日本のすがた・かたち

2017年11月21日
建築と庭

我が国の現代建築は西洋建築に倣うものが大半といえます。
また、「建築は人を感動させるもの」でなくてはならない、という考え方があります。

感動するという建築を見聞きすると、西洋諸国の特色に沿ったものが大半といえます。
この「感動の建築」は著名人の発言の影響のようですが、私にはその感動させる手法に違和感があり、本質的な方向が違うと思うところがあります。

感動するという人たちは異口同音に、大きな内部空間や、そこに外光の取り入れ方に感動を覚えるといいます。空間と光の演出に酔うわけです。
室内へ光の導入をするための必須条件は、閉ざされた空間があることです。
巨大な窓をステンドグラスなどで演出することなどは、閉塞空間でなければなりません。つまり壁で囲い、外部と隔絶させることで可能となる空間こそ、西洋建築の特色ということになります。

この精神の方向は、自然と人間を隔離し、外部と一線を画すところにあります。
国境が山や川にあり、侵略が繰り返し行われた歴史と、気候風土により防護し守らなければ生存していけない民族と国土が横たわっているからといえます。
これを象徴しているものが「壁」です。

ヨーロッパ諸国でいうところの壁は厚みが2メートルはあり、彼らの壁とは自然との隔絶や国境と同じ意味を持つものです。
私は西欧・西アジア諸国の建築を「閉ざされた建築」として捉えています。

日本建築にはこの閉ざし隔絶するという考え方はありませんでした。内部空間を開放し、外光と一体となるところが特色といえるところで、特に木造建築には閉塞感というものがなく、むしろ外部と連結して構成されています。

空間といえば、内部は用途に応じ装飾は僅かで、外部に設えた庭を抱え込み、借景などの遠景を取り込んで巨大な自然空間を造り上げてきたといえます。
この開放的精神性は、自然と一体であるという考え方に依るところが大きく、人間は自然界の一部であり、自然と同居し調和して生活して行くというものです。

国境は海にあり、侵略は船か飛行体によることになり、他民族が歩いて大挙移動してくるということは考えられません。
これらを象徴しているのが日本の「壁」で、一般的な厚みは精々15センチ弱です。

これは外部との隔絶を目的とせず、外敵の侵入を防ぐ目的は少なく、唯一閉鎖的な状況を必要とするときは台風などの災害時であり、自然災害列島に生息するために備える必要からのものです。
私は日本の建築を「開かれた建築」として捉えています。

 

現代建築には「庇」がなく、豆腐を切ったようなデザインといわれます。設計が簡単で楽だということに繋がりますが、昨今の建築の主流は内部空間の演出を重要視する傾向にあるようです。
それを感動的な建築として評価する時代になってきていますが、私は日本本来の建築的感動は外部空間との一体の所に存在すると見ています。
「建築と庭」によって渾然一体となり、醸し出される感動は、閉塞空間の中に構成された演出とは異なる美意識が働き、起きる感動だと思います。

 

世をあげてのグローバル化とユニバーサルデザイン化、バリアフリー化について、私は思うところがあります。安全と効率と利益だけでは、何処かが歪んで行くのではないかと。

自然界の一員、気候風土、災害列島、森林の保有、文化財建築の再生、後進の育成の重要性について、「建築と庭」は重要なメッセージを発しています。

先賢は、美しいものごとに触れることによって人間の情操は高まると、それをものごとの判断の基にしたらいいと教えています。

私は建築と庭の調和の美しさの中で、人々が健やかに暮せるようにと念じながら設計に対っています。
また若者たちに、日本建築の美しさと、庭も設計できるように、と伝えているところです。

 

写真: 「開かれた建築」 熱海・「水晶殿」
(庭は一都三県で伊豆大島までの広さの相模の海)

 

 


2017年11月21日