日本のすがた・かたち

2008年8月4日
黒フクロウ

hp-19.jpg天駆ける黒フクロウのおじいさん
ソーじいじと人は呼ぶなり

童話を読むと童心に帰ることがあります。
また、もう少し前の赤ん坊の頃のことを思えば、何故か肩に入っている力が、スッと抜けることがあります。
赤ちゃんは人からの評価には何時も無関心。いつも泣いたり笑ったりのそのままです。言葉が分からないからそうかもしれませんが、何時も自分のままです。そして歩き、考え、大人になると、自我に目覚め、ウソと偽りの社会の中に身をおくことになります。諸々の駆け引きや自我意識に縛られ、いつしか自分の姿さえおぼつかなくなるものです。
私は、日本人の心根のひとつに「他を思いやる」ものがあると常々感じてきました。この童話のテーマは、日本人が知らず他を思いやり、何時しか輪になっているお祭りの「わっしょい・和を背負う」を取り上げています。主人公は黒フクロウのおじいさんです。日本の素晴らしさを森の仲間に話しかけるお話です。
ワッショイはショイワッ、それがセイワ、ソイヤ、そしてワッショイがつまったワッセになった語源といわれるものです。今、日本国中が祭りの渦の中、ワッショイが瑞穂の国の空にこだましています。何という美わしい和の国でしょうか。
童話『ソーじいじのわっしょい』は、私の肩の力を抜くための呪文のようなものになりました。
                                                                                                                                                                                                                                                 
