日本のすがた・かたち

2017年10月30日
学問の楽しさ

齢70も過ぎると人生の輪郭がおぼろげながら見えてきます。
あの時から、あの頃から、と時間を辿りながら、自分の生きてきた原点のようなところに戻ってみることが多くなるようです。
私が思う原点は中学卒業の頃と、18歳で単身社会に出た時のことです。

 

身体が弱く育った私は家の生業である漁師になれず、かといって中卒では使いものにならないという状況でした。
漁師の家は半農半漁で生計を立てていましたが、魚や干物、野菜は余るほどありましたが、現金が乏しい生活でした。勉強も好きでないこともあり高校も半ば諦めていました。これからのことを考えると不安で、海で遊んでばかりいたことを覚えています。

 

中学二年の春、姉が突然、父に申し出をしました。
「私が奉公に出て仕送りをするから、弟だけは高校にやって。」、と。
30人余の同級生の中で進学したのは10名程でした。経済的な理由から進学できないのが殆どでした。

「手に職を付けるところならいい。」。父の言でした。
水泳と卓球ばかりしていたせいで、成績はクラス中下位で、通信簿を持って帰るのが辛かったのを覚えています。

 

工業高校の建築科を卒業したこともあり、横浜の建設会社に就職することになりました。
ギターと木刀と風呂敷に小さな柳李を包んだものを持って家を出る朝、父が「卑怯なまねはするな。」、と一言。駅まで送ってきた母が切符を渡しながら、「お前を信じているからね。」、と一言。
以来、様々な出会いと別れを繰り返し、今日に至っています。

 

現在思うことは、20代に学問の楽しさに出会ったことでした。
学問は利益や効率の追求のためにするものではなく、自分の人生を充足させるためのもので、それが好きな生き方ができるということに通ずることを知りました。
やがて平均点の高い者には興味を覚えず、むしろ分野に偏り高度に深化し勤しんでいる人物に興味を覚えるようになりました。それが人間の本来の姿に一番近いと思ったからです。

 

誰でもが人生の原点を持っているはずですが、私の出発点は父母、姉のような気がしています。三人の言葉は私の真言として何時も蘇ってきます。

 

   故郷は 海山の幸人の幸 波の果てにも 未知の国有る

 

写真:コレカノが作り贈ってくれた「お守り」

 

 

 


2017年10月30日