日本のすがた・かたち

2017年10月10日
伝統のなかに

この一週間ほどは様々な行事や催しへの参加でした。
建築調査、納骨、観能、茶会、陶芸展、禅寺参りなどで目まぐるしい毎日でした。
この間、常に頭から離れなかったのが「伝統」の二文字でした。

伝統とは古いものではなく、今まで積み重ねてきたものに新たなものを加えて行く、というのが私の伝統観です。つまり、古のものを再現して行く行動は継承であり、伝統とは常に新しいものだという考え方です。

今秋は全国各地でイベント花盛り、祭事は目白押しです。
その中で百年以上続いている催事を選別してみると、意外なことがわかります。

継承され続いてきたものは、人間の生き死に関わる祭事が殆どで、他のイベントものや文化祭的なものは一過性の娯楽といっても過言になりません。
つまり永く継承されてきたものは神仏への奉納、奉献の宗教祭事ということになります。

古建築の調査は先人の生活環境と文化をかたちづくる基本的要件の調査ということで、その時代から今日に至るまでの人間の生死に関わる調査研究が背後にあります。

四十九日法要と納骨儀式は日本仏教が連綿と伝えてきた宗教仏事であり、能は天才世阿弥が考案した夢幻能の亡霊を主人公とした神事。茶会は茶聖千利休から約四百五十年を数える神、仏を基にした茶事。陶芸は日本人の生活習慣の伝統的発露の催事。禅僧との会話は生死への疑事。
いずれも明日より、「今ココ」をどう生きるか、という自問に応える時間というものです。

知能を持った人間がこの世に出現してからの永遠のテーマは、「自分はどのように生きるか」に尽きるように思います。

20代で建築家を目指して五十年。この頃、自分で考えている建築家像には追いつかないことをおぼろげながら認めている裡なる自分がいます。
そしてまた脳裏に浮かぶ狂歌。
「人の世はないものねだりに暇つぶし・・・」

一連の行動で楽しいと思ったのは若者たちとの親交でした。
時の移ろいは、次代を担う若者たちとの交流で昇華すると再認識した一週間でした。

さあ、今日からまた鉛筆をナメナメ図面に対おうか、と老骨に鞭打って、と。

 

写真:10月7日 MOA美術館・薪能と芸妓おどり(熱海ネット新聞)

 

 


2017年10月10日