日本のすがた・かたち

2010年4月2日
共有する「知」

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共にする民人の「知」の諸々は
茶の湯の華と咲きて散るなし

                                                            
文化とは、社会の人々が共有する「知」が目にみえる形になったものをいいます。
それは言語、習慣、立ち居振る舞い、技、あるべきとされる物の姿、歌われるメロディーやリズム、色彩感覚などを指し、 そこで生まれ育ち、ともに生活することによって人々との心に共有された知識や技術や感覚をいう、と考古学者の鈴木武彦は述べています。
私は、日本文化とは何か、と問われると、古神道、日本仏教、皇統(皇室)の三つを挙げ、そこに茶の湯を付け加えることにしています。
古神道は縄文期以前(5万年前頃か)から続く精神性を指し、呼称は神道より「ヤマトゴコロ」というような自然共生観念に近いもので、日本人の精神性の根幹を成すものです。
日本仏教は、インドに発生したインド仏教が中国や朝鮮を経由して渡来し、2千5百年の時を経て、日本独自の仏教に変化してきたものをいいます。これも私たちの精神性を形作っているものです。
皇統(スメラミコト)は現在の皇室に繋がる縄文時代からの天孫族系統のことです。
ここにいう皇統(天皇制)は日本人が独自につくりあげ、縄文時代から精神の柱としてきたものです。
私は、これら三つが日本文化の特質を現わしていて、これらが現代の日本人の文化構造の基をなしていると考えている一人です。
そこに茶の湯を付け加えるのは、社会の人々に共有された「知」が目に見える形になるための茶の湯に親しむ人々の数、つまりその「知」共有する人々が少ないということです。
しかし、その茶の湯には日本人の文化のすがたかたちが明確に組み込まれています。それも宗教、文字、言語、演劇、芸術、工芸、建築、風俗、習慣、娯楽、食事などに至るあらゆるものが「知」の結晶として儀礼儀式化されています。
茶道とも違う茶の湯こそ、普遍的な日本文化の華といっても過言ではないでしょう。
私は長いこと茶の湯に魅されてきましたが、未だにそれは色褪せることはありません。むしろ年齢と共にその思いが強くなってきたように思います。
4月18日(日)の春の盛りに北鎌倉で茶会が催されます。
次代を担う青年が初の席主を務めます。茶の湯人の誕生といってもいいでしょう。
私は客のひとりとしてその一時を過ごしたいと思っています。
茶の湯の深遠さに浸りながら……。
(京都 醍醐寺の桜)
                                                                                                                          
                                                                                                                                   


2010年4月2日