日本のすがた・かたち
西方に浄土よあらば迎えあれ
水にのまれしあわれ御霊を
この数日、水のことが頭から離れません。
福島第1原発の原子炉機に、決死の消防隊が放水している光景は象徴的です。
思いもかけない大津波。被災者に配られる飲料水。そして雨や雪。
「命の水」とはこのことだったのか、と思わずにはいられません。
最新のテクノロジーを結集し建設した原子力発電も、結果として水によって破壊され、水によって救われることになりそうです。
原子力利用の最先端技術は、核分裂によって水蒸気を起こし、それによってタービンを回し、電気をつくる技術を高度化したものですが、原理は核と水と電気です。
私たちは他に、水力や火力、風力、太陽熱、などを電気に変え、そのエネルギーを利用して生活をしている分けですが、承知していたはずのエネルギーの重要さに、今回また気づかされました。
それは、現代社会が成り立っている原理原則に電気があるということでした。
当たり前で恥ずかしいことですが、この世のあらゆるものが電気によって動かされている事実でした。
そして、空気と水の存在です。
放射能は空気となり、天地に充満します。
水は大地をのみこみ、生きとし生けるものを殲滅します。
原子力の力でエネルギーを作り、生活し、その原子力の放射能に被爆することにより、命を危うくする。
また、水により命を育み、その水によってあらゆる命を失う。
地球上に生息するものの、人間という生きもののどうしようもない矛盾がここにあるようです。
子どもの頃、臨終には綿に水を含ませ、往く者の口に入れていた「死に水」の光景をよく見ました。今、大震災の有様を見るにつけ、この世は何事も最後は「水」で結末するもの、と考えさせられています。
自然災害は人間を謙虚にさせます。
私は改めて、この災害により節電することを学びました。
そして、「死に水」をとってきた先人の行為を、改めて思い起こしています。
今はただ、被災者の無事を願うばかりです。