日本のすがた・かたち

2013年7月12日
月不流

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月流されずと読みます。

私の好きな禅語にこの「水急月不流」があります。

今年の夏はことのほか暑さが厳しく、生きものにはこたえる毎日となっています。

この時期になると「水潺々(みずせんせん)」や「心耳清(しんにきよし)」などの涼しげな禅語が茶席の床之間に掛かりますが、私は「水急月不流」、(水急げども月流されず)に惹かれています。

 

若い時分に大きな苦しみに直面し、そこから逃れるために座禅会に参加したことがあります。

その時の辛い時間が、畏敬する禅僧との邂逅をもたらし、今日の私の心根をつくってくれたことになったのですが、何かの壁に突き当たると不思議にこの言葉がでてきます。

 

この禅語は「水は急に流れても、水面に映る月は流れない」、という意味です。

私は日常的に突然、自分がやっていることは意味がないのではないか、と思うことがあります。自信喪失です。これは自らを信じられないことから生じている迷いです。

 

この迷いには必ず原因があって、後から振り返ると苦笑するような些細なことなのですが、直面している時にはそれが見えません。一言でいえば、周囲の環境に流され、自分の信念がぶれているから起きることなのです。

 

禅の教えでは月を悟りの境涯や真理のたとえとしますが、真理というものは時代が変わろうと、周りの状況がどのように変わろうと、まったく変わることなく動くことなく、常に同じすがたかたちのままそこにあるものといっています。

 

真理は信念といいかえることもできます。自らを信ずるものは力が湧いてきます。

現代社会のようにめまぐるしく環境が変化することで、ときには迷い、惑わされ、流れに呑みこまれて自らの立つ座標や軸が見えなくなりますが、そのようなことはほっておくといいのです。

 

物事を始めるときにしっかりとした信念があれば、水の流れが変わり速さが増しても、それがゆらぐことがありません。信は力となるものです。

信念を込めてやる、やり遂げる、そこには常に月が流れることなく映っています。

 

先日、若者との酔談義のなかで、自らに言い聞かせるように話した禅の言葉でした。

 

 

(写真 川面の映る月 Yahoo!検索画像)

 

 

 

  

 

 


2013年7月12日