日本のすがた・かたち

2016年9月7日
彫刻師・森田彩乃

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このお盆休みに若き彫刻師の訪問を受けました。

彫刻師・森田彩乃さんは以前HPで紹介しましたが、大学を卒業後、富山県南砺市井波の仏師・藤崎秀胤氏に弟子入りし、5年間の修業を終え、今はお礼奉公をしながら独立の準備をしているところです。

彼女は毎年正月とお盆に習作を携えて訪れますが、3年目からの著しい成長の跡を見るにつけ、会うのが楽しみになっていました。

 

今回持参した習作は「猫」でした。

「う~ん、生きているようだな」

私は犬や猫が子供の頃から苦手で、猫は棒で叩き部屋に追い詰めた際、逆襲に遭い怖い思いをしてからダメになりました。

(…彫刻なのに生きているような眼付きで見ているな…)

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(前回の少女像は神秘的だったけど、この猫は何か話したそうな眼だなぁ…)

(う~ん、彩乃は世に問える領域に入ってきたな…)

 

いずれ「三島御寮」造営計画が進んだら、彼女には御堂の本尊「薬師如来」を彫ってもらいたいと思って、そのように頼んであります。

 

聖観音-1.jpg今の世が目指すのは、利益や利便さを積み重ねて行くモット、モットと際限なく積み重ねて行く価値観です。私たちは「新しく」という名の発明や開発は人間に寄与するものであると考え、いつの間にか創り、破壊することの連続性を善しとして、そのことに疑問を持つことを放棄してきました。欲の赴くままのようです。

彫刻という作業は一本の木を限りなく削って行くという、モット、モットの作業とは真逆の消去という行為です。

先日、私は彼女の中に消去のかたちが醸し出す美しさを感じ、清々しい思いをしました。建築の設計も究極どこまで消去できるかを私は目指します。美しさとは饒舌やパフォーマンスや仕草ではなく、消去の果てに顕れてくるもののようです。

 

今日、若者たちに彩乃さんの話をしました。

来年、三島で彼女の個展を開こうという話がでました。楽しみがひとつ増えました。

 

「猫は何か考えている」。私はもう一度写真を見ながらそう思いました。

彼女の手が、指が、綺麗になっているのに気が付いた一日でした。

 

そういえば知らず私は嫌いなはずの猫を描いている。人に聞かれたら「タマは元カノか都々逸の化身だ」と答えようか。

 

当「和の心にて候」プログは30数か国から訪れ、多くの方が見てくれています。

若き彫刻師・森田彩乃の名を知ってくれるといいな、と思っています。

 

 

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仕事場で

 

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 藤崎秀胤先生と毘沙門天三尊立像を納めた時に

 

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少女像「月あかり」 2015年作

 

写真: 上 森田彩乃 彫刻作品「猫」2016年作

    中 「猫」の祖型

    下 「聖観音」2014年作

  TP  「猫 」の眼

   

 


2016年9月7日