日本のすがた・かたち

2016年1月18日
真善美勤

sensei[1].jpg2500年前から伝えられてきた「飛騨の口碑」を世に遺した山本健造は、日本人の価値観を「真善美勤」から説きあかしています。

 

人間の価値観は「優劣(美)・正誤(真)・強弱(勤)・善悪(善)」であるとし、美と勤は唯物、真と善は唯心であるとするもので、その普遍的な価値は「優劣・正誤・勝敗・善悪」の四つの中に確率として存在すると説いています。

これは山本の提唱する「六次元弁証法」の中に説かれているものですが、その確率配分は定かではなく、折々に刻々に変化するともいっています。

 

つまり、人はこれら四つの窓から物事を考える生きもので、その時の考えにより価値基準を定め行動してしいるとしています。

この考え方からすると、日常的に思想や主義を持って行動している人は、最初から考え方という配分(思想・主義)を定めていることになり、発展性のない硬直した価値観に囚われ、判断を間違えることになります。

 

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また山本健造は「美と勤」を唯物とし、「真と善」を唯心と分け、そこから日本人の特質を「唯心>唯物」と判じ、日本人の価値順序を「真善美勤」と位置づけました。

欧米や中国など覇を競う他の国を「唯物<唯心」としていることはいうまでもありません。

 

私は十年ほど前にこの科学的分析理論を知り、何時しか設計する建築の価値をこの四つの窓から眺めることにしてきました。

(建築に優劣はあるのか。これは優れているものといえるか。)

(この建築(設計)は本当にこれでいいのか。固定観念で観ていないか。)

(他の建築に対し勝ち負けという観点で設計していないか。)

(この建築(設計)は施主ばかりか、世の中にとって悪となりはしないか。)

などという自問と自答です。

 

そこから再確認できたのは、自分の価値観の危うさでした。

私の喜ぶことは他も喜ぶ。私の嬉しいことは他も嬉しい。私の善しとする行動は他も善しとする。

考えてみれば、自分の行動を見せ付けても特段褒められることではなく、まあ、独りよがりの何ものでもないことのようです。

少し前にタレントが「意味ないじゃ~ん」といっていた言葉が、禅語のように響いてきたものでした。

 

しかし、気を取り直しながら、改めて設計に向き合うことになったのは、木の建築という存在と、すがた・かたちが長く遺こるということでした。

少なくとも三百年の用に供することを目標とする仕事は、不変の価値観の窓から眺めることもさることながら、それらから長らえる時間を抽出する作業のような気がしています。

 

三百年先を考えることは、三百年前の人たちを考えることになります。

先人もそのようにして暮らしてきたと思います。

                                                                                                        

写真:  山本健造  http://www.fukurai.net/yama.html

  下  一般財団法人飛騨福来心理学研究所(山本健造氏設立・山本貴美子理事長)

                                                                                                        


2016年1月18日