日本のすがた・かたち

2019年5月28日
未明の妄想

何年も前から未明に夢を見るようになりました。
夢の大半は建築に関することで、特に構想を練っている時にそれは出てきます。

ある茶室の計画を立てている時、昨日まで悶々としてまとまらなかったプランが朝起きる前に、スケッチブックに描いている夢を見ました。その後、その夢のような設計図がまとまり、茶室も完成しました。

以来、この未明の設計夢は重なり、幾つもの設計と共に建物の完成をみています。
仕事ばかりではないそれらの夢は、いつも見るわけではないのですが、不思議に私をリードしているようになりました。
中には色気のある情景も出てきて、それがまた何ともいえない雰囲気が醸し出され、今では夢は現実で現実は夢では、と思うようになっています。

 

20年ほど前、鳥獣戯画で有名な鎌倉時代の高僧・明恵上人(1173~1232)の寺、京都・栂尾の高山寺を訪ねたことがあり、その折、中興の祖であり、実質的な開山でもあった上人が、自分の見た夢を長年にわたって記した『夢記』を読みました。フロイトやユングに強い関心を持ったのもその頃でした。
夢については、
1.夢は、特定の意識的状況に対する無意識の反応である。
2.夢は、意識と無意識の葛藤から生じた有様を示す。
3.夢は、意識態度の変容をめざす無意識の働きを表している。
4.夢は、意識状況との関係の見えてこない無意識の過程を示す。
と、いうようなことも知りました。

 

―薄暗い空間に、ボーっと情景が浮かんできて、ある塊が現れてきます。
私はその塊のすがた・かたちをスケッチブックに描いて行きます。
やがて目覚め、そのスケッチに寸法と色合いを与えて行く…。

何時の間にか私の設計手段となった夢との連動です。
この連動は私にとっては妄想であり、独り「未明の妄想」と名付け、悦に入っています。

 

この先は妄想が深化し、変態へと繋がって行くのではないかと思っています。
妄想・変態こそ我が人生。
いよいよ佳境に入ってきたようです。

「想念は未分化されて、空間に融けて在る。思い描くものは、すがた・かたちと成る」
そう思う昨今です。

 

       妄想や 渦巻く未明 五月尽

 

写真:高山寺金堂への石段
下 「紙本著色明恵上人像」(高山寺蔵、国宝)

 

 

 

 


2019年5月28日