日本のすがた・かたち

2014年2月4日
スペック


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スペック(spec)とは、specificationの略で、機械などの構造や性能を表示したもの。また仕様や仕様書のことです。
近年、IT関連を中心にこの言葉が多く聞かれるようになりました。

建築の設計図にもこの工事に関する仕様書があり、特記仕様書という特別の仕様もあります。
「ショウガナイ」という言葉は、この「仕様-が‐ない」という意味が変化したもので、人間に例えれば、基準がない、理解していない、ダメな奴だとかの時に使い、あまり誉められない人を指すようです。

子供の頃から近所の小父さんたちに「ショウ~ガ~ネェ小僧だ」といわれていた私は、このスペックがなぜか気になる存在になっていました。この頃の私は、精々50分のところ倍近くの時間かけて山の上の中学に通っていました。旧友からは、肩から布カバンを下げ、長靴を履いて半分寝ているようにボーと歩いていて、あまり反応がなかったと聞かされますので、まあそのような仕様の少年だったのでしょう。

長じて建築という仕様のある仕事について何を考えてきたかといいますと、学問の真の意味でした。

学問を積むということは、世の中に必要な秩序作り、つまり仕組み、仕様書の作成能力の高度化を目指すことで、最終的には地球に負荷を与えない仕組みを考えるということです。ですから記憶力の優れた偏差値の高い人間が必要となる分けです。

あまり勉強をした記憶のない私は、いつの頃からか、物事に対する姿勢を知識からではなく、できる限り身体で向き合うことにしてきました。

これは学識がないことに起因すると思いますが、私自身が自身の個体として物事を見聞きし、感じることで物事の判断や評価をするもので、いわば眼耳鼻舌身の五感を動員し真実を識ろうとするものでした。

今に至り、ある確信の持てる意識を挙げるとすると、知識ではなく身体で得たことになります。それは信じられるということです。「手に得て心に応ず」といいますが、その可否はともかく、身体が得た情報に心が反応できることの安堵感こそ、私が信じる原点となっているものです。

知識ではなく、人間が五感を動員することによって、現在の地球環境が劣化していることを感じることも可能です。人間はこの地上で人間だけでは生息できません。土壌、植物、動物と連鎖できる良好な環境が必要です。

私が木造建築造営を目指している源は、美しい自然の循環サイクルの中で健康な生活をする、ということになります。
そのためにも私は、人工的に植林した木を伐採し、それを建築材料として使用し、森林環境を良好に整えられる一員になりたいと念じているものです。

山が良好な自然環境であれば、川もまたしかり、その土壌に育まれた動植物も健康に過ごせるはず。そして流れの先の海も。そしてまた空から山へ…。

私にこのような仕様ができてきたのは、「ショウガネェ」子供だったからかもしれません。人の行動規範は歳月を経て、自分自身のスペックを創り上げていくようなものなのでしょう。

自然環境を劣化させていることを認識しない人たちには、「自家版地球スペック」を作ってもらう必要があります。

子孫のために…。そう思う昨今です。

 

写真 トップ  地球の夜明けの様子 夜の都市がバクテリアのコロニーのように見える

     上  宇宙からみた南アフリカ  川に水のあるところに農業がある

     (参考 「宇宙から見た驚きの宇宙画像25選」) 

 

 

 


2014年2月4日