日本のすがた・かたち

2018年7月31日
言葉と道具

避暑と調査を兼ね北海道へ旅をしてきました。
逆走した台風12号を尻目に良かったとも思いましたが、行ってみると連日35度超えの酷暑でした。
今年は地球規模の異常気象だそうで、私たちは今、自然には正常も異常もなく、想定内も外もないことを知らされています。
自然は気候風土を作り、生物はその中で順応し生き延びて行く他はなく、異常気象も人間の勝手な基準といえます。

 

北の縄文文化は近年の研究により、様々な学説が覆され、改めて発掘に依らない仮説の危うさを思い知らされています。
中でも木造建造物に関しては眉唾ものが多く、今では毛皮のパンツをはき、石の槍を持った縄文人像をいう人は少なくなりましたが、草葺き屋根の復元建築物に至っては、もはや信をおけないものとなっています。
木材は腐食により形が遺らないため、竪穴の跡を見て現代人が勝手に想像するほかはないため、殆どが怪しげな復元となります。
私は、竪穴跡は見せても、住居復元はしない方が良いという立場をとっています。なぜなら現代人で見たことのある人はいないからです。

 

現在の学説では、我が国の木造建築の歴史は縄文時代からといわれていますが、私は1万五千年前からではなく、先祖は後期旧石器時代の3万年前から森や海の民として木や草や石を利用して暮らしていたと推測しています。
その証拠は道具にあるとみています。

 

先日、東博で縄文展を観ましたが、石器の発達が木や草、石の加工の歴史を作ったのだと改めて思いました。
縄文草創期には既に石器などにより、竪穴住居が造られていて、その始まりは旧石器時代に遡ると思います。
約4万5千年前の第一亜間氷期は1万年以上続いたといわれ、それからの温暖期はヒトが人類社会を完成し,氏族共同体を構成して飛躍的に生産性を高めた新人が登場したといわれています。その生産力を高めたものこそ道具というものでした。

 

人類は「ことば」を生み、言葉は道具を生み出しました。
人類の歴史は道具に依って展開して来たといっても過言ではありません。
言葉はすがたを創る道具であり、道具はかたちを造る道具といえます。

人間の強い想念は、形になるべくして空間に未分化して溶けて在るといいます。
想念もまた言葉によって組み立てられているものです。

 

北の大地で、言葉はヒトが知能を持つ以前に在った、と、旨いビールを飲みながら空想に耽っていました。

 

写真:「札幌ビール旧工場」

 

 


2018年7月31日