労わっているのですが、老後に関心が高く、やはり将来への展望を語ることが少なくなっています。
若者たちは真剣です。
「今の若いものは」とよく嘆く言葉を聞きますが、若いものはこれからの人生時間をどのようにしたらいいのか真剣です。かつて私も若者だったため「今の若いものは」とよく言われたものです。そしていつも人生とは何か、の命題が同居していました。
30歳の頃、高圧に触れ身体に10数か所穴があきましたが、感電死は免れました。このことがあってから私の人生観や死生観は変わり、「人生には意味がないのでは…」と思うようになりました。今日に至ってもその感覚には変化がなく、むしろ確信的です。
「では、誰の人生に意味があって、誰の人生に意味がないのか考えてみてくれ。ホームレスのオジサンと、バチカンにいるローマ法王はどのようになるのかな。法王の人生には意味があり、オジサンにはないのかな。」
「……」
「人間を意味づけするなら、誰であろうと皆平等の価値基準で意味づけしなければならないと思うよ。そうなると人生の意味の有無は決められないし、結局、意味は無いということになるんじゃないかな。」
若者は黙ってビールを飲んでから、
「…やはり意味がない人生なら…自殺をしたほうが…。」
「人生に意味があると思って生きているひとが、ある時、その意味だと思っていることを無くした時、死ぬしかないと考えるようだな。息子のために人生のすべてをかけて生きてきたのに、ある日、息子は嫁のために生きると宣言した…。今までの人生が何にもならなかったと思う瞬間もそのようだよ。……私?…元々私は人生には意味がないと思っているので、そういうことでは自殺は考えないよ。」
「じゃ、なぜ生きているのですか。」
「…生きてるついでに、かな。」
(写真 泥中からひらく蓮)