日本のすがた・かたち

2015年9月9日
人間憂いの花盛り

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「この頃何を考えても不安なのですが。付き合いや就職とか結婚とか貯金のこととか…」

「明日のことを心配し過ぎると、美味しくご飯が食べられなくなるよ」

「今は不安のせいか食欲不振です」

「食べないと良い智慧が浮かばないよ」

「良い智慧って何ですか。今の忌まわしい学生生活から逃れる智慧を教えて下さい」

「う~ん、改まって聞かれると難しいけど、ケセラセラかな、なるようになるって」

「なるようになるって気持ちになれればいいけど…。もっと不安になりませんか?」

「なるようになるから心配しなくてもいいよ」

「……」

 

若者とこの様な話をして励ました後、ふと「人間憂いの花盛り」という一言を思い出しました。

この言葉は謡曲「隅田川」に出てくるもので、かつて謡に没頭していた頃、師匠の関根伸夫氏が時折謡っていたものでした。師は弟子の葬式にこの曲を献じました。

 

人間の一生は憂いに満ちたものだから、それを承知の上で生きていくように。

作者の観世元雅はこのように言っているのではないか、とその時は思っていました。

 

この頃は、人間は生きていること自体が不安であり、生きている限り、それを解消する術(すべ)はないとの思いです。

では、不安解消の術はないのか、というと、ないのですが、先賢はその折々に不安を緩和する術を伝えてきたようです。

 

180px-Bodhidharma.and.Huike-Sesshu.Toyo.jpg「私は毎日が不安で仕方ありません。どうぞこの不安を取り除いて下さい。」

「よし、分かった。ならばその不安とやらを、ここに今出してみよ。」

「不安は出しようがありません。」

「そうだろう、不安は実態がないのだ、実態のないものに惑わされてはならない。」

 

少林寺における達磨大師と二祖慧可との問答です。それを物語る国宝「慧可断臂図(えかだんぴず)」が有名です。

 

心配しなくても人間の脳は不安感を麻痺させる機能を持っていて、今日は交通事故に遭わないだろうか、飛行機は落ちないだろうか、などと何処に行っても考えれば考えるほど不安に襲われる日常を緩和させています。

 

後日、若者にいいました。

「不安を不安と思わないような訓練を積むといいよ。それには物事に没頭する時間が必要になるけど…。ただし、それも不安と同居しながらだよ」

不安を感得する脳を惑わすには、何事にもよらず没頭できる状況を創出する必要があるようです。

没頭できれは、それは宗教でも学問、仕事、恋愛、子育てでも、邪なことでなければ何でも良いと思います。

私は、大いなる不安の中ですが、安保デモを横目に見ながら、三島御寮造営計画創りに没頭しています。

なるようになると思いながら・・・。

 

 「なるように・・」 なると思えば心は軽い 主の軽さも苦にならぬ (都々逸)

                                                                                                                                                                                                                                       

写真: 上、TP 世の不安を煽るデモ

(この参加者5千人ほどが12万人というもの。煽っているのは、日本の新聞(毎日、東京、朝日、共同通信)・テレビ(TBS・JNN)の偏向報道)

     下 国宝「慧可断臂図(えかだんぴず)」(愛知 斎年寺蔵)

                                                                                                                   

 


2015年9月9日