日本のすがた・かたち

2013年2月14日
木の仏

uid000067_201209181640554b7264b4[1].jpg円空が彫った仏たちは「木」でした。

味わいのある顔をした仏たちは、なぜか皆あたたかでした。

 

東京国立博物館の「円空展」は、改めて日本列島が木で覆われていることを教えてくれました。日本の国土の7割が森林ですが、その中で人間が植林したものの大半が針葉樹の杉、檜(ひのき)です。

円空は生涯に12万体の仏像を作ったといいますが、材料は杉、檜のほかヒバ、桐など各種に及ぶようです。そこにある木をそこで彫った、という感じです。

 

円空の人物像や足跡には惹かれるものがあり、若い頃から関心をよせていましたが、現在は円空仏といわれるものの素材に格別の思いをもっています。

 

uid000067_201209181640473129d03f[1].jpg会場で様々な体躯をした仏たち、また神像を観ながら、いつものことながらこれが木でなかったら、との感慨をもちました。そしてまた、縄文時代から祖先は、木とともに暮らしてきたのだ、と改めて思いました。

円空はナタ一本で丸太を割り、削り、仕上げています。仕上げといっても即席の荒削りです。その粗雑な仕上がりに仏は宿り、仏は衆生の願いを聞きとどけてきました。 

しばらく見ていると、たかが木の木端が仏と化して、自分の目の前にいるような錯覚に襲われ、思わず合掌していました。

木、金属、やきもの、紙、布など仏は折々に生みだされてきました。すべては人間の業のなせるわざです。その中で、木造の円空仏は今日に至りなお異彩を放っています。

 

木は、巨大な空間である寺院伽藍から、掌の平に乗る小さな仏の素材とまでなっています。人の手で、自然が育てた材料を使い、最小限のエネルギーで後の人たちのために伝えられるもの、それを先人は営々と積み重ねてきました。

人力を避け、過大な電力消費と過剰な表現を求めることで、苦しみを増大させているような昨今、円空仏は、私たちに何かを語りかけているようでした。

 

uid000067_20120918164107785e0cc5[1].jpg日本人が木の建築を造らなくなってから、住宅街に溢れるのは木とは名ばかりの木質系建築。

大工もいなくなり、道具もホチキスと釘打ちピストル、そして怪しげな接着剤ばかりの建築が多くなりました。自然素材と付き合うこともなくなっています。

 

将来これでは困る。次代に負の遺産をのこすばかりだ…。

私は木の建築を造ることを志ました。それも将来、文化財となるような。

(写真 円空展より 東京国立博物館)

 

 


2013年2月14日