日本のすがた・かたち
伝統建築の設計を仕事としてきた私は、日本人は伝統を重んじ、それを美徳とするような民族、と思ってきました。
近頃は、世界にない特異な価値観を持った民族、と思うようになっています。
地球上には数多くの民族が生活しています。夫々は固有といえる文化・文明を保持しているはずですが、現代のようにITが発達し、急速にインターネット社会に移行してきた結果、グローバルスタンダード化が進み、民族の特質というものが薄くなってきたともいわれています。
そうでしょうか。
私は、地球上にある文化の標準化は難しいと思うひとりです。
多くの人間が英語を習い、英語で会話ができても、それは翻訳術が長けてくるもので、固有の文化の融合や標準化というものではありません。
文化的標準化は多少起きても、また進んだとしても、根本のところで変化しないと思えるのです。それは、人間が相互の文化を共有できない決定的な要因のなかにいるから、ということです。
ひとつは気候風土です。もうひとつは言語です。
極寒の地域に暮らす人たちと、赤道直下に暮らす人たちでは、文化の共有は難しく、同じような緯度の地に住んでも、海辺と高山に暮らす人たちとでは食べ物や風習までも異なります。
民族固有の特質があるとすれば、まず気候風土より生まれ、言語による思考から生じてきた特異性で、それらは世界のどの国のどの民族もが保持してきた普遍的な文化要因です。
伝統とは常に時代とともに新しく、時代とともに変化する創造的現象です。
伝統を重んじるのはどの民族も共通のものかもしれませんが、私が建築分野からみてきたところによると、伝統を重んじることを美徳とする、つまりそのこと自体を美しい徳とし、営々と新しさを求め続け、伝え続けてきたのは日本列島の住人に他ならないようです。
それが証拠に、我が国には木造建築という、世界に類例のない建造物を保持しています。またそれを千数百年におよび使用し、今日に至り、将来に伝えて行こうとしています。
伊勢神宮、出雲大社の式年遷宮、奈良、京都の有数な寺社を始め、全国各地に在る、優れた木造建築群。これらは改修や修理を施して蘇生・再生をくりかえしています。
なぜ蘇生・再生がくりかえせるのか、それを美徳とするひとたちがいるからです。
また、千年も経た建築が遺跡とならないのは、その建築のなかで行われている儀式が、今日に至っても行われているからです。
民族固有の儀式がなされる限り、その儀式を行うための建築は遺跡とはなりません。儀礼と儀式は表裏一体のもので、切っても切れないものです。儀式は神仏と人々を結び、人と人を結びつけます。
私は、儀式を行う建築空間を、「儀礼」と呼んでいます。
(写真 伊勢神宮式年遷宮「遷御(せんぎょ)の儀」 神宮提供)