日本のすがた・かたち

2015年4月4日
LINE

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    無弦琴 ぶらさげゆかむ 霞富士 (虚栗)

 (弦の張っていない古琴をぶらさげて 富士の麓に出かけます。)

 

この2月22日の茶飯釜の茶事に、俳人で文士の虚栗先生こと髙田祥平氏を招ねきました。

この句は茶事前日のショートメールで送られてきたものです。

故あって琴を持参し披露できなくなったことに対しての心境を句に託したものでした。

 

私のお返しは都々逸で。

   霞棚引く 富士の根招く 主と逢瀬の コトも有り (樵隠)

 (お待ちしています。虚栗先生との会うコト(琴)もありますので)

 

そして一会は無事終わりました。

退席後、前夜に削った茶杓の銘「梅里(ばいり)」を彼に進呈しました。

「梅里」とは水戸のご老公徳川光圀の俳号です。

彼は光圀と東皐心越(とうこうしんえつ)禅師との交流を小説にして出版の運びとなっていたところでした。

明末期の渡来僧・東皐心越は日本各地に足跡を残し、知る人ぞ知る禅僧です。

脱稿の労を労うこともあり、「梅里」の謂れを知る客はいなくても、と思いながら出したものでした。

「今は梅の花が盛りで、近くの龍沢寺(りゅうたくじ)の梅園に昨日観に行って…」

勿論、彼は銘の謂われを即座に察知し、微笑みで返しました。

 

次の日、またショートメールが入りました。

   人なさけ 茶杓ですくう 梅の里 (虚栗)

 

その次の日、丁重な礼状が届きました。

招いた甲斐があったと心から思った次第でした。

 

そして昨日。

   目に入るや ここにいますと 山桜 (虚栗)

 

お返し。

   濡れ初めて 散るか妖しき 山桜 (樵隠)

 

そして今日、「近所の桃源郷」と題して。

   忘れよか 浮世の憂い 桃の花 (虚栗)

 

お返し。

   忘れ得ぬ 浮世の憂い 桃の花 (樵隠)

 

そして直ぐに。

   桃の花 喜び憂さも 斑入りかな (虚栗)

 

そしてお返し。

   桃の花 流れる水に 春は去り (樵隠)

 

この即興の遣り取りは、まさにLINEではないかと思いました。

即座に送りあうスマホは優れものだと再確認し、同時に電波で文字が即座に送られることの不思議さも思いました。

私は遅れているのか?と改めて思いながらでしたが。

 

茶事の面白さは、その後の交流の変化によって増幅されるものだと思っています。

次に彼を招いた時の茶杓はどうしようか…。

楽しみは尽きずです。

                                                                                                                       

写真 : 髙田氏より送られてきた桃の花盛り

                                                                                                                          


2015年4月4日