日本のすがた・かたち

2009年6月28日
飛騨の口碑

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伝え来る口伝の熱き心根は
文のかげりを解きて放ちぬ

                                                             
西暦712年に編まれた『古事記』は、28歳の青年、稗田阿礼(ヒエダノアレ)が口述したものをもとにして、太安万侶(オオノヤスマロ)が筆記したものといわれています。
稗田阿礼は天武天皇に舎人(とねり)として仕えていた、と『古事記』の序に名がある以外、全くその存在を知る手がかりがありませんでした。
後年、民俗学者の柳田國男や西郷信綱などは「稗田阿礼は女性でアメノウズメを始祖とする女性である」との説を唱え、哲学者梅原猛は「時の権力者の藤原不比等の別名である」と断じています。
私は大分前から『古事記』を読むうち、その後に編纂された『出雲風土記』に注目し、そして飛騨に言い伝えとして残る口碑(こうひ)と出合いました。口碑とは碑に刻みつけたように口から口へ永く世に言い伝わる意味のことで、昔からの言い伝えや伝説のことをいいます。
飛騨に伝わる口碑との出会いは衝撃的ともいえるものでした。
これらとの関わりあいの発端は、20年ほど前、古代出雲大社の巨大木造建築は飛騨の匠集団が造ったのではないか、との疑問を持ってからのことでした。
2000年10月、ニュースで出雲大社に古代の柱が発掘されたと聞くと、直ぐさま現地に飛びました。それは私の中で、様々な仮説に終止符を打ち、木造建築の歴史的意義を確認できることでした。その証拠となる高層建築柱が出てきたのです。
古代の出雲大社は、建築平面図である「金輪御造営差図」として伝わってきたものによると、その高さが48m(15階建てのビルに匹敵)で、一本の柱の太さが3mもあり、9本描かれている柱は、3本の木を金輪(鉄の輪)で1つに束ねてあるといい、また、前面に出ている階段が「引橋長一町」、約109mといわれています。
また、平安時代の書物『口遊(くちずさみ)』がその中で、全国の大きな建物の順として「雲太、和二、京三」と記しています。これは出雲太郎、大和二郎、京都三郎のことで、それぞれ1番出雲大社本殿、2番東大寺大仏殿、3番京都大極殿を指しています。出雲大社は日本で1番の建物と記されているのです。当時、東大寺大仏殿は棟高45mと記録に残っています。
稗田阿礼は「飛騨にあれませるお方」の意味であり超能力者だった、と口碑は伝えています。
そして、今に伝える方によれば、その子孫は飛騨の楢谷に2千数百年住んでいて、現在は近くの三日町にご健在とのことでした。
口碑は、その飛騨に生れた工匠たちが出雲大社を造営した、と伝えていました。
言い伝えは信憑性に欠けると識者間ではいわれますが、それは、数千年に及ぶ口伝者の熱き心根が成せる業を見ることができない見方で、目に見えないものごとを信じられない人たちの言い分なのかも知れません。
口伝は真心を以って次に伝えることが可能です。そしてその真心は伝わります。
私はこの頃、日本人の精神の直なる源は、口伝やかた・かたちにあるのかも知れないと思うようになりました。口伝は、大人が最も良き贈り物として子孫に手渡してきたもののようです。
私は今、『古事記』神話の祖神たちが、生々しくも美しく織りなす一大スペクタルに魅了されています。
(「古代出雲文化展」参照)
                                              


2009年6月28日