日本のすがた・かたち

2011年3月16日
1200年に一度

テレビの映像を涙ながらに見ていました。
私にとってのこの5日間は、10年分の哀れさが一気に押し寄せてきたようでした。
東北沖を襲った大地震と大津波、そして原子力発電事故はまるで地獄の沙汰のようです。
仙台、石巻や女川には亡き母の縁者がいて、映像を見るごとに胸が痛んでいます。
死者や被災者の方々には言葉もありません。
ただ、ご冥福と一日も早い復活を祈るばかりです。
自然災害に遭うと、普段は縁遠い方から安否の声が届けられ、励まされることが度々ですが、今、目の前に起こっている激甚災害に日本人は冷静です。
「東京で電車が不通となり、徒歩で帰宅する数百万人の人々。みな黙々と列をなし、ひたすら前を目指す。怒鳴り声など聞こえない。自分は車だったが、誰もクラクションを鳴らしていなかった」と外国人が言っていたといいます。「まるで無声映画を見ているようだった」と。
また、「数百人が広場に避難した。タバコを吸う人はいない。係員が走り回って毛布、お湯、ビスケットなどを配る。すべての男性が女性を助けていた。3時間後、その場は解散となったが、地面にはゴミ1つ落ちていなかった」と。
日本人はむやみに自分の悲しみを表に出さない。他人に心配させたくないからだ。家族や友人を失っても、大声で泣きわめかない。突然襲ってきた深い悲しみをただひたすら黙って受け止める。助けてもらったら、「ありがとう」の代わりに「すみません」という人が多い。これは「迷惑をかけて申し訳ない」という気持ちの表れだ、とも言っています。
「人様に迷惑をかけない」。大震災のような生死に関わる状況下でも、日本人は秩序を崩さない。被災者という立場にあって、個人は集団から離れず、集団も個人を守る。規律を守ることこそが集団の利益を維持する最良の手段であると知っているのだ。「日本人が見せた冷静と団結は震災の恐怖を和らげてくれた」と、絶賛していたといいます。
地球の自転速度が変わるほどの「東北地方太平洋沖大地震」は、1200年に一度の地震といわれます。地球の年齢からいえばどのくらいの数の内の一度でしょうか。その一度に遭遇している私たちは、生ある限りこの災害を忘れることはないでしょう。また次代に語り継いでいくでしょう。
先人は、過去から学び災害に備えてきました。
その智慧が今日に生かされてきたはずでした。しかし、自然の作用はそれをはるかに上回りました。人智を超えた自然の猛威ということです
地震国日本は、世界のお手本となる精神性や技術とともに、自然を畏怖する心根を備えています。「日本人が見せた冷静と団結は震災の恐怖を和らげてくれた」との言葉に、自然の事象に呼応し「和する」精神が溢れているようです。
昨夜、私の住む静岡県東部に震度6強の地震があり、物が落ちる大きな揺れがありました。いよいよ東海地震の前兆ではないか、との声も聞かれます。
私は暫くの間、香を焚き死者の霊に掌を合わせ、僅かながらの義援金を出させて頂き、節酒、節電につとめようと思っています。
陽はまた昇ります。
地球の声を聴きながら、雄々しく復活する日もそう遠くはないでしょう。


2011年3月16日