日本のすがた・かたち

2009年3月27日
白い稲妻

HP-88.jpg春雷が峰の雪間に聴こえきて
芽吹きをせよと木々に告げゆく

春の雷が鳴る頃になりました。
24節気の春分が過ぎ、「桜初開」のあとの72候の第11候が「雷乃発声(雷すなわち声を発す)」です。
3月の末からが春の雷が鳴り始め、4月初めに第12候の「始電(始めて稲光す)」になります。この頃から雷がとても重要な気象現象として日本列島を覆っていくことになります。
我が国の文化は、昔からの農耕によって形成されてきたといっても過言ではなく、特に五穀に関してはその豊穣を願う祈りのかたちが祭りや儀礼となってつくられてきました。
その基となっているものに神すなわち雷があります。
神という文字は雷の意味から作られているという説がありますが、雷は人間を超越した威力をもち、生きとし生けるものに禍福をもたらし、霊力あるかくれた存在として畏れられてきました。現代においてもその霊威は変わりません。
稲の結実の時期に多く出現する雷は、天から恵みの光が降り豊穣をもたらすとされ、稲の光、稲光といいわれました。これによって稲が実る稲の夫(つま・妻・伴侶)とされたわけです。
その稲妻をかたにし、かたちにしたのが紙垂(しで)といわれます。
あの純白の紙で注連縄(しめなわ)に下げてあるギザギザ型のものです。
紙垂は巨樹や巨岩、神社の神域から神棚、正月飾りから地鎮祭の聖域、能舞台から大相撲の横綱のまわしまであり、目にしない日がないほど私たちの暮らしの中に密着し、日本列島の津々浦々まで行き渡っています。
紙垂が廻らされている向こうは神域。つまり紙垂は結界ということです。藁の陰陽を撚って作った縄に真っ白な紙で作った紙垂をさげ、その向こうをケガレのない世界とした先人たちは、そこに何を見、何を求めてきたのでしょうか。
私は、自然界の中の一部として暮らしてきた人々が、自然現象を畏れ、敬い、豊かに生きようとしたひとつにこの紙垂があるようにみています。
人間の一生は、煎じつめれば、生まれて、苦しみ、そして死ぬだけのことになりますが、生きている間の暮らしの中に白い稲妻を走らせ、苦界に在ってなお美しく生きようとする思いが、この白のかたちに込められているようです。
今、目の前の白い稲妻は、清しい春の風を孕んで揺れています。
(写真・雷神図 俵屋宗達)
                                                                                                                                                                                                                                                    
 


2009年3月27日