ソーじいじのわっしょい
わっしょい わっしょい おみこし わっしょい
うれしい夏の お祭りだ
はっぴ姿の 子どもたち  太鼓たたいて 笛ふいて
鉦を鳴らして 踊ってる  夜は花火が きれいだね
わたしは森の 白うさぎ  
夏のお祭り 大好きで  森の仲間に 声かける  
おサルやキツネ タヌキたち  シカやリスたち 集まって  
人間たちの お祭りを  見てはみんなで 踊りだす
おまつり広場 その近く  それは小さな 池がある
冬には消える 池がある  きれいな水の その中に
お魚たちが 泳いでる
みんなでのぞき 近寄ると  バシャバシャバシャと 合図して
仲間がみんな 集まるの
池のほとりに 輪になって  きらきら映る お日さまを
いつも見ながら 待っている
心しずかに なったころ  ソーじいじが やってくる
風に吹かれて 羽をひろげ  きりかぶ上に 舞いおりる
ソーじいじは 旅が好き  黒フクロウの おじいさん
お祭りのころ 飛んできて  いつも不思議な お話を
森のみんなに してくれる
そしていつでも ソーという  だからみんなが そう呼ぶの
ソー
赤くかがやく お日さまも  白くやさしい お月さま
きらきら光る お星さま  こわい地震や 雷さん
つよい台風 吹雪く雪  高かい山から 広い海
大きな川や 湧く泉  森や林や 洞や岩
永く生きてる 大きな木  周りにひそむ 森の精
見たこともない 生きものや  タヌキやシカの 動物も
優しかった おばあちゃん  みんなのために 生きた人
日本の人は 昔から それらをみんな 神さまと
仏さまとに したんだよ
お祭りすると 神さまや  仏さまたち 喜んで
みんなを守り 励ますよ
ソーじいじは 丸い目を  くるっとまわし 嬉しそう
いつもそうして 話してる
へー
雷さまも そうなのね
ソー
大きな岩や 木もそうか
ソー
おばあちゃんも 死んだから
ソー
みんなそれぞれ ききました
ソー
ソーじいじは そういって  とおくお空を 指さした
あの空とおく 飛んでくと  どこまでいくと 思うかね
ロケットでいく どこまでも  キツネとシカが いいました
ソー
ロケットではね いけないよ  いつか飛べなく なるんだよ
気持ちだけでも いっていい  タヌキとリスが ききました
ソー
そのー気持ちは 心だね
お星さまーの ところまで  心が飛んで いけるかな
わたしもきいて みたかった
ソー
心はずーっと いけるんだ  だけどからだは いけないね
キツネが高く 手をあげて  それじゃ いってなんかない
ソー
心だけは いっているよ  いける心が 大事だよ
ソー
今はいない おばあちゃん  だけど心が 思えるね
思うとそこに いるんだよ  笑顔にいつも 会えるだろ
ソーじいじは 目をくるり  首をくるくる 回したの
ソー
昔日本の 人たちは  思えることや 想うこと
みんな 神さまたちにして  みんなで崇め 敬った
心のなかを 敬った
だから お祭りすることは  みんながいつも 喜ぶね
ソーじいじの お話は
いつも不思議で いい気持ち
意味がよーくは 分からない  だけどふわっと 気持ちいい
ソー
おばあちゃんも 喜ぶよ  横でいつでも 踊ってる
嬉しくなると 神さまは  みんな 励まし 守るんだ
ソー
生きものみんな そうなんだ  励まされると 喜ぶよ
ソー
だけどこんなに 想うのは  日本だけかも しれないね
どーしてさ どーしてさ
おサルがきくと ソーじいじ
ソー
いっぱいいると 神さまは  けんかをしなく なるんだよ
ひとつしかない 神さまは  他がみんな じゃまになる
沢山いれば そのなかで  みんな仲間に できるんだ
いっぱいいるさ 日本には  八百万も いるんだよ
世界中には ない国だ
ソーじいじは 数えたの
ソー
数えたことは ないのだが  もっといそうな 気もするよ
へー
そんなになんで いるのかな
ソー
お日さまたちも 仲間だね  地球をつくる 仲間だね
自然をつくる 仲間だね  だから いっしょに 生きている
昔の人は いったのさ  みんな生きてる 仲間だと
それを和だって いったのさ  和になることを 教えたさ
和になると ねぇ どうなるの
ソー
みんな環になり 座ったね  話をしてる となりとね
そっと手と手を つなぐんだ  おおきな輪だよ わかるだろ
仲良くなれる 力だよ
日本のひとは 昔から  これをしながら 生きてきた
和って日本のことなんだ
いまも輪になり 生きてるの
ソー
おおきな輪だよ お祭りだ
みんなで和をね おんぶする  和をね みんなで 背負うんだ
背負うってなにか しょってるの
ソー
みんなの和をね しょってるの  わっしょいって その意味さ
それが日本の心だよ
わたしはぎゅっと にぎったの  じいじと おサルの手をとって
もいちど ぎゅっと にぎったの  和の気持ちって 気持ちいい
ソー
となりを思いやるからね
和の心って となりなの
ソー
となりを思いやる心
わたしはとても 嬉しくて  もいちど ぎゅっと にぎったの 
そしたら みんなと目があった
きょうも あしたも夏祭り
お月さまやら お星さま  おばあちゃんも 楽しませ 
励まされてる 人たちと  いっしょに浮かれ また踊る
日本の国には お祭りが  三十万も あるという
ソー
つぎの祭りで いそがしい みんな 仲良く元気でな
ソーじいじは そういって  青いお空に 飛びたった
わっしょい わっしょい 和をしょい 和をしょい
わっしょい わっしょい わっしょい わっしょい
みんなで輪になり そーれ わっしょい
         
おわり  
(童話『ソーじいじのわっしょい』 文 おおたしんのすけ)
この童話は昨年催された祭事「和の心にて候in熱海」の際、小冊子として出版し、次代を担う子どもたちに贈った第一作目の童話です。現在、これを絵本にしようと新進の絵本画家と編集制作中です。絵には私の思う日本の温かさがあります。童話はシリーズ三作目を執筆中です。子どもたちに日本の素晴らしさを感じてもらえたらと思っています。


2008年8月4日