日本のすがた・かたち

2008年8月7日
子どもたちに

hp-17-thumb%5B1%5D.jpg他のことを
思いやるとの世の中の
仕組みを産みし神々のクニ

ここ50年ほど前まで、私たちは縄文時代という存在をよく知りませんでした。一部の人の説で時代すらあやふやといわれていました。その存在を知らしめたのが遺跡の発掘です。青森の三内丸山遺跡はその白眉です。もうひとつ画期的な認識へといざなったのが、画家の岡本太郎氏です。芸術という観点から縄文の昔を今に認知させたのです。この功績は大きなものでした。
私たちはなぜ、過去という昔に思いを馳せるかというと、まず今、自分自身が生きていることの座標と軸が欲しいからと思えます。過去の事柄を知り、それで自分を確認し、その良きところを今に生かし、安心したいということでしょう。それと「自分は何者か」を知り得るてがかりです。歴史小説などでは、同じ時代に生きたと思える人として胸躍らせます。
日本の歴史書に古事記や日本書紀があります。国の正史といわれるものです。私たちはそれを基に歴史を学んできました。国家の歴史が刻まれているといわれてきたからです。しかし、それはまた、時の権力者の思惑が入り、ある意味では危うい情報史となっていたのも事実です。
古事記を読んでみると、30年余の歳月をかけ解読した本居宣長の功績もさることながら、往時の日本人の知識層の思考回路がよく理解できます。私は子どものころ神話の世界に私たちの祖先を見ていました。しかし、どうも謎が多い、あやふやなベールに覆われている、とのことで研究が始まり、今日では誰もが推測で発言できるためか、100人いれば100人の説が生まれている基ともなっています。
私は現在、得心のいく説に魅せられています。乗鞍の麓の飛騨に、2千年前から口伝されてきたという山本健造氏の説です。天武天皇より命ぜられ、古事記を口述したという「稗田阿礼」は人の名ではなく、『飛騨にあられた若きシャーマンだ』、と伝えています。氏の口伝は、古事記や日本書紀以前の日本の有り形を明快に伝え、記紀にある幾つかの疑問を氷解しています。神代の時代から日本人がどのようにしてきたかを想像できる有力な説だと思っています。
3年前から始めた、祭事「和の心にて候」の柱は、日本人の「か・かた・かたち」が潜む≪茶の湯≫の茶会と、日本人の祭祀の精華とiいえる≪歌舞音曲≫のライブと。解かりにくい日本の素晴らしさを、次代を担う子どもたちに手渡していきたいと願う≪子どもたちに≫の招待イベント。この三つです。
次なる目的地、北の大地を目指す旅が始まっています。
今、私の胸の中には、縄文時代の先の口伝が甦り、日本人の気高さや優しさが溢れんばかりに渦巻いています。


2008年8月7日