日本のすがた・かたち
人生を考えることの根底には「必ず死ぬる」という真実が潜みます。
人生を考え、生きる望みをいだくことは、死を考えることと同じです。
では、私たちは何をもって人生や死を考えているのでしょうか。
言葉と文字です。
大昔、私たちの祖先は自然発生的に言葉をもつようになりました。
言葉の始まりは、呼吸音で音だったと想像されます。
音が言葉を生んだのではないかと考えられます。
音は人間の意志や感情に直接入りこみ、精神に大きな影響を与えるようになりました。
やがて音は言葉に変化し、長い年月を経て文字を生みました。
言葉と文字は、人間に知識や智慧を授け、人と人をつなぐ情報手段として文化文明を発展させてきました。
人間とは物事を思考する際に、言葉と文字を使って回答を得ようとし、解決の糸口を見出そうとしている生きものです。 私たちは「生と死」を、知らず言葉や文字を通して考えていることになります。
現在世界の言語は約5000に分類されているようです。70億人が5000の言語をもって人生を考えているわけです。これほど言語が違えば人生観も死生観も宗教観も変わって当たり前です。
日本も日本語と琉球語の二つの言語で成り立っているといわれます。
もし宇宙人や地球人ではなく、住んでいる土地や場所ではなく、その上で日本人の祖国は何処か、と問われたら、私は言語にあると答えます。私が日本人として存在の証として挙げられるのは、日本語で思考している私、という一点にあります。
「我、日本語で思考している故に、日本人なり」です。
仕事柄、絵や図を描くことが多いのですが、構想を描く時の頭の中は、言葉と文字が溢れ、錯綜しています。独り言が多くなります。
私の仕事が永く残るかどうかはともかく、日本列島でこそ伝えられてきた木の建築は、日本語というもので思考する故に、日本の建築といえるのだろう、と思い致しています。
日本語でなければ理解できないといって、外国語が解らないことの言い訳にしているような、少し後ろめたい気持ちも同居していますが…。
蝉しぐれ 先祖の声か 七日間
お盆になると、急に先祖を思い出し迎え火を焚きます。