日本のすがた・かたち

2009年6月16日
おおはらえ

HP-119.jpgまれに出る夏越の月に問うはたれ
梅の実を干す陽をや知らせと

                                                             
古来、我が国では6月と12月の晦日(つごもり)に朝廷が広場に百官を集め万民の罪やケガレを祓った大祓(おおはらえ)という神事を行っていました。
現在でも6月は夏越、12月は年越といい、宮中はじめ全国の各神社で行われます。
特に6月の夏越祭(なごしまつり)は水無月祓、夏越祓、荒和(あらにご)の祓とも、名越の祓ともいわれ、茅で丸く作った輪をくぐる神事が行われます。ナゴシとは「和(なごし)」(神慮をやわらげる)の意味から付けられたようで、諸々の和を勧めた先人の智慧を思います。
以前、梅雨空の下で茅の輪をくぐったことがありました。その時、何故か自分の裡に日本なるものを感じたことを覚えています。何故それを日本なるものと思ったのかは定かではありませんが、当時、インド・ネパールの旅から帰ってきてのことだったからかも知れません。
世界中どこで生きていても、人間は常に罪を犯し、それを悔い、そして懺悔せざるを得ない生きもののようです。その生まれながらにして持ち合わせている人間の忌まわしい“業(ごう)”。それをどう処理し解決していくのか。先人は過去の歴史を見ながらその罪ケガレを祓うことにいくつもの解決策を見出してきたと思います。
我が国には一年を通して、折々多種の祓の儀式が各地にあります。
それは教義をもたない“古き良き教え”から生みだされているようです。人はそれを古神道といい、“随神・惟神(かんながら)の道”ともいいますが、私はそれを、渡来仏教に対した宗教的分類の神道とは少し違い、古代縄文前期から育まれてきた”日本なるものの精神性”ではないかと見ています。
いずれにしても、罪ケガレを祓うことを自然界と相談しながら創りだした先人たちは、平安時代にはその祓えの儀礼・儀式を完成させたようです。
現世での利益(りやく)を願い子孫の繁栄を祈ることは、人間がこの世に生れ、苦しみ、そして死んでゆくことの有様を識るものにとって当然の欲求です。多分この欲は世に人間が存在する限りなくなることはないものでしょう。
この時季になると、私は梅干し作りに精をだします。
子どもの頃の父母が毎年作ってきたことに倣って、もう30年余になります。私にとっては梅干しの効用が意外に大きく、20年前、禅寺で教えられた朝の、“ひとつまみ砂糖入り梅干し湯”が、今では私のツミ・ケガレ(二日酔い)を祓う毎日の儀式のようなものになっています。
近い将来、私も先人の仲間入りに相違なく、旨い梅干しづくり位は次に遺せるかも知れないと、稀に出る梅雨の月を眺めては、干すその日を待っています。
(上賀茂神社の茅の輪)                                              
                
                                


2009年6月16日