日本のすがた・かたち

2010年10月5日
初時雨

HP-10105-1.jpg楽しみは
開炉に懸かる松籟の 
声聴く友の笑みをみる時

                                                            
季語は2万語あるといわれています。
季語とは俳句におり込まれる季節を規定する言葉といわれていますが、元来は連歌、俳諧、俳句などに使われたもので、現代では季の詞(ことば)として主として俳句に用いられています。
私は何年か前の11月初めに茶事を催すことになり、その当日の朝に、丁度、小雨が降ったり止んだりしたことから、季節の風情を感じ、茶道具の中の茶杓の銘を即興で、「初時雨(はつしぐれ)」と付けたことがあります。
“季節の今”を季語で現わすと、抹茶をすくう竹の小匙が、詩情の象徴となるイメージを持つことになることを、その折改めて実感しました。
このときの連想は、季語が時間と空間をひとつのものとして表現することができることを教えてくれて、なぜ先人が、季語を使い、また新しい季語を生みつづけ、茶の湯の道具に思い思いの銘を付けてきたのかを知りました。
2万語に及ぶ季節や季節行事の季語を持つ日本人はこの列島に棲むがゆえに、かも知れませんが、何よりの繊細な感受性とそれを文字に表現する詩情性に目を見張ります。
多分、私の知るかぎりではこの種の季節語を持っている民族は他にないと思います。
漢字、平仮名、片仮名、変体仮名、万葉仮名、そして英字混じりなどの外国語とのミックス文字。それらを渾然一体として使う日本語。何という多様な言語と表現性を持ち暮らしている列島住まいの私たちなのだろうか、と思います。
事象への表現の豊かさは、物事にひとつの評価基準を設けることになるようです。
その表現の豊かさを基にして生きてきた日本人は、多様な精神性を保持し、和して争いを好まず、高品質のものを作るような足跡をのこしてきました。また旺盛な好奇心が生み出し伝えてきた歌舞音曲も、特異な多様性を見せています。
これからの衣食住について考えると、より低価で高品質なもの、優れたデザインのものが世に問われることになると思いますが、日本で評価されないものは世界で評価されない、という基準がスタンダードになるような気がします。
これは多分、この“事象への表現の豊かさ”から創りだす評価基準かもしれません。
先人が営々と積み重ねてきた物事への価値基準は、国民性を現わす最も分かりやすい「伝統」という名の計測機だ、と私は思っています。
今年も、もうすぐ炉を開く頃、初時雨がやってきます。
(写真 初時雨時に咲く松平不昧公遺愛の白椿 銘「獅子王」)


2010年10月5日