日本のすがた・かたち

2015年1月9日
羊年の春

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新春のお慶びを申し上げます。

年が改まると気持ちが改まります。

大晦日と元日は一日違いなのに、まったく違った日に思えるのは不思議です。

人間はどこかで区切りをつけないと惰性に流れるため、先人は色々な区切りと再出発の習慣を作り出したのだと思います。

日本には四季や神仏に関わる年中行事が数え切れないほどあって、宗教行事であっても余り囚われることなく参加しています。

今年も市内にある三島大社は去年末から新年にかけて大勢の人たちが詣でていました。

私も三賀日に初詣をしましたが、もしかすると、祭祀されている神様の名前や正体を知らない人が大半ではないかと想像しました。

日本人は神や仏に関わらず、神社仏閣には「ただ、ありがたい」という思いと、お願い事の対象として御参りしているように思います。大半の人は先祖さんに対して手をたたき、手を合わせて現世の利益をお願いしているようです。

神社神道は有史以来成立してきた宗教といえますが、記紀の神話の成立が弥生時代であれば、縄文時代の先祖たちはどのような宗教観をもっていたのか興味の湧くところです。

 

宇宙の理を知っていたはずの縄文期の先祖たちが営々と伝えてきた「道徳」を、先人は古神道と呼んでいますが、これは現在のような神社神道や戦前の国家神道とも違う、自然界の一員として生きて行くための道徳的な教えだった、と私は考えています。

 

道徳は宗教ではないため、日本人の大半は宗教心がない民族といわれますが、この道徳が私たちに永々と遺伝してきて、是非善悪や出処進退や公衆道徳などの規範を創りあげてきたように思います。日本人は、文化文明に道徳が継承され育んできた、地球上の数少ない集団のようです。

現代はグローバリズムによって、損得と優劣が最もはばをきかせる世の中になってきました。必要と思えないようなものを作り、内需拡大や成長戦略ばかりが跋扈しています。そして建築などともに、ゴミが溢れる世の中となってきました。

 

日本人の古神道による道徳や感謝は、これからの世に多くの示唆を与えています。

「人間、寝て起きて、また寝る」。

これが人間の一生ならば、損得や優劣ばかりではなく、善悪や至誠という古来からの先祖の美徳を継承して行くと良いと思うこの頃です。

 

四十歳の頃、何でも縁のある建築を設計する姿勢から、木の建築造りにシフトを移しました。

木の建築は誰もが設計できるものではなかったからです。

仕事は激減しましたが、社寺建築や宗教建築と向き合い、そして茶室の設計に辿りつき、縄文期から今日までの流れを、我が国の優れた歴史として感得することができるようになりました。

春先から、「三島御寮」造営計画にまたシフトを変え、寝て起きての人生を集約させて行きたいと思っています。何事も大事を成すには片手間という分けにはいきません。 

縄文時代からの先祖の道徳に思いを馳せながら、毎夜、10Bの鉛筆を走らせています。

遠い祖先を想い、次の世代を思い、そして中今を・・・。

                                                                                            

写真:木の建築造りを目指すきっかけのひとつとなった京都最古の寺「千本釈迦堂」 (大報恩寺)と寺宝六観音像の内の「如意輪観音(天上道)」 定慶作(鎌倉時代)

 

                                                                                                   

 

 


2015年1月9日