日本のすがた・かたち

2009年4月6日
みんぞく

HP-91.JPG民といい種族と言いし昔より
いとも美わし日の本の人

民族という言葉の定義はとても曖昧です。
いつも思うことですが、日本国民を日本民族というと何か違和感を覚えます。これは私だけではないように思いますが、何故かユダヤ民族とかアラブ民族といった明解な姿がなく、曖昧模糊といった感がつきまといます。
外国では日本国民を指して日本民族と呼んでいるようですが、これも確たる定義に基づいて呼んでいる訳ではないようです。
民族とは血と固有の伝統文化を共有する集団といわれ、言語や宗教によって輪郭が見えているようですが、どうも日本には当てはまらないのが実情のようです。
まず血です。日本人には多様な人種の血が混じっていることは既に周知のことで、最近のDNA研究では5万年前のアフリカの女性がその祖先ともいわれています。また、アイヌや沖縄人が縄文時代の民といわれ、その祖先は東南アジアから来たといわれています。アイヌや沖縄の人たちは日本の先住民だったとしても、現在はアイヌ民族とか沖縄民族とはいいません。
言語にしても日本列島には多様な言葉が存在し、方言という言葉には標準語としての機能はありません。アイヌと呼ばれる人たちもアイヌ語で日常を送っているわけではなく、宗教に至っては多種多様な信仰形態があり、日本最古ともいわれる古神道には教義と呼ばれるものすら存在しません。教義や経典のないものが果たして宗教といえるものかどうかそれも疑問です。
民族の意識がなく、日本語で思考し、多様な血と伝統文化の中で暮らす私たちは、自然や人や物事に「和す」という血と精神性を保持しながら、それを脈々と伝えています。何と素晴らしい「複層する単一民族」でしょうか。
北朝鮮のミサイル打ち上げで騒々しい最中、京の古刹の花見に興ずる人々。
私は、散り始めた桜花を見ながら、日本民族に生れてきて本当に良かった、と今更のように思いました。
                                                                                                                                                                                                                                                    


2009年4月6日