日本のすがた・かたち

2017年11月8日
ものには魂が宿る

タイには四回渡っています。

古都チェンマイを中心として北部の名所旧跡を歩き、幾つかの遺跡を訪ねた折のこと。
以前会ったことがある、と思う人たちを見かけました。それも二人や三人ではなく、何人もの人たちでした。
そのようなことがあるはずはないと思いながら、顔や仕草を見て、ハットして、その都度、もしかしたら前世で会っていたか、親戚だったか、それとも同じ遺伝子を濃く持っているのか、と思いました。

また出会う場所や風景でも、何時か見たことがあり、懐かしさが湧き、この懐かしさは何処からくるのかと思ったものでした。
この懐かしい人や場所の感覚は、ネパールやブータンでも遭遇しています。

 

以前から日本人の祖先について関心があり、特に縄文人に関する発掘や遺伝研究の情報があると、自分のルーツを考え、自説を立てるようにしてきました。
この懐かしい感覚に遭遇してから、私の中では、縄文人の渡来説が優位となっていました。

ところが数年前、縄文人の大陸渡航説や遺伝子解明の論文を読んで、祖先は渡来ばかりではなく、逆に渡航による遺伝子の拡散ではないかと考えるようになりました。

現在では、縄文人は元々日本列島に棲んでいて、そこに大陸や半島、東南アジア、北方からの渡来人と混血しているが、すでに航海技術を持っていた原日本人が各地に渡っていて、原日本人の子孫が世界に広がっていたと考えるようになっています。

それを考えるようになったひとつに「木の建築」があります。

中国雲南省やラオス、タイ、ミャンマー、カンボジア、ネパール、ブータンに遺る木造建築の共通性は意外に多く、森林を持つ地域の人たちは互いに木工技術を身に着けていたとしても、意匠や構造の類似性には驚かされるものがあります。

それぞれの国に自生する樹木は、それを使用させ、建物を造るための道具を創作させ、技術を開発させ、優れたところを継承させ、不具合のことは改良させ、それを営々と1万年余も継続させてきました。
その継続の類似性は、人間の類似性ではないかと考えるようになりました。

 

昨今の建築は新建材が多用され、木造とは名ばかりの木質系、鉄骨系、プラスチック系、コンクリート系の建築へと変容しています。
建築は人間の生活環境と文化をかたちづくる基本的要件ですので、現代建築はその変容が必然とされるものといえますが、木の建築を欲する人たちが絶えないことも事実です。

生きもののヒトが心から感動し、感激するものは自然の景観と時が創り出す情景といえます。木の建築は感動や感激の度合いは僅かながらでも、時間の経過とともに育まれる情景があります。
そこに育まれてきたものは私たちの精神構造に大きな影響を与えています。それは「ものには魂が宿る」という考え方に現れています。

 

何時の時代になっても日本人は木の建築を欲するはずです。
それは、人間が自然界に生息する生きものの一部であると本能的に解っているからだと思います。
日本の国土から森林が失せない限りですが・・・。

 

写真: ブータンの木造寺院

 

 

 


2017年11月8日