日本のすがた・かたち

2019年9月5日
「大嘗祭 」大麻の織物

「―徳島県吉野川市山川町地区の山崎忌部神社で2日、11月にある皇位継承の重要祭祀「大嘗祭」で献上される麻織物「麁服(あらたえ)」を作るための麻糸が、神社の氏子らでつくる「阿波忌部麁服調進協議会」に引き渡された。今月10日に「初織式」が行われ、織り上げた麁服を皇居に納める。」(9月2日徳島新聞)

神服の「麁服」は、阿波忌部直系氏人の御殿人(みあらかんど)が、天皇陛下が即位後、初めて行う践祚大嘗祭(せんそだいじょうさい)の時にのみ調製し調進(供納)する「大麻の織物」をいいます。

大嘗祭は、天皇が即位の礼の後、初めて行う新嘗祭で、即位後初めての新嘗祭を一世一度行われる祭として、律令ではこれを「践祚大嘗祭」と称しています。
儀式の形が定まったのは、7世紀の皇極天皇の頃といいますが、格別の規模のものが執行されたのは7世紀後半の天武天皇の時が初めてとされます。

大嘗祭は皇位継承の正統性をこの祭儀礼を以って証明するというもので、その中身は日本天皇制の性格を顕わす秘儀とされ、天皇の霊的な継承儀礼として公開されず、イネ(生産)とタマ(霊位)にもとづくマツリゴトとされてきました。

内容は延喜式を基とし諸説ありますが、山折哲雄著「天皇の宮中祭祀と日本人」によると、「―大嘗祭儀礼は、天武・持統天皇期に定まったと考えられ、「天皇霊」という言葉も用いられるようになっていたという。天皇の「カリスマ原理」を示す古代的観念といわれているものだ。―」とし、11月卯の日の夜から明け方にかけて行われる大嘗祭について書いています。

「-この日は、内裏に一時的に造営されたふたつの殿舎に天皇が籠もり、その年にとれた新穀を神・天照大神に供え一緒に食べる、という儀式である。天照大神との共寝共食の秘儀に入るというのである。
天皇は深夜、仮の宮として建てられた同一の悠紀殿、主基殿に籠もり、同じ所作を二度繰り返すことになっている。両殿内部はふたつの部分に分かれ、北側を「室」南側を「堂」という。そして寝具の東側に、天照大神が降臨する神座と、それに対向して座る天皇の座が用意されている。
天皇はまずその寝所に横たわって褥と衾(ふすま)で身を包み、その儀が終わってから、神座に向かって新穀を供進する。衾に包まれて休むのも神座に向かって新穀を供するのも、天照大神とともにそうするものとして、まさに神との共寝共食の秘儀を行うのである。
この「室」には天皇以外に入ることは許されないが、ただ、西の隅に「采女台座」とあるように、天皇の身の回りの世話をする女官が例外的に随待するが、神儀が開始される前に采女は退出する。この秘儀が「室」で行われると、南側の「堂」では、関白座が設けられていて、その地位にあるものは御簾越しに天皇の動きを秘かに見ることができたという。―」

1. 新穀を用意する二つの地域(斎国)の選定(4月)
今回の斎国(いつきのくに)は東の栃木県、西の京都府が選ばれた。
2. 出そろった稲の穂を抜く抜き穂の行事(9月)
3. 斎場における諸行事(白酒・黒酒の製造、贄=天皇への貢納物の調達、神服の
用意など(10~11月)

いよいよ大嘗祭の準備が整ってきた感があります。
私は、天皇祭祀こそが日本文化の根幹を成していると思い、秘儀として伝えられてきた大嘗祭をみるとき、日本人とは、何と不思議な精神性を保持し、壮大なドラマを演出してきた人たちの集まりなのかと思わずにはいられません。

天照大神は、歴代天皇と共にして秘儀を行ってきました。大嘗祭において鎮座まします伊勢神宮より宮中三殿の悠紀殿、主基殿の儀に臨まれ、子孫(うみのこ)である天皇に御魂を移されてきたのだと思うと胸が躍ります。
何世紀にも亘る秘儀の伝承は、深遠な日本民族そのものといっても過言ではありません。

 

これから11月14,15日の大嘗祭本祭までの祭祀次第は、
4. 禊の行事(皇居内)(10時月下旬)
5. 仮殿舎の造営(祭日の7日前に着工)
6. 神・天皇に対する奉納(11月の卯の日)
7. 大嘗祭―悠紀殿(ゆきでん)・主基殿(すきでん)の儀(卯の日の夜から翌朝の暁方まで)
と、続きます。

そして大嘗祭の本祭に向け、大嘗宮(大嘗殿〈おおにえどの〉)が皇居朝堂院の前庭に造られます。本祭の約10日前に大嘗宮の材木と諸材料と併せて茅を朝堂の第二殿の前に運び、7日前に地鎮祭を行い、そこから5日間で全ての殿舎を造営し、祭の3日前に竣工することになっています。

童女が火を鑽出して国司や郡司の子弟の持つ松明に移し、その8人童男童女が松明を掲げて造営予定地の斎場に立ち、工人が東西21丈4尺(約65メートル)、南北15丈(約46メートル)を測って宮地とし、これを中に東に悠紀院、西に主基院とします。木綿をつけた榊を捧げ、両院が立つ四隅と門の場所の柱の穴に立て「斎鍬(いみくわ)」で8度穿ちます。
東西に悠紀殿(ゆきでん)・主基殿(すきでん)、北に廻立殿(かいりゅうでん)を設け、それぞれの正殿は黒木造(皮付き) 掘立柱、切妻造妻入り、青草茅葺きの屋根、8本の鰹木と千木、ムシロが張られた天井を有するものです。外を柴垣で囲み、四方に小門をつけます。

地鎮祭の後、祭の7日前から大嘗宮を造り始め、5日間以内に造り終え、「大嘗宮(だいじょうきゅう)の儀」後にはただちに撤去されることになります。2019年(令和元年)11月14・15日に行われる大嘗祭で、大嘗宮の建築費は19.7億円いわれます。

 

天皇は本祭前の第一の「禊祓い」に臨まれますが、聖水による沐浴の際、「天羽衣」を召されるといいます。御湯殿における天羽衣の着脱こそ天皇の心身に呪的な変化を起こさせる秘儀とされています。

わくわくする令和元年11月はもう直ぐです。(続く)

 

写真:上 大麻の種蒔きの儀式(4月9日徳島県美馬市)
中 仮殿舎の模型と配置図(2018年作成)
下 大嘗祭の「天羽衣」(自著『伊勢神宮』より(宮内庁書陵部))

 

 

 


2019年9月5日