日本のすがた・かたち
恐ろしく静かな午後や 蝉時雨
昼下がりの庭は炎天下にあり、陽炎が立っています。
余りに静か過ぎて怖いほどです。
こんなにも蝉が鳴いているのにと思いました。
一昨年の7月27日は猛暑でした。
私は白石を手にして、伊勢神宮の内宮正殿の地に置くべく歩を進めていました。
蒼穹は蝉声に覆われ、神宮の森に響きが連鎖していました。
今日の午後、庭先でぼんやりしていたら、正殿左の棟持柱の下に白石を置いた時のことを思い出しました。蝉の声の多さの中でした。
今年はクマゼミの数が異常に多く、脱殻の数でもそれが知れ、ケヤキやモミジの木に群がるように鳴き喚いています。
ここに居を移してから30年余になりますが、これだけの音量は初めてです。
この酷暑の中、一人の知己が逝きました。
蝉時雨の中、また此の世に戻ることを願い祈りました。
昔から蝉は甦りのシンボルで大変お目出度い吉祥の生きものとされてきました。
古代中国では玉に蝉を彫り、お守りにしていました。王権の印ともなっていました。
鳴くのはオスで、メスを得るための雄叫びで、ヒトと同じで存在の誇示です。
メスは交尾の後、既に体中にある卵に受精し、木の枯れ枝や樹皮に卵を産み付け、その年の秋か、翌年の初夏に孵化します。セミの種類によりますが孵化するまでに2ヵ月から1年を要すようです。
孵化した幼虫はいったん土の中に潜り、木の根の樹液を吸って成長し、土の中で数年(2年~17年)過ごした後、夏の夕方に地上に出てきて木に登り、脱皮して成虫になります。
地上に出てきて成虫として生きている時間は2~3週間といわれます。
人間は儚い命の生きものと考えると、蝉の再生復活のドラマは劇的で刺激的です。
輪廻転生、誰でもが長寿を願い、生存と生殖に邁進し幸せを求めますが、至福感も一瞬の事に過ぎません。古今の賢人はこの至福感の継続方法を説いていますが、所詮は砂上の楼閣に過ぎません。生きていること自体が不安であり苦だからです。諸行無常の理です。
人間は、その不安を克服しようとすると祈ることに向かいます。祈りは不安の裏返しです。
しかし祈り求めても、求め得ないのが人生のようで、蝉に願いを託した人間の儚さを思わずにはいられません。
知己を亡くし、祈らずにいられない人間の哀しい性(さが)を思う蝉時雨の午後です。