日本のすがた・かたち

2019年3月25日
平成改元

この頃、新しい仕事場を得たせいか気合が入り、愛用のT定規が活躍しています。
高校入学時に親に買ってもらった製図用具一式は、その後の59年間常に道連れでした。
その間に描いた設計図は三千枚以上と思われます。

 

パソコンによるCADソフトで図面は描いていますし、幼稚園レベルの落描きが写真レベルのクオリティーになる、AI技術による「GauGAN」なるものの存在も知ってはいるのですが、どうも性に合わず、何時の間にか手描きの設計図に戻っています。私の建築設計のスタイルは、T定規なくしては成り立たないようです。

 

なぜ今、このことを書くことになったかというと、平成の年も後僅かで、新しい元号の年になることによります。
31年前に昭和から平成に元号が変わりました。私は不惑の年を迎えていましたが、その頃は不惑どころか超多惑の頃で、海に小舟で漕ぎ出したような不安の人生真っただ中で、T定規だけが頼りという有様でした。
ただ、元号が変わったことにより、なぜか気持ちが一新し、不惑感に近づき、改めて我が国の伝統文化の深遠さに思いを致すことになったのでした。

 

「象徴天皇の源流」と位置付けられ、権力と権威が分離したとされるのが、9世紀前半の平安初期、第52代嵯峨天皇の頃といわれます。以後、天皇は権力を持たず、時間と空間を抽象的に支配することになりますが、その「時間の支配」を表すのが元号といわれます。
鎌倉から室町時代にかけ、足利義満などにより幕府の将軍や実力者が改元し、権力の源泉とした時期もありましたが、そのような混乱期も天皇は存在し、皇位継承が続いてきました。「奇跡の制度」といわれる所以です。

 

元号は天皇と一体で、645年の大化から1400年近く続いてきた日本独特の制度は世界に類をみないもので、現在の一世一元制は、平安初期の桓武天皇から淳和天皇までの4代にわたる治世もそれぞれ単一元号であり、中国・明代以後の伝統とされますが、わが国の歴史は古く、先人の叡智が創作した「時間の支配」は営々と続いています。

 

現代の独裁者国家の行く末を考えれば、過去の歴史がその答えを出しています。勿論、独裁国家では我が国の天皇のような存在は機能しないと思いますが、独裁者の末路は無残としかいいようがないものです。権力を持った分だけ悲惨な結末になるというのが歴史の事実です。

我が国の天皇には権力や財力は存在せず、有るのは時間と空間を抽象的に支配する機能、つまり象徴という権威のみ。しかし、この「権威のみ」というシステムこそ、世界に誇る日本システムであり、日本文化の大きな塊なのです。

 

改元は甦りへの祈りのように思います。誰でもが今日から明日へと甦生を願います。私にとっての5月は、何もかもが一新する月になりそうです。

くたびれたT定規が「まだまだ使えるぞ!」、といっているようです。

   平成も 終わりぬ開く 桜かな

 

 

 


2019年3月25日