日本のすがた・かたち

2014年5月24日
進歩が退化

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現代は便利で、とても効率の良い社会といわれています。

便利、安全、効率、省エネが目指すところですが、背景には、「人類は限りなく進歩する」という考え方に基づいているところがあります。

 

まず便利さについてです。

現在インターネットの利用者は世界で20億人ともいわれています。計算をした人がいますがが、それらの人たちは一日に3千億通以上のメールのやり取りをしているそうで、その内の90%の2700億通は不要なものだそうです。

その不要の1通を消去するのに3秒かかるとして、世界中の人々が迷惑メールを消すために使う時間を金銭換算すると、年間165兆円といいます。

これは世界のGDPの合計の3.5%にあたり、デンマーク、カザフスタンなど、10数か国のGDPを合計した金額がインターネットの中で消えていることになるそうです。

 

また車に至っては、世界に10億台以上で、その車による交通事故の死者が年間130万人といわれます。ベトナム戦争は約15年で240万人の死者で、年間10万人弱ということになり、130万人はこれの13倍となり、自動車はベトナム戦争の13倍の人を毎年殺していることになります。

 

便利さ、効率化、高い収益を目指している現代には、このような矛盾に充ちた側面があることを承知しておくことが肝要です。

このような有様をみると、果たして人類は進歩しているのかどうか疑問です。

便利なものは産業を興し、それによって利益を生みますが、結果、貧富の差を生み、差別を生み、争いを生みます。現在世界で起きている争いの殆どは、差別や貧富の差によるものが原因でしょう。

また兵器の開発は人殺しの数を競うもので、宇宙開発も人類に幸福をもたらすものではなく、結果として宇宙兵器の開発が目的となるように思います。また原発の不気味さから逃れられずにいる私たちは、便利さや利益を追求する余り、とても大事なことを見失ってきたのではないかと思います。

 

世界がここまで狭くなり、利便さの追求は止まるところをしりません。これではますます地球が住み難い場所になるように思います。

今こそ「人類は限りなく進歩する」ではなく、「人類は限りなく退化する」という考え方も取り入れ、これからは「利便さと伝統との調和」という、古くて新しい考え方を導入するといいと思います。

 

世界に共通していますが、日本でも気候風土や伝統に根ざした生活を善しとし、先人の遺してきた優れた記憶を次代に伝達してきた歴史があります。その記憶を生かし、電気のなかった頃の省エネの生活に思いを致しながら、最先端のテクノロジーを融合させてゆくことができないだろうか、と思います。

生活の基盤である衣食住は大地にある素材を科学加工せず使用して、大地に還るように工夫し、人間を肥満にしないために怠けない生活の仕組みを先人から学ぶといいと思います。

また日本人は、一神教を受け入れなかった世界で唯一の国。この調和のとれた精神性を今一度振り返ってみることです。現在、危なげながらも外国に隷属することなく暮らしている「和の心」をもった民。世界の人々があこがれるのも分かる気がします。

 

私は木と石と土で造る「木の建築」をすすめています。

イミテーションしか見ることができなくなってきた子供たちに、便利さの対極にある、本物の大切さを伝えてやれればと思っています。

 

人類は限りなく進歩する可能性を秘めていますが、その可能性は足元のわずか18センチ厚の大地に潜んでいる、と思う今日この頃です。

 

写真  宇宙ステーション 提供NASA

 

 

 

 

 


2014年5月24日