日本のすがた・かたち

2011年3月28日
まほろばの国

HP-0329.jpgまほろばの国を襲うか大津波
阿鼻叫喚のさまに夕焼け
                         
                                       
日本は美しい自然をもつ災害列島です。
太古より地震や台風に始まる自然災害は日常茶飯事でした。
先人は、避けることのできない自然の猛威に備えるため、様々な工夫をしてきました。過去に学んできた、ということです。
災害が起きるたびに反省し、それを次世代に伝えるために英知を集め、備えを固めてきたのです。しかし、また同じことの繰り返しになりました。
原発もスパー堤防も避難訓練も、それぞれが夫々に工夫し、備えてきた結果です。
結果を批判することはたやすいことですが、次に今回を上回る備えをしてもやはり結果は同じことになるでしょう。自然が起こすことにはどこまで行っても人智が及ばないからです。
生命や財産を失うことは、とても悲しい哀れなことですが、人間を載せた地球という生命体が刻々と動き、かたちを変えていることからすると、人間の行動はどこまでいってもそれに沿うしかありません。
災害時が起きると、人は必ず自分以外の者に責任を取らせようとする行動にでます。
他の動物はどうか分かりませんが、人間というホモ・サピエンスの特質です。多分そうしなければ気が済まないのだと思います。
しかし、よく考えてみると、誰が責任者であろうと、そして、その処し方が良かろうと悪かろうと、その責任者なり、そのシステムを選択し推し進めてきたのは私たち自身です。
この災害処理にあたる真っ只中に、暫くその責任の所在を訪ねることを控え、互いを励ますことが肝要のようです。
誰がこの災害に対応し、誰が指示し責任をとろうと、災害が繰り返されるかぎり、その責任追及は無益なことです。自然の為すことに順応しながら、泣きながらも互いに譲り合い、励ますことを先人はしてきたはずです。それはこれからもずっと続いてゆくことになると思います。
駿河トラフの先端に住む私は、東海、南東海、南海地震の備えに何をしているのか、とよく問われますが、答えに窮しています。その時は、という少しの心構えはあっても、これといった備えをしていないからです。
近親者にはそれぞれが個々に身を守れることを優先せよ、といっています。「誰かを連れて非難」が、できる場合とは限らないからです。その次が人様のことだ、と伝えています。
また、地震に備えても、何時どこで遭遇するか誰にも分かりません。多分、今、巨大地震がここに起きたら誰も冷静に対処できないでしょう。しかし、津波は逃げる時間が与えられます。冷静に対処できる可能性は大です。
私自身は、地震は遭ってからのことだ、と思っています。
自然の為せることには、何をしてもダメなような気がするからです。
過去の日本列島は被災の歴史に塗られていますが、人間が健やかに生きてゆけるまほろばの地でもあります。
その列島は彼岸も過ぎ、桜が咲きゆく頃となりました。
今年の蓮の植え替えは、亡き人々のためのものになりそうです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              


2011年3月28日