日本のすがた・かたち

2009年1月15日
和風

HP-74.jpg人に問う
世の良し悪しの理を
答うは常に血の中に在り

和風というと、何かよく分からないものを感じます。
日頃、何気なく使っている言葉の和風は、洋風に対してできた呼称で、その定義はとても曖昧です。
広辞苑によると、我が国在来の風習のことを和風ということになっていますが、元々我が国には和風という概念はなかったようです。
我が国でつくられてきた風習や建築には、和室や和風という分類はなく、あったのは住まいや、集会場といった用途上の分類で、その全てが和室、和風、日本的、日本建築というものでした。分類上の和風が出てきたのはやはり明治以降で、明治維新を境に定着した西洋風に対し使われだした言葉のようです。
和風建築の和室といえば、一般的には和風に作った部屋とか、日本間ということになりますが、この和風という言葉もまた曖昧です。
和室はかつて多様な機能を兼ねた部屋でした。
それは、お産をする分娩室から始まり、遊戯室、勉強部屋 応接室、 居間、 食事室、 集会室、 婚礼場、宴会室、 寝室、 病室、 介護室、 霊安室、 最後の葬儀場など、室礼(いつらい)が入れ替わる毎に、部屋の用途がかわり、まるでひとつの部屋が人の一生を見ていたかのようでした。
また、和室には神仏に関係のない「床の間」という特異な空間があります。かの桂離宮を有名にした、ドイツの建築家ブルーノタウトがこの床の間を評して、『信じられない、世界に類例のない空間』と、驚嘆しています。和室は、その柔軟で、その折々に物事を融通してゆく空間として、和風の原点を最も端的に現わしていたもののひとつかも知れません。
もう何年も前になりますが、ネパールのパタンという古代に栄えた村に、木造の五重の塔の原型があるというので、インド経由で見てきたことがあります。
その塔建築様式が中国に渡った時、中国では洋風だったと思います。いや、洋という海を渡っていないので、ネパ風かも知れませんが、外国から入ってきたものはおしなべて異風文化で、洋風と呼べるものです。その洋風を自国でどのようにしていくのか、それがその国の特質といえます。
現代では法隆寺を日本の世界遺産、和風建築といって、誰も洋風建築とはいいません。これは長い時間が経過すると和風というものにしてしまう、日本の特異な消化能力によるものです。日本人には外来文化を取捨選択しながら和し、和風にすることに長けた特質があるようです。
今まで日本人が積み重ねてきた5万年の歳月は、とても重要なことを示唆しているように思います。私はその歳月そのものを和風と位置付けていますが、和風は気候風土に磨かれた高い精神性や智慧を生み、育み、それを次の世代に遺してきたと思います。
伝来した唐風仏教も日本仏教となり、ユダヤ教も、キリスト教も、そしてイスラムの教えもヒンズーも、それぞれ和風の大きな輪の中で息づいています。
私は和風の建築の仕事をしながら、日本人の血を思い、自分が永い年月の続きの一粒だと思うことがあります。
そして折々、次の世代のために何かお役に立てることがあればいい、と願うことがあります。                                                                    


2009年1月15日