日本のすがた・かたち

2015年1月22日
本能そして智慧

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 「人間は何のために生まれて来たのか」

古今の賢人はさまざまな答えを用意してくれていますが、私の中では、生まれて来た訳や目的はいまひとつ明解ではありません。

はっきりしていることは、生命体としての人間は、「生存と生殖」を目指して生きているということです。生存を図るために食べ物を選んだり、運動したり、快適な生存のための知識を得たり学んだりしています。

また子孫を残すために生殖活動に情熱を燃やします。恋愛はまさに生殖活動の初期症状といえます。人間のあらゆる行動は「生存と生殖」のためのもの、といっても過言になりません。

なぜ生存競争などという過酷な日常に立ち向かうのかというと、他人よりより良い生存でありたいからです。他人より多くの食べ物を得たい、しかも安全で美味いものを…。

その食を得るためには金が要る、金さえあれば何でも買えるし望みか叶うというものです。ここに競争が始まります。

競争は争いを生み、憎しみの連鎖を引き起こします。日常でも自分の幸せのために、人を殺め、盗みます。

尽きるところは「我の生存と生殖のため」ということになります。

この過当な競争に人間は疲れます。そしてこの世を儚く思い呪いさえします。

若い時分の私はこの生存競争に明け暮れていました。競争に打ち勝つことこそ人間の幸せが掴める、と思っていました。

ある時事故に遭い、競争から逸脱することになり、やがて生存していることを持続させることで良いのではないかと思うようになりました。父母から授かった命をなるべく長く持たせ、生殖に勤しむという生き物の本能に気が付いたのでした。

 以来、私は不思議に生存競争に疲れたという実感はなくなりました。なるべく人様に迷惑をかけず、自分の生存と生殖を主に好きな建築の道を行こうということになったのです。

 

今、世を騒がしているイスラム国の者も、あらゆる国の宗教や思想や教えを携えている人たちも、本能が指揮する「生存と生殖」から発する過度競争に邁進しているように見えます。この真の姿が分かれば無益な競争をすることが少なくなるかもしれません。

日本人の先祖は数千年の昔から今日まで、どうすれば和して暮らせるかを模索し、そしてその規範となる「道徳と習慣(儀礼・儀式)」を発明してきました。多分、この地球上には存在しない日本人の暮らし振りの智慧です。経済の発展や科学の進歩が、人間という生き物にとって必ずしも良いと考えない和する智慧です。

 

私はその先祖の優れた智慧を「木の建築造営」を通して次の世代に伝達できないかと考えています。

「三島御寮」造営事業はその行動の核となるものです。

日本人の美しく優れた智慧や習慣は世の中に役立つと確信しています。

今、私は生殖から生存と伝達に向けた生活の中で棲息しています。

                                                                                          写真: 倖の国ブータンの祭りの風景 (2013・2月撮影)


2015年1月22日