日本のすがた・かたち

2013年7月7日
琴(きん)

CIMG6262.JPG眼の前の七弦琴を聴いていました。
高校生の頃から関心のあった楽器でした。
 

琴の紹介文によると、中国古代に誕生し、その起源は神話時代の伏羲(ふっき)、神農(しんのう)らに結び付けられるまで遡るようです。伏羲や神農が琴を作り、舜が五絃の琴を弾き南風の詩を歌い天下は治まった、との記録があったようですが、琴の最初は五絃だったようです。


七弦は、周代(前1120年頃)の文王と武王がそれぞれ一絃ずつ加え、七絃としたようで、漢代末に定型化し楽器として完成し、その後絃の素材が変わったものの基本的には変化することはなく、現代にまで伝えられているといいます。
 

琴士で作編曲家の、江戸の文人音楽家といわれる坂田進一氏が、目の前で奏でた琴の「平沙落雁」や二胡の「苦悶之謳」は、想像を超えた深いものでした。また胡弓で弾いた「千鳥の曲」は圧巻でした。久しぶりに真なる音曲を堪能した一会でした。

歌舞音曲は、時代や民族や言語、思想を超えたところにある普遍的なエネルギーだと改めて感じました。生きとし生けるものにとって、音曲は心音のように生きるために欠くべからざるものだとも思いました。

聴いていると、脳裏にさまざまな情景が現れては消え、消えては現れ、私の人生時間の推移が手に取るように感じられるひと時でした。
三千年の歴史があるといわれる琴。陶淵明や王維、浦上玉堂などの文人等が愛した琴。
 

円熟した演奏の清聴後、何を思ったかというと、「熟してゆく老い」のことでした。

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老いは世の中から外れて行く時間の推移のようです。壮年期には世の中心となって活動しても、老年期に至っては、外側から世の中を見守るということなのでしょう。それゆえ老人がいつまでも世の中の中心にいて支配するようでは、成長も滞り、不健全な社会になることは必定で、衰微していく団体や企業をみればそれが解ります。
 

世の中から外れて行くといっても、排除や脱落というのではなく、人間社会を精神面から支える役割を担っているのが老人の存在だと思います。老いは嘆くべき現象かもしれませんが、人は老いることによって叡智が深まるのも事実です。
効率や儲けを追い求める現代では、そういう老人像が必要とされなくなって無用の長物と化しています。しかし、倖を追い求める精神性の高い社会なら、老いは美しく、老いることによって幸福に至るとされるに違いありません。ある女性の言ですが「熟して、腐りかけが一番美味い!」。

何がおいしいのか理解に苦しむところもありますが、私はものは賞味期限が切れるころからがうまくなる、と理解し、これを若者に教え込む必要があると思うこの頃です。
 

琴を聴きながら、幼少期に父母と過ごした古里の景色が浮かびました。
  

〈神楽坂にて琴を聴く〉

  妙なるを 聴くこの宵に はるかなる 大地に生きる 吾をみるかな

 

(写真 「琴」の形の古墨  長さ12㎝ 清代製 40数年前入手 未使用)

 

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追文

このHPの一文に、平虚栗(たいらのこぐり)先生こと俳人の高田祥平氏さんが俳句を寄せてくれました。

 

    琴の音に 雁も落ちなん 江戸の坂

     七絃の 先に微笑む 母の影
                       
 

高田さんは先般、『徳川光圀が帰依した明の禅僧「東皐心越(とうこうしんえつ)』を出版された文筆家でもあります。

深謝九拝

 

 

 


2013年7月7日