日本のすがた・かたち
ブータンのゾンは、石とレンガと木造で出来ていました。
冬の首都プナカにあるブナカ・ゾンはブータンを象徴する建築で、城塞の中に、行政庁、寺院、学校などが入る地域の中心をなす建造物です。
1600年代から使われているゾンは、ブータンの歴史や宗教、風俗を語るに欠かせないもので、観たかった建築でした。
内部は思いのほか広い中庭があり、この日は国王の誕生日のお祝いの舞踊が行われていました。スローなリズムや仮面の動きが、なぜか奈良寺院に伝わる伎楽や、雅楽を思い起こさせました。
建物を仔細に見ると、長い屋根棟は波打ち、壁も揃わず前後ろに出ています。日本建築では考えられない精度で、多分地盤が沈下して建物の上下が波打つように変化しているのだろう、それに伴い壁も膨らんでいるのだろう、と見ていました。
ところが後の説明によると、このゾンの建築には設計図なるものがない、とのことでした。
設計図がないために工人がブロックごとに思い思いに造った、と聞いた途端に、私は驚きました。かえって凄いことだと驚いたのです。
設計図を描き、それに基づく施工を監理する仕事をしている私には、このことがとても新鮮に映りました。現代日本では考えられない施工方法です。
我が国の木造建築技術は世界に冠たるもので、木材を調達し、乾燥させ、材料に加工し、設計図に基づいた原寸大の図面により詳細な寸法の部材を作り、それを細心の注意を払いながら組み立てて行き、その累積で巨大な建築物を建てている。
それが図面を使わず、何となく折り合いをつけて組み立てているとは……。
そういえば、内部の太い柱も上下が通らず、垂直に立っているとはとうてい思えず、見通して見れば、それぞれが夫々に立っているものばかりで、木材の組合せ部の継手の精度も、私では到底容認できないところが多く、これらで三百数十年の歳月を経ているのが不思議でした。
確かに我が国でも、古来の木造建築は和紙に墨で描いた図面がたったの一枚で、後は工匠たちの力量に負うもので出来ていました。何時の間に、それが現在の大量の設計図面を要する世の中に変わったのか、法要を終え、ゾンから退出するときに複雑な思いがよぎりました。
人間の能力が低下してきたのではないか、現代人は劣化しているのかもしれない…。
電子空間で描く設計図は、確かに大量の情報量と安全性の確保を提供してくれます。しかし、そのために人間が人間としてもつはずの、感動や尊厳というものが希釈されていることも事実のようです。
手でものを造る、それも祈りをこめて。
いつの世でも、人の心を動かすものは人の手跡なのだ、と改めて思いました。
ゾンの空には淡い上弦の月が微笑むように浮かんでいました。
(写真 ブータン プナカ・ゾン)