日本のすがた・かたち

2013年6月21日
夢のなかで

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どういう分けか明け方に夢を見ることが多くなりました。

その内容もなぜか物事の判断や可否を暗示するもので、現在取り組んでいる建築のすがた・かたちを始め、諸事の良否がおぼろげながらですが、この明け方の夢の中で定まることが多いのです。

今朝も夢の中で懸案の方向を得て、起きてからそれを実践しています。何とも不思議な生活です。

この傾向は若い時分からあり、一時、「夢日記」をつけようかと思ったこともあります。

 

自分の中では、今現在取り組んでいる諸事が、明け方のうつらうつらの眠りになると脳がリラックスして、解答が抽出され、スクリーンに映像となって出てくるのだろうと理解していますが、それにしても、覚めている日常を夢がリードしている不思議さがあります。

 

京都栂尾高山寺の明恵上人の「夢日記」ではないですが、夢が現実で、覚めて活動している昼間は現実ではないのでは……、と思うことも度々です。

 

(そうだ!現実とは夢なのだ。この肉体はある時間帯になると天(宇宙)とチャネリングを始める波動体となる。その顛末が人生航路の澪標となるのだ。

そうなると、眼の前の現実は夢の続きなのだ。人との出会いも夢なのだ…)

〈言語明瞭、意味不明の誰かとのつぶやき…〉

 

昨日も今日も、このような分けのわからない妄想の中で過ぎています。

私にとって、この妄想の気持ち良さは例えようのないもので、他に話せるものではありませんが、苦しく悲しい夢も、嬉しい楽しい夢も、私という夢出し装置がその折々に反応するのが現実です。これには軽重もなく深浅いもなく、是非善悪もありません。 

今、私はこの一文を書く夢を見ているのです。

 

今朝にできた都々逸

 ”夢のつづきで覚めねばよいが 見果てる夢も夢のなか” (Sのプロジェクト)

 

(写真 夢のなかでできた土笛  左から生作り、漆金箔仕上げ、素焼き 2013.6月作 丹波お砂焼 L:75㎜ほど)

 

 

 


2013年6月21日