日本のすがた・かたち
お盆もリオ五輪も済み、台風の災害に遭っている日本列島です。
生きものは自然現象にたいしてどうすることもできず、都度対策を講じて生存を計って行く以外にないようです。そして自然は人間に対していつも想定外という結果を与えます。多分、ヒトが地上に棲みだしてから今日までこの想定外は変わっていないのではないかと思います。
現在設計中の建築は災害に強いものとするために、構造設計などの専門家を交え、あれやこれやと協議を重ねています。
災害列島に生息してきたせいか、先祖も私たちと同じようなことをしてきたのではないかと思います。人間は、数万年経った今でも災害に関しては進歩がないと思わざるを得ません。
豊かになるために膨大なエネルギーを消費し、安全や利便さを追求してきた挙句、私たち何を得て、何を失ってきたのか、時折考えます。核などの危険を得て、却って安全を失ってきたのではないか…。
ボーッとしながら思いを巡らせていると、いつも出てくる先に「只今ピーク」があります。私のピークは「ただ今」という今にあります。年齢もピーク、心身も、人付き合いもピークというものです。
生まれて今日まで生きて、今がピークです。考えも、仕事も、日常生活も、人付き合いも人生観も、今という只今がピークなはずです。
ですから私の人生のピークは今、今、今という「今」にあります。
考えてみれば、失意のどん底にあっても、得意の絶頂にあっても、人間の人生における優劣はなく、幸不幸もなく、差別もないものです。ようはその状況を自分の心がどのように判断しているのかにかかりますし、その判断すら怪しいものです。
建築を設計する行動は、物事を判断する行為に他なりません。判断こそが設計といっても過言になりません。災害に対してどのように判断するか、そのすがた・かたちが美しいといえるのか。自分はこの今、今ここが、最もレベルの高い判断ができる位置にいると思うものです。
「今がピーク」。
と、いいながら一句。
設計の 寂しさに耐え 爪を切る
写真: 朱扇 福島慶道老師「幾下蒼龍窟」(いくたびかくだるそうりゅうくつ)
蒼龍窟は坐禅堂のことだという