日本のすがた・かたち
「鵲橋横漢(じゃっきょうおうかん)」は「かささぎのはしよこのかわ」とも読みます。
鵲(かささぎ)は鳥の名前で、横の漢とは天の川のことです。
今夜、鵲が大きな羽を広げて天の川に橋を架け、彦星と織姫が逢えるようにする、という天の川の物語です。
この七夕の季節になると、鳥も粋な計らいをするものだと思い、男と女の永遠のテーマに思いを致すことになります。
今夜、二人は橋の上で逢って何をするのか?
この問いかけは無粋というもの、後は想像に任せることにします。
男女の事は、いうにいわれぬストーリーを持っていて、人間がこの世に出現してから最も難解かつ魅惑的で、人生の永遠のテーマになっています。
「生と死」と「男と女」が小説など書物の最大のテーマになっていることは、とりもなおさず、人間にとって最大事ということなのでしょう。
禅の教えも、この男女の愛憎に関してはお手上げ状態のように思います。つまり男女のことはいうにいわれぬ「秘めごと」なのです。
この半年間は『伊勢神宮』の最終校正で苦しい夜を過ごしました。
なぜここまでこだわらなければならないのか、と思う夜もありました。しかし、友人たちに励まされどうにか上梓にこぎつけました。
その苦しんだ間も、もう一人の私は「都々逸」を作り「小説」を書いていました。建築の設計をしながら2、3冊同時進行の原稿書きの癖は、もう30年近く続いています。
『伊勢神宮』の校正に集中していながら、その心ここにあらず、でした。周囲は私を「分裂オヤジ」と評していますが、この頃は納得しています。
この3年間に、書いては推敲している二編の長編小説があります。中身はいずれも茶の湯を通して展開する男女の愛憎劇です。人は愛憎の坩堝の中で生きることが運命(さだめ)というものです。
「人はふとめぐりあい、そして別れる…」
私はこの巡り会いから別れの間に人生の妙味があるとみています。そして幸不幸は己の心が決め、誰のせいでもない、という見方にたっています。
小説を書いていると何となく恥ずかしさが伴い、これは世に出せない独りよがりの睦言集だな、とも得心しています。
7月5日発刊の『伊勢神宮』はやはり生と死、男女の憎愛の物語かもしれません。
お読み下さる皆様にお礼を申し上げながら、七夕の夜を過ごし、本番の8月の七夕には茶を点てながら二人の逢瀬を眺めたいと思っています。
画像 ネットから拝借した折り紙の七夕
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